2025年6月8日(日)は、和歌山・みなべ町へ。
福島オーガニックコットンや Present Tree のツアーで何度かご一緒した島野裕子さんに、梅収穫ワーケーションのツアーに誘っていただいたのです。主催は、島野さんたち立教セカンドステージ大学の同窓生の方たちが立ち上げた(一社)アクティブサポーターズ。
都市部に暮らすアクティブなシニア世代が、ボランティア活動や交流を通じて農山村の課題解決をめざす団体で、略称は「アクサポ」です(悪のサポーターではありません)。

自宅近くの駅から始発で出発。東海道新幹線から新大阪で乗り換えた特急くろしおは、パンダの顔。車内外にはSDGsのマーク等でラッピングされています。
目的地近く、アオウミガメの産卵地という千里海岸ではスピードを落として運行。
定刻11時14分に、みなべ駅に到着。低い雲が垂れこめ、時折り細かな雨が落ちてきます。
島野さん、立教セカンドステージ大学の教員を務められている大和田順子先生ご夫妻たちと合流し、レンタカーに分乗してうめ振興館へ。
梅の資料や歴史が展示されています。2015年に世界農業遺産に認定された「みなべ・田辺の梅システム」のジオラマも。農業遺産の専門委員も務められていた大和田先生が補足説明して下さいます。ウミガメもこのシステムの一部(お陰)とのこと。
昼食には、大和田先生おススメのお弁当を頂きました。もちろん、梅干し入り。

昼食後、参加者9名は3組に分かれて受入れ農家に向かいます。
ワーケーションとは Work × Vacationの造語で、都会の人たちが梅収穫作業を行う取組みが4年目になるとのこと。運営は(一社)日本ウェルビーイング推進協議会(島田由香代表)が担っています。
私を含む3名を受け入れて下さったのは、東光淑行さん。
気さくで明るい人柄で、奥様、毎年アルバイトで来ているという漁師の青年との息もぴったりです。
作業場から軽トラに分乗して狭い山道をぐんぐん登り、13時頃に畑に到着。陽射しはなく雨も落ちていません。眺望も見事です。
2種類のタモ網を使った収穫作業(完熟して自然に落ちた果実を拾う作業)を、手本として実演して下さいました。「簡単だから。葉っぱなんかが入っても気にしないで」と言われ、それぞれタモ網とカゴを渡されて、指示された方向に散っていきます。
ちなみに畑の地面には、一面、青いネットが張られています。

確かに作業自体は難しいものではありませんが、傾斜もきつく、頭をぶつけないように(何度もぶつけました)低い枝をかいくぐりながらの移動と作業は、腰をかがめっ放しでなかなかキツい労働です。
東光さんによると、今年は花がたくさん咲いて豊作を期待していたところに激しい雹(ヒョウ)が降ったそうで、確かに落果する前の果実を見ても無数の穴や傷がついています。残念ながら2年連続の不作が予想されているそうです。

14時過ぎ、コンテナがいっぱいになったところでいったん作業場に戻り、コンテナを下ろして(東光さん、さすがの腕力)最初の休憩。梅ジュースとパンを頂きました。
周囲には大きなタンクと、積み上げられた塩の紙袋。ここで一次加工まで行うそうです。
バイトの漁師青年は、四国沖で大きなイカやカツオを釣った話などをしてくれました。

30分ほどの休憩の後に向かった畑は、それほど傾斜はきつくありません。それでも枝は低く、腰をかがめての作業が続きます。3か所目は、ご自宅の近くのさらに平坦な畑で同じ作業。
それにしても、梅の収穫に必要なのは謙虚さです。頭が高いとできませんから(小咄のつもり。笑って下さい)。
東光さんからは、「後ろを振り返らず前だけを見て進むように。人生と同じ」との金言。拾ったばかりの畑も、後ろを振り向くと新たに梅が落ちています。確かにいちいち戻って拾っていると作業は捗りません。

2回目の休憩の後、最後に選果作業を見学させて頂きました。
機械に流し込んでいくと自動的に大きさ毎(M~4L)に分別されます(左の写真、大きなダイダイは漁師青年のいたずら)。
確かに全く無傷の果実はほとんどありません。傷のある果実は丸いままの梅干しではなく、ペーストやジュースの加工向けになるそうです。
17時近くになって、この日のワーケーションは終了。
東光さんと奥様からは「本当に助かりました」等と丁寧なねぎらいの言葉を頂き、かえって恐縮です。この日、私たちはたかだか4時間弱の作業(うち計1時間ほどは休憩)でしたが、梅農家さんは7月初旬まで1か月以上、毎日(カンカン照りの日も雨の日も)この作業が続くそうです。しかもこの日は気温も高くなく、雨もほとんど降らないというベストの条件でした。
また、東光さんは「ワーケーションを受け入れるようになって、作業も手伝ってもらえるだけではなく、都会の人たちと交流できて自分も変われたような気がする。本当に有難い」とも仰っていたそうです。

