【ブログ】ぶらり羽村散歩(中里介山の夢)

今年の秋は雨の日が多く、秋冬野菜の種蒔きが進みません。
 2026年9月14日(月)は久しぶりの青空に恵まれましたが、土が乾かないうちに翌日からは再び雨模様に。

その9月15日(火)、小雨の中、東京・羽村市を訪ねました。
 最近、お借りした『大菩薩峠』のDVDを観たり少し原作を読んだり、原作者・中里介山について少し調べたり(教えて頂いたり)たこともあり、また、来月には大菩薩峠の麓に当たる山梨を訪ねる予定があるので、介山の生地・羽村を訪ねようと思ったのです。

(地図をクリックすると拡大します)

地元の西武新宿線・東村山駅は、いつまでも高架化工事が終わりません。志村けん先生の銅像も移動されることになるのでしょうか。
 拝島からJR青梅線に乗り換えて羽村駅に到着したのは正午前。
 西口を出ると、細かい雨が落ちています。傘をさして観光案内所を訪ねると、何と休業日。出鼻をくじかれました。事前の調べ不足です。

気を取り直して駅に戻り、線路沿いを北に向かうと、真新しいJAの直売所がありました。
 「のうふくピクルス」を求めさせて頂きました。福生市の就労支援事業所と連携し開発したオリジナル商品のようです。

「青梅街道の井戸」の説明板(明治時代、個人の手で掘られたものだそうです)を過ぎて、介山公園に到着したのは12時10分頃。
 公園の入り口には大きな一枚岩の「中里介山の碑」が据えられています。

 既に大ベストセラー作家であった介山は、高尾山麓、奥多摩を経て1930年に郷里・羽村のこの地に居を定め、自給自足という理想の実現に向けて私塾・西隣村塾を開塾し、書生を集め、自らも農耕に従事したそうです。
 周辺は住宅街になっており、西隣村塾のよすがを偲ぶものはありません。

細い路地を縫うようにして南西へ。途中、崖(多摩川の河岸段丘)の緑地の石段なども。車でも自転車でもなく、歩くことにも醍醐味があります。

 やがて多摩川の河畔に到着しました。一気に眺望が広がります。目の前には巨大な羽村取水堰の構築物。
 奥多摩の山地から流れてきた多摩川の水をここで受け止め、玉川上水に分水している様子が見て取れます。重機もなかった江戸時代、大変な苦労の末に承応二(1653)年に完成し、数度の改築を経て現在に至っているそうです。

堤防上の緑道を少し上流に向かって歩いてみました。地元の方たちが植えた桜並木。福島県人会の方たちが植えた三春の滝桜もありました。彼岸花も咲いています。

 広い水田に稲穂がそよいでいます。冬季にはチューリップ畑になるなど、観光や交流の場(「根がらみ前水田」)としても活用されているそうです。

取水堰まで戻り、少し先に人ひとりが通れるくらいの階段があって、河川敷の公園に下ることができます。
 私財をなげうって堰を完成させた玉川兄弟(庄右衛門と清右衛門)の像。当時、用いられた蛇籠(じゃかご=竹で編んだ籠の中に砕石を詰め込んだもの)も展示されています。
 脇を流れるのは玉川上水の最上流部、囂々と水が流れる音。かなりの水量です。

橋を渡って北に向かうと、羽村銀行跡の説明版。養蚕の発展に伴って開設された銀行だったそうです。13時過ぎ、雨は止んだと思うとまた細かい雨が落ちてきます。
 さらに坂を上ったところに、禅林寺がありました。

 山門をくぐり、本堂に参拝。池の先の奥まったところに天明義挙の碑がありました。
 浅間山噴火や天候不順で飢饉が続いた天明四(1784)年、羽村の名主を中心とした近郷40か村の人々が一揆をおこし豪農・豪商を打ち壊した「義挙」を顕彰したものだそうです。

ところが、お目当ての中里介山の墓が見付けらません。地図は掲示されているのですが、字がかすんでいて読めません。
 さほど広くない境内を行き来しているとお寺の方が出てこられ、場所を教えてくださいました。言われた通り本堂の脇を抜け、「煩悩坂」と名付けられた狭い石段を登っていくと、広々とした墓地が広がっていました。
 その奥まったところに、中里介山のお墓がありました。 

説明板によると、介山は明治一八(1885)年に現在の羽村市内に生まれ(水車小屋だったそうです)。苦学しながら電話交換手や代用教員として働き、やがて作家として大ベストセラー『大菩薩峠』を執筆し続けました。昭和一九(1944)年、59歳で死去したそうです。

