【ブログ】「歴史の結び目」としての第五福竜丸

2024年12月3日(火)、東京・江東区にある第五福竜丸展示館を訪ねてきました。
 メトロ東西線・東陽町駅からバスで「夢の島」下車。この日も雲一つない冬晴れ、マリーナには多数のヨットが係留されています。平和な光景です。
 振り返ると三角形の大きな建物。ここが第五福竜丸展示館です。

木造のマグロ漁船・第五福竜丸は、1954年(昭和29年)3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験で被爆。翌年9月には無線長の久保山愛吉さんが40歳で亡くなられるなど(ちなみに23人の乗組員の中で最年長だったそうです)、全国的に原水禁運動が広がるきっかけとなりました。
 この都立展示館は、1976年、廃船となりこの地に放置されていた第五福竜丸を保存・展示するために開館したのだそうです。

エントランスを入ったとたん、巨大な船尾が視界に覆いかぶさってきます。巨大なプロペラにも圧倒されます。

 ビキニ水爆被災70年となる今年は、特別展「山内若菜-ふたつの太陽、命を紡ぐちいさな生きものたち」が開催中(来年1月19日まで)。エントランス脇に展示されている「牧場 放(はなつ)」は、2011年3月の東電原発事故で被災した福島の牧場をテーマとした作品とのこと。

パネル展示も充実しています。
 23名の乗組員の顔写真。急性放射能症に加え、大量輸血によりC型肝炎に感染した方も多かったとのこと。
 水爆実験により、太平洋の広い地域が放射能で汚染されたことを示す地図。被害を受けたのは第五福竜丸だけではなかったのです。

天井から吊り下げられた山内若菜「刻(とき)の川 揺(ゆれる)」は、広島で被爆した少女がモチーフとのこと。

船橋や甲板に置かれた漁具なども柵越しに見学することができ、船内の様子をCGで体験できる映像展示もあります。冷蔵施設はなく、大量の氷を積み込んで赤道近くまで出漁していたとのこと。
 全国からの修学旅行生たちによる折り鶴。
 屋外には、沈没した他の船に転用され、海中から回収されたエンジン等も展示されています。

第五福竜丸は「広島・長崎の原爆被害から福島第一原発事故へという歴史の結び目」として位置付けられます(小沢節子『第五福竜丸から「3.11」後へ』)。

 来る12月10日(火)には、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)のノーベル平和賞授賞式が予定されています。世界では「核による脅し」を公言する核大国や核配備を進める国があり、日本国内では原発回帰が進むなか、貴重なメッセージが発せられることが期待されます。

ところで気がつけば早くも12月。望(忘)年会シーズンを迎えました。
 3日(火)の夜は、神田で今年1年、多くの学びを頂いた方々との望年会。石川県の香土(カグツチ)さんの直送野菜も使われていました。私は飯舘村の日本酒を持参。

 7日(土)には、自由が丘で読書会のメーバーとの望年会。1年間、様々な興味深い本を紹介して下さいました。私はプレゼント用に二本松営農ソーラーのエゴマ油を持参。

年が改まるという実感も、少しずつ湧いてくるのかも知れません。

(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
 https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、無料)
 https://www.mag2.com/m/0001579997