2026年4月15日(水)18時30分過ぎ、東京・神楽坂に着いた頃には雨が落ち始めていました。赤城神社に参拝した後、セッションハウスへ。
ここで19時から開催されたのは渡辺一枝トークの会「福島の声を聞こう vol.53」。
主催者の渡辺一枝(いちえ)さんは作家、エッセイスト。
渡辺さんからの「原発事故被災地・福島には今も多くの問題がある。対話の中で解決策を見出していきたい」等の開会挨拶に続き、ゲストスピーカーの門馬好春(もんま・よしはる)さんが紹介されました。
門馬さんは、その中間貯蔵施設の地権者有志からなる「30年中間貯蔵施設地権者会」の会長を務めておられる方。中間貯蔵施設については、私を含めて東京の住民(東京電力に電力供給の受益者)にはほとんど知られていませんが、福島県内の除染に伴い発生した土壌や廃棄物等を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵する施設です。事故を起こした東京電力・福島第一原子力発電所と同様、福島・大熊町と双葉町にまたがって立地しています。
門馬会長のお話を伺うのは、昨年6月にいわき湯本の温泉旅館・古滝屋にある「原子力災害考証館Furusato」からのオンライン配信に続いての2回目。ご著書『未来へのバトン』も拝読しています。

門馬さんのお話(スライド)のタイトルは、「復興という名の赤紙~ご先祖様から未来の子供たちにバトンを繋ぐのは私たち大人の責任」。えっ、「赤紙」って?
15ページのスライドは印刷して、東京新聞の連載記事(「私の東京物語」、2024年3月)とともに参加者全員に配って下さっています(なお、以下の文責はすべて中田にあります)。
門馬さんは「現在、復興が進んでいるとされるが、住民は蚊帳の外に置かれている。『復興は演出』『復興暴力』等と称する人もいる。帰還を促しながら放射線については自己管理が原則とされ、一方で補助金を使って移住者を招いている。国・東電は信頼できない。
今日は歴史的な時間軸の中で、現在の状況について考えてみたい」と話し始められました。

戦前、門馬さんの祖父母たちご家族は現在の東電・福島第一原発2号機の西側に住んでいたそうです。それが1940年、旧陸軍の磐城飛行場建設のために「最初の追い出し」に合い、現在の中間貯蔵施設のエリア内に転居されたとのこと。
門馬さんは、スライドの航空写真で実家と田んぼの位置を指さして下さいましたが、まさに福島第一原発の敷地に隣接しています。
ちなみに福島第一原発の構内に残る飛行場跡地の碑は、現在は「汚染水」タンクの南側にあるそうです。門馬さんは「私は処理水等ではなく、あえて汚染水、汚染土という言葉を使っている」と断られました。門馬さんの語り口は総じて穏やかで、ご自身の主張を込められるときも控えめです。また、ご自身の考えについてはその旨を、他人からの伝聞情報についてはそのことをきちんと明らかにされるなど、好感を覚えた次第です。。
そして2011年3月の原発事故により、大熊・双葉両町民は『2回目の追い出し』にあいました。さらに中間貯蔵施設が整備されることになって、大熊・双葉両町の中間貯蔵施設エリアの住民3千人は『3回目の追い出し』にあったというのです。
これらの経緯が掲載されている「財界ふくしま」の記事も紹介して下さいました。