大きな石碑も建てられ、お墓の裾を囲うように自然石が置かれています。大菩薩峠をイメージしたものでしょうか。

再び多摩川に下り、羽村堰下橋という歩行者専用橋を対岸に渡りました。下校する小学生たちの姿も(街灯はありますが暗くなると怖そうです)。
 水面を見下ろすと、SUP(スタンドアップパドルボード)を楽しむ3人の若者。

対岸に着き、さらに堤防沿いの緑道を10分ほど歩いたところに羽村市郷土博物館がありました。

さほど規模は大きくありませんが、充実した展示内容です。
 玉川上水の展示では、玉川上水の水が各地の新田を潤しつつ(新田開発に貢献しつつ)、江戸まで導かれている様子がパネルやジオラマで分かりやすく説明されています。
 私が住んでいる大沼田(大岱、恩多)新田の文字も。現在も東村山浄水場にも給水されているそうです。

 養蚕や鉄道敷設など、産業近代化を表す展示もありました。

写真:羽村市郷土博物館の展示より

この日のお目当ては、「中里介山の世界」のコーナーです。
 未完に終わった『大菩薩峠』の冊子、掲載新聞等の一次資料も展示されています。15分のビデオが、分かりやすく羽村の風土と、介山の業績や人となりを説明してくれます。

写真:羽村市郷土博物館の展示より

『百姓弥之助の話』の原稿や、刊行された書籍もされていました。弥之助とは介山の本名でもあり、この自伝的小説の主人公は、紛れもなく介山自身です。
 介山は、農耕と教育が融合した理想郷の建設を夢見て「西隣村塾」を立ち上げます。「いったん原始農業に立ち返り、人間生活の出直しの根拠地を目指した」そうです。介山自身も多くの書生とともに自ら農耕にいそしんだ様子の写真パネルも、展示されています。

 なお、『百姓弥之助の話』の一部は、インターネットの電子図書館・青空文庫に収録されています。

この博物館には屋外展示もあります。ようやく雨はほとんど上がりました。
 旧下田家住宅は江戸時代末期に建てられたそうで、1000点以上の生活用具とともに国の重要有形民俗文化財に指定されているとのこと。学芸員の男性が詳しく説明して下さいました。
 庇に奥多摩の杉材が用いられているのが特徴だそうで、20年ぶりにふき替える檜皮ふきの屋根は宮大工の方々が20年ごとにふき替えているそうです。

「赤門」が展示されていました。
 埼玉・所沢の旧家に江戸時代中頃に建てられていたものを、介山が気に入って自宅(西隣村塾)の門として移築したものだそうです。
 実はその西隣村塾は、わずか半年ほどで閉鎖ました。建物等はしばらく記念館として保存されていましたが、これも廃止されたのを機に、この地に移築したものだそうです。
 介山の夢の痕を現在に伝えているのは、この門だけかもしれません。

 親切な窓口の方から、介山を特集した『紀要第8号』(1993)を求めさせて頂きました。

写真:羽村市郷土博物館の展示より

多摩川の堤防上の緑道を戻り、再び歩行者専用橋を渡って羽村駅へ。東口に回ってみました。こちらの方がにぎやかです。

 神社の境内に、まいまいず井戸がありました。鎌倉~室町時代の板碑が出土するなど古くから使用されていたようで、水が得られる深さまですり鉢状に掘り、降りていく通路が螺旋状になっています。
 底部まで降りてみると、今も水が湧いている様子でした。

これで、ぶらり羽村散歩は終了。時刻は15時過ぎ。3時間強の短い旅ながら充実した内容でした。
 気温はさほど高くなかったのですが湿度は高く、これは熱中症予防のためには水分を摂らなければと思い駅前の中華屋さんへ。チェーン店ではない、家庭的な雰囲気のお店です。水分(ビール)と餃子と冷やし担々麺、ご馳走様でした。
 ここ数日のダイエットの努力は、ビールの泡とともに消えてしまいました。

(ご案内)
 以下により第13回「食と農の未来フォーラム」を開催しますのでご案内申し上げます。
 テーマ:「有機農業、生物多様性、そして震災からの復興」(仮題)
 ゲスト:下田美鈴さん(有機茶農家、熊本・山都町)
 日時:2026年9月24日(木)19時~21時
  なお、申し込んで下さった方にはアーカイブも配信予定です。
 開催方法:オンライン(zoomを利用)、参加費1000円
 申込み先:(Peatixを使わない方は、別途、連絡下さい)
https://peatix.com/event/5168180
 詳細(チラシ):
https://food-mileage.jp/wp-content/uploads/2026/09/260907_flyer.pdf

(参考)
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
 メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」
https://www.mag2.com/m/0001579997
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