作業が終わるのを見越していたかのように、雨が落ちてきました。
この日の宿泊地である国民宿舎・紀州路みなべにチェックインしたのは17時20分頃。和室は清潔で広く、露天もあるお風呂からは海を望むことができます(写真は翌早朝、人のいなかった時に撮影)。
夕食・懇親会の会場は、徒歩10分弱の焼き鳥屋さん。ここも大和田先生おススメです。
若い梅農家の尾崎慎哉さん(東京でジャズシンガーをされていたとのこと)、島田由香さんも参加して下さいました。
お刺身、焼き鳥に梅酒ソーダなど。最後は鶏釜めし。
帰途、いい気持ちになって歩いていると側溝に足を取られ、膝をすりむくというオマケ付き。

翌10日(月)の朝食には、もちろん梅干し(南高梅と辛い白梅干しの2種類)。ほかに地物のしらすと地魚漬け、豆腐のせいろ蒸しなど。梅干しがあるとご飯が進みます。自家製の梅ジュースも美味。
昨日より強い雨の中、宿の裏手にある遊歩道を海岸まで散策してみました。引き潮だったようで、岩には一面のカメノテなどが貼り付いています。

車に分乗して、みなべ町役場へ。
確かに日本で唯一の「うめ課」は実在していました。この日の午前中は座学です。
島野裕子さんの進行で開始。
33歳の山本秀平町長(実家は梅農家)からは「梅は日本の食文化を象徴していると誇りに思っており、その魅力を未来につないでいきたい。また、梅雨時も作業する梅農家の現状も知ってらいたい」等の挨拶を頂きました。
なお、町長は最後まで同席し、意見交換等にも参加して下さいました。

第1部は、医学博士・宇都宮洋才先生による「特許を持つ梅の医学的効能」と題する講演。
子どものころは梅は大嫌いだったそうですが、現在は、梅は健康にいいとする様々な言い伝え(食中毒、胃潰瘍、動脈硬化、風邪の予防など)を、科学的・医学的に実証するための研究をされているとのこと。その成果は、実用的な知識とともにご著書でも紹介されています。
なお、梅が新型コロナウィルスの感染や増殖を抑制するという研究成果効果については、一昨年11月に特許が認められているとのこと。
質疑応答では、梅干は塩分取り過ぎの原因になるのではないかとの質問も。宇都宮先生からは「厚生労働省が推奨する1日当たり塩分摂取量(6g)に比べると、梅干し1個の塩分は0.6~1gほどで、冷凍食品等に比べると非常に少ない」等の回答がありました。

第2部は、うめ課の職員の方から「梅産業の現状と課題、SDGs未来都市、バイオ炭の取組み」についての説明。
南高梅の歴史(南部高校もかかわったこと等)、町では約6割が梅関連産業に従事していること、今年の降雹(ヒョウ)の被害額が47億円(みなべ町だけで24憶円)と見積もられていること等の説明がありました。
また、今年から企業に義務付けられた熱中症対策が梅の消費拡大に期待されるとも
。
意見交換では、参加者からは若い頃から梅作業に触れる経験が大切では、特に女性のためには畑の安全対策が重要等の意見や感想が出されました。

昼食は、オープンして間もない梅料理と梅酒バー・梅村(バイソン)で。
この日が初めてというランチは、梅をふんだんに使った和定食と、しらすと梅がトッピングされたピザの2種類。どちらも大変、美味でした。
地元出身のオーナーの本業は電気業とのこと。これまで地元で梅料理や梅酒をふんだんに楽しめるお店がなかったため、交流人口の拡大も期待して自らオープンされたそうです。アメリカへの留学経験もあり、ステージにはドラムセットが置かれ、ライブやスポーツ観戦ができる店にもしたいとのこと。

最後の目的地であるたかだ果園は、高台にあり、南高梅発祥の地でもあります。
眼下は一面、梅畑という見事な眺望。花の季節を想像するだけでため息が出そうです。
強い雨の中、代表取締役の高田智史さんが案内して下さいました。
先々代が100年以上に見出された南高梅の母樹は、現在も花を咲かせ実を着けているそうです。

