【ブログ】スタディツアー in 多磨全生園

2025年5月30日(金)は、断続的に細かな雨が降る中を埼玉・川越へ。
 川越工業高校には、柔道大会出場等とともに国家資格合格者(甲種危険物取扱者等)の名前の垂れ幕も。
 久しぶりの cha cotton 。福島オーガニックコットン・ボラバスツアーで知り合った方が、70年前に建てられた木造の実家を改装されてオープンされた、小さな喫茶店です。

店内にはオーナー手づくりの手芸品。こだわりのオーガニックのコーヒーや狭山茶は美味です。
 少しだけ綿繰りをさせて頂きました。かりかりとハンドルを回すと、種から分離された綿がもくもくと出てきます(なかなかの快感!)。現在、綿繰りボランティア募集中とのこと。お問合せは Cha cotton まで。

翌5月31日(土)は、断続的に強い雨が降る生憎の天気になりました。時折り雷鳴も。
 9時40分頃に国立ハンセン病資料館に到着。正しい知識の普及啓発による偏見・差別の解消、患者・元患者とその家族の名誉回復を図ることを目的とした施設です。

 すでに入り口前には多くの方たちの姿。ひっきりなしにタクシーも到着します。
 この日、開催されたのはスタディツアー in 多磨全生園。主催は市民グループ「ハンセン病問題を知る企画実行委員会」(事務局:全生園の明日をともに考える市民の会(あすとも))です。

資料館と施設を見学する前に、まず、佐久間 達先生によるレクチャーです。参加者は15名ほど。若い人の姿が目立ちます。
 佐久間先生は30年ほど前に近隣の小学校に転勤されてきて、偶然ハンセン病資料館のことを知り、それ以降、子ども達や市民にハンセン病についての啓発活動に取り組んで来られているそうです(以下、文責は中田にあります)。

 資料館は1993年、入所者の方たちの運動により開設されたとのこと(2007年に国立の施設に)。
 多磨全生園(療養施設)は1909(明治42)年に開設。学校、郵便局、理美容室、寺社や教会、さらにはテニスコートもあるなど、子ども達や若い元気な人たちを含めて強制収容・終生隔離が行われ、患者労働も行われていました。火事になっても消防署は来てくれないため、自前の消防団もあったそうです。

 佐久間先生は、ある入所者の「全生園という名前は嫌いだ。人生のすべてをここで送るかのよう」という言葉が忘れられないとのこと。
 ライ予防法の制定と89年後の廃止、国家賠償訴訟等の経緯。さらに若い世代に差別や偏見が無くなっていないという調査結果等についても、分かりやすく説明して下さいました。

佐久間先生は「これまで多くの入所者の方たちにお話を伺ってきた。なかには亡くなられた方、体調を崩されている方もおられる。この方たちの話を伺ってきた以上、その思いを受け継ぎ、若い人たちに伝えていきたい」と、話されました。

10時40分頃から資料館の見学へ。
 展示室1は歴史展示。かつてハンセン病は業病とも呼ばれ、日本書記や一遍上人の絵巻にも記録されていること。明治後期以降の隔離政策により偏見や差別が助長されたこと。2001年に隔離政策が違憲とされた司法判断後も菊池事件の再審請求が認められていないこと等について、パネルや展示品を示しながら佐久間先生が解説して下さいました。

展示室2は、療養所での過酷な暮らしについて。養豚、養鶏、養蚕など農作業も患者労働として行われていたこと。復元された重監房(懲罰のための特別病室)、断種や堕胎についての展示もあり、次第に気持ちが重たくなります。
 展示室3は「生き抜いた証」、証言映像を視聴できるコーナーもあります。

11時40分頃からは、多磨全生園内の見学。
 元学芸員の稲葉上道(たかみち)さんが、納骨堂の前で待っていて下さいました。
 開園以来4000人以上が亡くなっており、近くにはホルマリン漬けされた胎児や新生児の「尊厳回復の碑」もあります。

人権の森宣言の碑」を見学した後、園内にあるお食事処・なごみで昼食。入所者の自治会が運営しているお店とのことで、名物という鶏五目釜めしを頂きました。
 壁には映画『あん』に関連するポスターやパネル、撮影に使用された衣装などが展示されています。このお店でもロケが行われたそうです。

食事後は、入所者の方たちが建立した永代神社、隔離の象徴でもあった柊(ひいらぎ)の垣根、収用門や監禁室の跡等を見学。
 時折り強くなる雨の中、稲葉さんが手作りのパネルを使って熱心に説明して下さいます。

さらに、土塁と堀の遺構、復元された山吹舎(12畳半に多い時は8人が生活していたとのこと)、親たちから引き離された子どもたちが学んだ全生学園の跡、入所者の方たちが故郷を偲ぶために築いた山(望郷の丘)等を見学。

なごみに戻ってきたのは14時40分頃。出して下さったジュースを頂きながら、参加者同士で感想を述べあうなどなど振り返りの時間です。
 外国人など差別は多層的だったことを知ったという女性、神奈川・小田原からボランティアで通っているという女性。地元の男性からは、近年になって旧奉安殿など様々な建物が取り壊された経緯等を記録として残すべきではないかとの意見。

 続いて佐久間先生、稲葉さんを囲んでの質疑応答や意見交換。
 佐久間先生は「現在の入所者の方だけではなく、かつて生きていた人の尊厳も尊重すべき」。稲葉さんは「意味のかたまりのような建物や森林が、失われていくに任せてはいけない」等と発言されました。

なごみを切り盛りする熊谷尚子さん、藤崎美智子さん(みっちゃん)からも話を伺うことができました。10年前には250人いた入所者数は現在は80名ほどに減少するなど、なごみをめぐる環境も大きく変化しているそうです。

 みっちゃんが絵本『わたしの命の物語』(脚本・ドリアン助川)を読んで下さいました。亡きご主人の、子どもを持てなかった辛い思いを基に、ドリアン助川さん(『あん』原作者)が絵本にしたものだそうです。
 声を詰まらせながら、国の法律によって生まれることが許されなかった子どもの「誰かを抱きしめるために生まれてきたかった」との台詞も読んで下さいました。
 そして最後に、「なぜ全生園を将来に残していく必要があるか、皆さんも学習して知恵を出し合ってほしい。みんなでここを守っていきましょう」と訴えられました。

散歩コースでもあり、私はこれまでも多磨全生園やハンセン病資料館は何度も訪ねてきました。この春には桜も観に来ました。4年前には、読書会を通じて知った井深八重のことを調べるために図書館にお世話になったこともあります。
 しかし、今回のようにきちんとレクチャーを受け、説明を聴きながら見学したのはのは初めての経験でした。全生園の明日をともに考えようとしている市民の方たちがいることも、初めて知りました。

今回、様々なパンフレットのほか、佐久間先生のご新著『13歳から考えるハンセン病問題』も入手することができました。
 学ばなければならないことが、世の中には数多あります。

(ご参考)
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
 https://food-mileage.jp/
 メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」
 https://www.mag2.com/m/0001579997