【ほんのさわり】赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』

-赤坂憲雄『東北学/忘れられた東北』(2023年6月、岩波現代文庫)
 https://www.iwanami.co.jp/book/b626374.html

【ポイント】
 著者は濃密な東北の「野辺歩き」を通じて、「単一の瑞穂の国」ではない「いくつもの日本」を発見しました。

著者は1953年東京生まれの民俗学者で、東日本大震災と東電福島第一原発の事故が起こった当時は福島県立博物館長を務められていました。
 著者は約30年前に東北に拠点の半ばを移し、ひたすら歩く・見る・聞く「野辺歩き」の旅を通じて、東北の風景の濃密さに息苦しいほどの興奮を覚えたそうです。この経験が、後に「東北学」を提唱するエネルギーとなりました。
 本書では一貫して、日本の民俗学の開拓・確立者である柳田国男に対して批判的な考察が加えられています。すなわち、柳田の民俗学を「瑞穂の国の民俗学」と断じ、旅を通じて「東北は瑞穂の国であるという柳田の呪文が詐術めいたものに変じた」としているのです。
 著者によると、稲(米)は古代律令制の成立以来、常に国家の租税体系の中心に置かれ、東北でも稗(ひえ)などの雑穀栽培から、風土が適しているとは言えない稲作に転換されられました。それが大規模な飢餓(ケガチ)と百姓一揆を招いた原因であると考察しています。
 1993年の大冷害の様子については、著者は実際に体験したものとして本書に描かれています。
 ちなみに著者は雑穀という言葉を、穀物のヒエラルキーの頂点に米を位置付けた蔑称であるとしています。著者は東北の旅を通じて、「単一の瑞穂の国」ではない「いくつもの日本」を発見したのです。

東日本大震災と原発事故の後は、著者は被災地をひたすら歩き続ける旅を続けています。2011年9月のインタビューでは、「福島からの脱原発の流れははイデオロギーではなく、生存の危機にさらされている無数の命の叫び声のようなもの」と答えられています。
 また、2020年には甚大な津波被害を受けた岩手・田野畑村を訪ね、原発誘致への反対運動の先頭に立った女性(震災から4年後に97歳で逝去)を偲びつつ、民俗資料館で三閉伊一揆の資料を見学されたそうです。

[参考]
奥会津ミュージアムHP「館長のつぶやき」
 https://okuaizu.design/director-tweets/3114/

出典:
 F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
  No.311、2025年2月28日(水)[和暦 如月朔日]
  https://food-mileage.jp/2025/02/10/letter-309/
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