丘の上にある「見晴しハウス」は、県産材をふんだんに使用した気持ちのいい空間。加工や様々な体験の場としても活用されているそうです。梅ジュースなどを頂けるカフェも併設されています。
ここで高田社長から、「農福連携と有機栽培でのひと造り・もの造り」と題した資料を用いて説明して下さいました。
紀州高田果園は会社としては2004年設立。農園の約85%は有機栽培でJAS認定を取得されているとのこと。一方、2006年に設立したNPO法人「南高梅の会」は、就労継続支援A型事業所に認可(2009年)されています。
グループとして、梅の栽培から加工・販売までを一貫して行っており、その基本指針は「土を育て、梅を育て、人を育てる」ことで、「誰ひとり取り残さないこと」が包括的な目標になっている等と、熱く語って下さいました。メンバー(障がい者)と社員が、仲間として、毎日仕事をすることで、人と人の結びの大切さ、思いやりを学ぶ機会になるとも。
国が本格的に取り組み始める前から、ここでは農福連携の実績を着実に積み上げられてきているのです。

母屋に併設されている店舗まで下り、有機JAS認定の梅干しを2種類(紫蘇と白)と、梅ビネガーを求めさせて頂きました。梅干しにはノウフクJASマークも付されています。プレミアムな梅酒も試飲(だけ)させて頂きました。
15時40分頃、高田社長にお礼を述べて、2日間のアクサポツアーはここで解散です。
宇都宮先生や現地の皆様。島野さん、大和田先生はじめ企画・参加された皆さま、大変お世話になり有難うございました。貴重な得難い経験をさせて頂きました。
ぜひ、多くの方に梅収穫ワーケーションを体験して頂きたいと思います。

島野さんが紀伊田辺駅近くのホテルまで送って下さいました。雨の中、大変助かりました。
せっかくなのでもう1泊して、10年程前に熊野に移住された友人ご夫妻を訪ねることにしたのです。
5月末にオープンしたばかりのコンフォートホテル紀伊田辺は、部屋も設備も新しくて快適。朝食会場にもなるライブラリーカフェが併設されており、絵本(『よるくま』を読みました。)や郷土書などが並んでいます。
このような様々な「図書館」が、街中に増えていけばいいのですが。
一休みしてから、ホテルの宿泊客にも人気らしい(ロビーには口コミのカード)居酒屋へ。
名物というエビ団子、モチカツオなどのお刺身、鰺の1本寿司、50円(!)の冷ややっこなどを堪能。
偶然、隣どうしになった横浜から来られたご夫妻とは、翌日、熊野本宮で再会することに。

翌日も雨。時折り激しく降ったり、逆に陽が射して来たりと不安定です。
紀伊田辺駅前を8時32分発、熊野行きのバスは、ほとんどが外国人観光客。運転手などバス会社の方も英語が堪能です。
途中のバス停までKさんご夫妻が出迎えて下さり、まずは、世界遺産である熊野本宮大社に参拝。ここにも外国人観光客のグループなど。
社殿の裏手にあるオオカミみゅーじあむ (兼 古書店)も案内して下さいました。ヨーロッパでもオオカミが復活しつつあるそうです。

大斎原(おおゆのはら)は、明治22(1889)年の大水害で現在の位置まで遷座するまで本宮があった聖地。
この時は雨も上がり、稲が伸び始めた水田が目に美しく映ります。梅かと思った緑色の実は、オニグルミの若い果実でした。
八咫烏に由来する「みつあし」というお店で梅塩ラーメンなど。山道の途中でたこ焼きも購入。
それにしても移住して10年になるKさんご夫妻、上映会の主催やマルシェへの出店等を通じて、多くの方と顔見知りになっておられるようです。

やはりKさんご夫妻の知合いの方に、紀州備長炭の窯を見学させて頂きました。
ウバメカシ等の原木は自分で伐り出し、窯も石と土で手づくりしているとのこと。上部は円形ではなく、焼き上がった炭を取り出しやすいようにおむすび型になっています。焼いている間は、窯の脇の小屋で数時間ずつの仮眠しか取れないとのこと。
備長炭は、叩き合わせると透明な音がします(紀伊田辺駅には炭琴が置かれていました)。水を浄化するなど海外でも人気とのこと。ニーズは大きいものの、重労働であること等から炭焼き職人は減少しているそうです。
この方たちの伝統の技が、世界農業遺産「梅システム」の最上流部分を支えていることを実感することができました。

Kさんご夫妻自宅近くの高原熊野神社に参拝。
南方熊楠の合祀反対運動によって残された神社とのことで、雨に煙る境内の楠の巨木が神々しいまでに見事です。
世界遺産・熊野古道も、少しだけですが歩くことができました。

Kさん宅にお邪魔して猫さんに挨拶、お茶やお菓子を頂いた後、紀伊田辺駅まで送って頂きました。お忙しいところ有難うございました。お陰で(Kさん宅を含む)念願の熊野を訪ねることができました。
紀伊田辺15時32分発のくろしお、新大阪で新幹線に乗り換えて21時30分前に品川着。自宅に到着した時は23時を回っていました。
充実した梅収穫ワーケーションと熊野訪問、心地よい疲労感(と擦りむいた膝の痛み)が残った和歌山旅行でした。
(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」
https://www.mag2.com/m/0001579997