【ブログ】2025(令和7)年の4月

私事で恐縮ながら、3月末で農水省の再任用も終了し晴れて(?)浪々の身に。
 何か地域のためにできることがあればと思い、取り急ぎ地元のシルバー人材センターとボランティアセンターに登録してみました。

 プレゼントツリーのイベントで熊本を訪ね、消費生活アドバイザーの皆様の会でお話させて頂き、数年ぶりに学会の個別報告にエントリーする等で比較的慌ただしく時は過ぎ、気が付けば4月も下旬です。

八重桜もすっかり散り、代わるように街路樹のハナミズキが満開に。地元近くの黒目川の川面は、クレソンの白い花で覆われています。水色のカワジシャの花も。

自宅近くにある医療センター敷地内にある雑木林では、今年も「守る会」のボランティアの皆さんがキンラン等の観察会を開催されていました。今年はギンランは遅れているそうです。寄付(カンパ)をして冊子を頂きました。
 毎週火、土曜日に作業をされていると伺いました。

今年は市民農園の抽選に外れてしまったので(涙)、プランタを買ってきてベランダ農園に挑戦することに。
 ナス、キュウリ、ミニトマト、枝豆、ゴーヤ、トウガラシなどの苗を少しずつ植えてみました。バケツ稲も試してみようと思っています。

4月23日(木)は、東京・神田小川町の福島のお蕎麦屋さんへ。
 ジャーナリストの方たちを中心とする交流会にお声掛け頂き、初めて参加させて頂きました。「今日は中田さんの慰労会ですね」と言って下さいました。有難いことです。

 福島の日本酒(「ただみせん」など)、十割蕎麦など美味です。飯舘村に移住された方は、エゴマの手土産を持ってきて下さいました(私は徳島の春ニンジンを持参)。

翌24日(木)の午後は、「隣町」の東京・清瀬市へ。
 清瀬市には昭和初期に結核療養所(サナトリウム)が開院し、後に傷痍軍人療養所も置かれたこともあって、現在も病院や医療関係の研究機関が集中立地しています(「病院街」とも呼ばれています)。吉行淳之介は、療養中に『驟雨』が芥川賞に選ばれました(1954年前期。石川達三の選評が面白かったです)。

 近代的な威容を誇る(独)国立病院機構 東京病院の前身は、清瀬病院東京療養所です。広い敷地の奥まった一画に、木造の小さな小屋が佇んでいます。外気療養と作業療養を行うための「外気舎」で、かつては72棟あったそうですが現在は1棟のみが「記念館」として保存・展示されています。
 大きな窓からのぞくと、殺風景な木製のベッドが2台置かれていました。「不治の病」とされていた当時、患者たちはどのような思いでこの小屋で過ごしていたのでしょうか。

少し離れたところに「清瀬病院跡地」の説明板。2018年に清瀬市の文化財(旧跡)に指定されているとのこと。ちなみに1931年に開設される時には住民の間に反対運動があったことも記されています。
 すぐ隣には「日本初の理学療法士・作業療法士の養成所発祥の地」と刻まれた石碑も。近くには国立看護大学校もあります。

清瀬小児病院の跡地は、アカマツ保全林地として整備・開放されています。見事なアカマツ林。市から維持管理作業を委託されているというシルバー人材センターの女性が、詳しく説明して下さいました。

これからも身近なところから史跡巡り等を続けていきたいと思っています。などと呑気なことをことを書いていますが・・・、
 世界に目を向けると超大国のリーダーは矢継ぎ早に関税政策などを発表(そもそもSNSで発表するってどうなの?)したと思うと、すぐに撤回や延期など。かの国には「朝令暮改」に当たる言葉はないのでしょうか。日本国内では交渉の「タマ」として農産物の一層の市場開放が検討されているとの報道も。
 一方で、別の核大国のリーダーは侵略中の国の首都をミサイルで攻撃し、子どもを含む多数の民間人が犠牲に。
 この世の中は理不尽に満ち満ちています。

(ご参考)
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
 https://food-mileage.jp/
 メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」
 https://www.mag2.com/m/0001579997