中間貯蔵施設の用地については1600haの多くが契約済みで、これは東京・渋谷区の面積を上回る広大な面積だそうです。沖縄から視察に来た人が「嘉手納基地と同じだな」とつぶやかれたことが印象に残っているとのこと。
2023年2月に実家で撮影された写真も見せて下さいました。屋内は獣害等でめちゃくちゃな状態だったそうです。防護服に身を包んで縁側に座っている門馬さんの視線の先にあるのは、福一(門馬さんは、事故を起こした東電・福島第一原発のことをフクイチとも呼ばれます)。見ているのではなく、睨んでいるのだそうです。
「自分の実家に行くのに、なぜ許可を得てバリケードを開けてもらわなければならないのか。何とも無念」と心情を吐露されました。
その実家も今は解体され、今年2月時点での地表面の線量は3.5μSv/hだったとのこと。同じ測定器によると、この日の会場(東京・神楽坂)の空間線量は0.06μSv/hと表示されていました。測定器は、会場参加者に回して見せて下さいました。
大熊・双葉町における実際の測定値は、道路上と道路わきでは2~5倍、最大10倍の違いがあるとのこと。測定器上限の10μSv/hが振り切れた場所もあったそうです。

2011年6月に中間貯蔵施設の構想が示されてから現在までの「理不尽な経過」についても、詳細な説明がありました。
「最初に菅総理から佐藤知事(いずれも当時)に直接要請があった。外堀を埋めてから、2014年に入ってから地権者に対して一方的に通告された。石原伸晃環境大臣(当時)の『最後は金目でしょ』発言もあり、地権者は大きく反発した。この間、仮設住宅に住む高齢の地権者ご夫妻のところに押しかけて売却を迫るなど、恫喝的な交渉も行われた」
「その後、全面国有化の計画は見直されたものの、環境省による土地使用料計算の考え方は法律等のルールを逸脱したもので、仮置き場等と比べても不平等。とにかく国は、貸し付けるより売った方が得だと思わせたいらしい」
さらに、中間貯蔵施設の整備は、本来、事故原因者の東電が責任をもって行う事業のはずであること。法律により30年で県外の最終処分場に搬出することとなっているものの具体的な工程は曖昧であり、名称も「中間」ではなく「30年間仮置施設」等とすべきであること。その意味で会の名称も「30年中間施設地権者会」としていること等についても説明して下さいました。
また、今まで両町や町民は避難先で、「自分たちで誘致した加害者のくせに、被害者ヅラをするな」といった誹謗中傷を浴びせられたこともあったそうです。
時に言葉を絞り出すように話される門馬さんの無念そうな姿と表情が、心に刺さりました。

10分間の休憩の後、20時45分から質疑応答。
環境省の土地使用料計算の式・ルール(30年後にはマイナス、つまり地権者が環境省に支払うことになる計算)が理解できない等の意見が多数。
門馬さんは「国や東電は、国民全員の問題に転嫁するのではなく、事故を起こした者としての責任を果たすべき」と改めて強調されました。
渡辺さんからも「そもそも原発は廃棄物処理等の見通しがないまま進められたきた。再稼働などとんでもない」等の発言。
これを受けて門馬さんからは「中間貯蔵施設の構想が公表された時には『二次被害ではないか』と指摘する外国の特派員もいた。仮に原発被災地にセットで最終処分場を置くこととなれば、再稼働推進の流れに大きく資することとなる」等の発言。
避難指示が解除されると固定資産税が課税されることとなるなど、国はしたたかであるとも。
門馬さんは最後に「様々な課題があるが、ひとつひとつ、何をどうしていくか考えていきたい」と決意を述べられました。
この日の会は知人に教えてもらったのですが、このような会が連続開催されていること自体、存じ上げませんでした。終了後、過去の会の内容を再構成してまとめられた書籍(全2冊)を求めさせて頂きました。しっかりと拝読させて頂きます。

東電・福島第一原発の事故から15年を過ぎ、中東情勢もあって、ますます原発再稼働のみならず新増設への流れが強くなってくることが懸念されます。
ところが事故を起こした東京電力の受益者である関東の住民等は、原発事故の後始末、現地の方たちへの「しわ寄せ」の現実や無念な思いについて、全く無頓着です(知らない、知ろうともしない)。一人でも多くの方に、門馬会長のお話を聞いて頂き、ご著書(「事実の積み重ね」とサインして下さいました。)を読んで頂きたいと思います。
(参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
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https://www.mag2.com/m/0001579997
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