2026年7月22日(火)19時から、第12回 食と農の未来フォーラムをオンライン開催しました。
この日のゲストは歌人の三原由起子さん。
テーマは「原発事故被災地の今~ふるさと・浪江町に寄せる歌人の想い」です(詳細、過去の開催実績等(チラシ)はこちら)。
今回は早々にPeatixのチケット(80枚)が売り切れ、アーカイブだけでもと全体で100名以上の方が申し込んで下さり、三原さんの友人やファンの多さを実感しました。
当日は、リアルタイムで40名ほどが参加して下さいました。
三原さんからのお話に先立ち、中田から東京電力・福島第一原子力発電所の事故の被災地の現状等について、予備知識的な説明をさせて頂きました(中田の説明資料の全体はこちら)。
自己紹介に続いて「食と農の未来フォーラム」の趣旨と開催実績について説明。「食と農」と銘打ってるものの、「食」とは命そのものであり、命というキーワードのつながりで人権、戦争・飢餓、東電 原発事故など幅広いテーマを取り上げている旨も補足。
浪江町の現状について、町のHPの情報に沿って紹介させて頂きました。
2017年に一部地域の避難指示が解除されたもの、現在もなお広い地域に避難指示が継続していること。現在の居住者数は約 2,400人と震災当時の11.2%と現在も多くの方が避難中であり、意向調査結果によると避難者の過半数は「戻らないと決めている」としていること等。

被災12市町村全体の居住率と営農再開率の推移、国のエネルギー基本計画(昨年、原発を「最大限活用」する旨の改訂)についても紹介しました。
続いていよいよ三原由起子さんから、「原発事故被災地の今~ふるさと・浪江町に寄せる歌人の想い」と題してお話を頂きました(三原さんの説明資料はこちら。なお、以下の文責は全て中田にあります)。
1979年、浪江町新町通りの乗り物センター三原(自転車屋とおもちゃ屋)の長女として生まれた三原さん。お父様に抱っこされお母様に見守られている子どもの時の写真も見せて下さいました。
先生に勧められて中学一年生の時に詩を、高校時代から短歌を作り始め、コンクールで受賞するなどして自信を取り戻せたこと、先生方との出会いに恵まれなければ今の私は無かったとの感謝の言葉も述べられました。
また、高校二年生の時にはNHKのど自慢に出場して合格の鐘を鳴らしたとのこと。現在も作詞作曲、歌手やダンサーなど、短歌に限らず多才な方です。

その後、東京の大学に進んで卒業後は出版社(本阿弥書店)に就職。現在は東京・下北沢で詩歌文芸出版社「いりの舎」をご主人とともに経営されており、(一社)浪江町地域文化フォーラムの理事等も務めておられます。
まず、高校時代から2011年3月11日以前の歌を紹介して下さいました。
3年間、1時間以上かけて常磐線でいわき市の高校に通っていた頃の、車窓から眺めた太平洋に励まされたこと。まさかこの海から津波が来るとは思いもしなかったそうです。
結婚の挨拶のため、彼氏を実家に連れて帰った時の短歌。噂が広まっていて、くすぐったいような、同時に商店街に育てられていたんだという実感を表現されています。その商店街の姿が大きく変わってしまうことも、本当に思いもしなかったとのこと。
「こんな穏やかな短歌を作っていたかったが、2011年3月11日から大きく変わってしまった」と三原さんは話されました。

2011年3月11日は東京・原宿のビルの6階で働いていて、階段で避難した時に同僚のiPadの画面をのぞいてみると、福島県の浜通り、浪江町のあたりは震度6強を示す真っ赤に染まっていたそうです。
「iPad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤」
第一歌集『ふるさとは赤』のタイトルにもなった短歌です。
実家の両親や祖母は避難を強いられ、三原さん自身は当たり前のように東京での反原発デモに参加するようになったこと。「ふるさとの日常を奪われた私たちが声を上げなければ、誰が声を上げるのかと思った」からだそうです。
今も原発作業員として働いている幼馴染からの絵文字入りのメールを基にした歌も紹介して下さいました。原発事故をめぐる立場や考えの違いもあり、同級生と集まる機会が難しくなっていることには心が苦しい、とも話されました。

震災後初めて浪江町を訪れたのは、2014年1月だったそうです。灰色と予想していた故郷は、山並みも海も空も青かったそうです。
しかし海岸近くには、水平線に届いてしまいそうなくらい積み上げられたフレコンバッグの山。「その一つひとつに私たちの故郷が詰まっている」と三原さんは感じたそうです。
国は多額の予算を投じて、広告代理店に請け負わせて復興のイメージづくりを繰り広げているが、これは、原発事故が現在進行中であり、収束まで遠い道のりがあるという現実から目を背けさせているのではないか。「仮説」「中間」など、その場しのぎの便利な言葉も横行している、とも。
2021年には、私の実家も、私が通っていた浪江小学校も解体された。まさかこのようなかたちで実家や母校の歴史が終わってしまうとは、夢にも思わなかった。多くの軒を連ねていた新町商店街も、今は更地が広がっている。
原発事故は、故郷の豊かな自然を根こそぎ汚染し、人の心を蝕み、さらにアイデンティティまで奪ってしまった。
原発再稼働のニュースに接すると「心臓が脳が身体が地団駄を踏む」。避難している人や被害にあった人たちは、どう感じているだろうか。

