-田中優子『一揆を通して社会運動を考える』(田中編『そろそろ「社会運動」の話をしよう』(2019年4月、明石書店)所収)
https://www.akashi.co.jp/book/b450429.html
【ポイント】
江戸時代の百姓一揆と現代の社会運動とは様々な面で異なるものの、多様な人々がこの社会に生きるために何が必要かについて学ぶところは多いとしています。

著者は1952年横浜市生まれの法政大学名誉教授(江戸文学、江戸文化論)。
本書は2011年から法政大学社会学部で実施している連続講義「社会を変える実践論」の記録です。
このユニークな講義の狙いは、様々な問題に当事者として直面した時に、自分ゴトとして考え、行動し、その解決に向けて行動する方法を学ぶというもの。
毎回、学生たちは講義を受けた後にグループで議論するのですが、学生たちの本音の多くは「自分の生活で精一杯」「自分が行動してもどうせ何も変わらない」「誰かが何とかしてくれる」「不満を言わないことが美徳」といったもの。デモについても迷惑行為、怖いものとして見下す傾向があるそうです。
1960~70年代の学生運動が内部分裂して多くの人から見放されたことも、
そこで田中先生は、江戸時代の百姓一揆と比較しながら現代の社会運動を考えるという講義を担当しました(第3章)。
江戸時代には権利や人権という概念はなく、一揆は必要に駆られて行われたものでした。打ち首覚悟で自分たちのコミュニティと農業生産を維持しようと立ち上がったもので、具体的な目的(起請文)や交渉相手(庄屋、商人、代官、藩主等)は明確でした。また、当時は農民が人口の8割を占めるなど生産と経済活動の主体であり、彼らなしでは藩も幕府も成り立たなかったのが実情でした。
一方、現代の社会運動は、直接的な目的の実現というよりは多くの人々を巻き込むこと(世論の喚起)を目的とすることが多く、したがっていかに社会の賛同が得られるかがポイントとしています。
社会運動の目的とは、選挙制度では拾いきれない少数の主張・意見を取り上げ、多様性のある社会を実現すること。そして社会運動は民主主義を補強し、多様性に価値観を置く社会を作る上で重要で、議論の場を作り続けることが必要ともしています。
今回の「令和の百姓一揆」の成否も、いかに多くの都市住民、消費者の共感と参加が得られるかにかかっていると思われます。私も都会に住む一市民として、3月30日(日)のトラクター行進当日には手づくりのプラカードを持って参加したいと思っています。
[参考]令和の百姓一揆実行委員会(FBページ)
https://www.facebook.com/people/%E4%BB%A4%E5%92%8C%E3%81%AE%E7%99%BE%E5%A7%93%E4%B8%80%E6%8F%86%E5%AE%9F%E8%A1%8C%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/61571764336699/
出典:
F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
No.310、2025年2月12日(水)[和暦 睦月十五日]
https://food-mileage.jp/2025/02/10/letter-309/
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