【ほんのさわり】青山文平『下垣内教授の江戸』

-青山文平『下垣内教授の江戸』(2024.12、講談社)-
 https://www.kodansha.co.jp/book/products/0000403193

【ポイント】
 幕末から明治にかけての動乱期に、豪農の当主から日本美術の大家に転じた元教授。日本が急速に近代化・資本主義化するなかでの世直し一揆の状況も描かれています。

明治初期、創立されたばかりの東京美術学校で教授を務めた「当代きっての日本美術の目利き」下垣内邦雄は、78歳の時、取材に訪れた新聞記者に「俺は人を斬ろうとしたことがあるんだよ」と告白するところから物語は始まります。
 邦雄は多摩の豪農の次男。江戸で「お気楽に書画なんぞ」を習っていた18歳の時、歳の離れた兄(当主)に呼び戻されます。その前年・慶応二(1866)年には、米価の高騰等を背景に武州世直し一揆が蜂起。自衛のために組織した農兵隊の指導者でもあった兄は、戦闘で三人を斬っていたのです。
 その兄は訓練中の鉄砲の暴発で事故死し、急きょ家を継ぐことになった邦雄は、生前の兄の「おまえも一度斬ってみたらどうだ。そのくらい腹を据えてかからないと、この先、豪農はやっていけんぞ」との言葉を胸に、武者修行に出かけます。
 そして、ある家族と運命的な出会いをしたことをきっかけに、日本美術の道に進むこととなるのです。

心に響くストーリーです。それだけではなく、幕末から明治にかけての日本が置かれた状況についての記述にも興味を引かれました。横浜開港以来、日本は近代化(資本主義化)の波に急速に飲み込まれていきます。資本は常に増え続けようとする生き物であり、人間は資本が増えるための世話をさせられているに過ぎません。そして武州世直し一揆とは、それまでの年貢の減免やお救い米の下賜など「仁政を求める作法通りの一揆」とは全く異なり、「カネの世の中」を打ち壊すこと自体を目的としていたというのです。

その武州世直し一揆は短期間で鎮圧され、明治に入ってからも秩父事件等の抵抗運動はあったものの、日本は日清・日露戦争を経て急速に近代化・資本主義化の道を突き進み、さらに80年前の敗戦を体験し現在に至っているのです。

出典:
  F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
  No.314、2025年4月12日(土)[和暦 弥生十五日]
  https://food-mileage.jp/2025/02/10/letter-309/
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