【ポイント】
福島・いわき市で「古着を燃やさないまち」を実現するなど様々な市民活動に取り組んで来られた吉田恵美子さんは、本年11月、逝去されました。慎んで哀悼の意を表させて頂きます。
本欄で吉田恵美子さんを紹介させて頂くのは、No.27(2013年.9月5日配信)以来、2回目です。
吉田さんは1990年頃から、たった数名の市民ボランティアグループとして衣服のリユース・リサイクルに取り組んで来られました(2004年にはNPO「ザ・ピープル」を設立)。
市内13か所に回収(寄付)ボックスを設置し、年間約260トンもの古着を集め、その90%近くを資源として社会に還元(直営店舗でのリユース販売、ウェスやエコウールとしての再資源化等)しています。これは日本全体での衣服のリユース・リサイクル率(35%、「豆知識」欄参照)に比べて際立って高い数値で「古着を燃やさないまち」が実現しているのです。
また、2011年3月の東日本大震災と東電福島第一原発の事故は、福島・浜通り地方に深刻な被害を与えました。いわゆる「風評被害」もあって農業の先行きが見えず、耕作放棄される農地が増えるなか、吉田さんは仲間とともにオーガニックコットンの栽培を始められました。
長年にわたり衣服の再利用に取り組んできた吉田さんにとって、衣服の起点であるコットン栽培に関わるようになるのは自然の流れだったのかも知れません。同時に、原発被災地から避難されてきた方たちを含む地域のコミュニティづくりを目的としたものでもありました。
私も何度もボラバスツアー等で訪問させて頂き、毎回、明るく積極的に地域の様々な課題に取り組んでおられる様子に、大きな感銘を受けたものです。
その吉田さんは、1年以上にわたる闘病の末、2024年11月17日(日)にすい臓がんのために、満67歳で逝去されました。
葬場祭(告別式)が開催された同25日(月)のいわき市は、一点の曇りもない青空でした。ホールには故人の功績を表す数多くのパネル等が展示され、古着やコットンだけではなく、保護司や障がい者自立支援など幅広い社会貢献活動をされていたことを知りました。祀主の方(ご主人)の挨拶にあったように、明るい未来を見通しているかのようなご遺影の吉田さんの表情が印象的でした。
他の多くの方たちと同じく、私も吉田さんから多くのことを学ばせて頂きました。
そのお預かりした貴重な財産を糧に、これからは私自身も、吉田さんが目指された社会の実現に向けて尽力していきたいと決意しています。
参考
NPO法人ザ・ピープル
https://www.facebook.com/iwakithepeople
(一社)ふくしまオーガニックコットンプロジェクト
https://www.facebook.com/fukushimaorganic
「繊維の生まれる場と帰って来る場を整えるプロジェクトを前に進めたい」
(ご遺志を継がれた方々によりクラファン継続中です。支援は12/31まで)
https://readyfor.jp/projects/148057/announcements/350354
吉田恵美子さんからお預かりしたもの(拙ブログ)
https://food-mileage.jp/2024/11/29/blog-548/
◆ ほんのさわり
食や農の分野を中心に、考えるヒントとなる本を紹介します。
(過去の記事はこちらに掲載)
https://food-mileage.jp/category/br/
-吉田恵美子『想いはこうして紡がれる-「古着を燃やさないまち」を実現した33年の市民活動を通して伝えたいこと』(2024年12月、英治出版)-
https://eijipress.co.jp/products/2360
【ポイント】
一人の人間としてもがき苦しみながら、市民運動に取り組み、実績を積み上げられてきた著者からの、後進たちへのメッセージです。
12月14日(土)に発売されたばかりの本書は、吉田さんご自身が執筆された最初のまとまった本であり、同時に、残念ながら最後の本となってしまいました。年内に計画されていた出版記念祝賀会への参加も楽しみにしていたのですが、これも叶わなくなりました。
本書は、30年以上にわたって市民活動を続けてきた著者の、これから一歩を踏み出そうとしている後進たちへのメッセージです。
「高尚な思想は不要。小さな違和感・引っ掛かりを大事にして、一歩ずつ動き出せばいい」「伝えないと伝わらない。対話を積み重ねることが大事」「想いを紡ぎ織り上げることで、仲間は自然と現れる」「地域の課題は変わり続けるから、「私」も変わり続けることが必要」「あなたが積み上げてきた「私」が、何かを変えていく上での原動力になる」等の、力強く、優しい言葉が綴られています。
しかし著者の人生は、決して順風満帆なものではありませんでした。
家庭内の軋轢、優秀な兄弟へのコンプレックス。大学卒業後は中学校教員となったもののわずか1年で挫折して帰郷し、結婚・子育てしながらも、居場所のないという孤独感にさいなまれていたそうです。
市民活動を始めてからも、最初は行政からも煙たがられ、組織内の人間トラブルにも悩まされます。審議委員等の公職が増えたことで現場の事務局メンバーとの間にも亀裂が入ります。震災後、原発被災地からの避難者と市民との溝を埋めようと活動されていた時も「無力感と自己嫌悪でいっぱいだった」そうです。
正直、いつも明るく、地域の課題に積極的に取り組んでこられたという吉田さんのイメージからは、想像もできない内容でした。
吉田さんは決して「すごい人」ではなかったのです。一人の人間が、もがき苦しみながら市民活動を続け、大きな成果をもたらした等身大の記録が本書です。
それだけに、「本書が、今モヤモヤを抱えている『あなた』の背中を押し、小さな一歩を踏み出すきっかけとなればそれに勝る喜びはない」との言葉が心に響きます。