現在は、復興と言われてしまえば何でもありの風潮になっている。本当の心を言葉にできない空気になっている。
「創造的復興」の象徴として、浪江駅前では、有名建築家やアートプロデューサー、大手商社などが中心となって駅前開発が進められているほか、浪江小学校跡地では、産学官連携施設の大規模工事が始まっている。
復興という言葉が免罪符のように使われ、原発事故がなかったことにされていく空気感というのを打ち破りたい。
皆さんに今日一番伝えたいことは「復興は演出である」ということ。5月に開園したばかりの国営追悼・祈念施設にも、「演出」された祈りを感じる。
現在、国を挙げて多額の予算を投じてPRしているが、福島はもう大丈夫だなんて決して思わないで下さい。事故からたった15年しかたっておらず、原子力緊急事態宣言も解除されていない。(そのPRを信じて)原発事故や復興が風化・美化されていくことに加担しないで下さい。
現在の浪江町は、帰る人、帰らない人、帰れない人、移住者など、様々な立場の人たちが形成している。故・馬場 有 町長が遺された「どこに住んでいても浪江町民」という言葉が、避難した浪江町民や出身者の心の支えとなっていた。
愛郷心によって様々な矛盾や葛藤を抱えつつ、住んでいる場所や立場が違っても、ふるさとを愛する気持ちを大事にしていきたい。。

9月に開催される、第18回「浪江を語ろう!」、浪江町の家族を追ったドキュメンタリ映画『三角屋の交差点で』上映会、東京・下北沢での短歌朗読ライブについてのイベントの告知をして下さいました。
次回の「浪江に語ろう!」での発表者二人が生まれ育った、酒井地区は、かつては自然豊かだったのですが、現在は太陽光パネルが敷き詰められているそうです。

後半は、参加者との間での意見交換です。
「三原さんの歌が2011年3月11日を境に激変していることを実感した。懐かしい風景が壊されていくのは東京でも同じ」等の発言に、三原さんからは「今日は自分の結論を述べるのではなく、自分のモヤモヤを問いかけさせて頂いた。みんなモヤモヤを吐き出し、一緒に考えていきたい」等のコメント。
「自分も東北に住んでいたが、復興の現状や愛郷心について歌い上げていることに感じ入った。国の伝承館等の展示は、行政が見せたいと思っている復興の姿ばかり」との感想を述べて下さった方。
福島出身で関西在住の方からは、
「福島代表としての発言が期待されるが、語るのは難しい。同窓会等でも他県に出ていった者が地元にいる人と原発について語るのは難しい」としつつ、「震災後から15年、三原さんにとって時代が変わったのはいつか」との質問。
三原さんからは「小中学校の解体延期の署名が町議会に否決された時は絶望感もあったが、その直後に歴史学者の方と知り合い、浪江町の歴史を残すことでこれからも浪江町と関わっていこうという覚悟ができた。第2歌集のタイトルのように自分も『土地に呼ばれた』人間の一人であると感じた」等の回答。
三原さんの高校時代の恩師で現在は都内の大学で教員をされているという男性からは、
「モヤモヤを持ち続けていくことが大切。広島等と違って地元・福島の問題に入って行くのは難しいが、違和感があることは言い続けていきたい。三原さんの活動は頼もしく思っており、これからも応援していきたい」等の発言。
三原さんからは「福島のことを学生に伝えられる立場にいる方がおられることは、心強く思っている」との回答。
名古屋から参加された方からは、
「浪江町だけではなく日本全体の問題と捉えた。原発回帰に舵を切った日本の現状には憤りを覚えている。小水力発電などエネルギーの地産地消に取り組んでいくことが重要であり、自分も沈黙せずに少しずつでも言葉を出していきたい」等の発言。
三原さんの説明資料に写真も提供して下さり、現在は飯舘村在住という新聞社勤務の方からは、移住者が増えていることについてどう思うかとの質問。
三原さんからは「浪江を語ろう!では、もともとの町民だけではなく、移住者の方も来てくれる。文化や歴史を大事にして残したいという同じ思いを大切にしていきたい」等の回答。
映画監督の方は、ご自身が監督された映画『陽なたのファーマーズ』とともに、営農型太陽光発電(ソーラーシェアリング)について紹介して下さいました。

最後に三原さんから、
「私もいつもモヤモヤを抱えているが、『復興は演出』という言葉については、早期に帰還されて復興の旗振り役をされているご高齢の男性が『よく言ってくれた』と言って下さって、自信を持てた。今日のような会を含めて、お互いの感想や想いを共有、交流し、心を強くしていければと思う」と訴えられました。
終了後は、ご都合のつく方に残って頂き恒例の延長戦(レコーディングなし)。三原さんを含めて20名弱の方が残って下さいました。
三原さんの歴史関係の活動に参加されている大学生、学生を連れて浜通りを訪問されてきたばかりという名古屋の大学教員の方からも発言を頂きました。
また、アーカイブをご覧になった方からもいくつか感想や意見が寄せられました。
ゲストの三原由起子さん、参加して下さった皆様、ご感想・意見を寄せて下さった皆様、有難うございました。
(追記)本ブログについてご感想、ご意見などお寄せ頂ければ幸いです。
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