2026年9月24日(木)19時から、第13回食と農の未来フォーラムをオンライン開催しました。
今回のゲストは下田美鈴さん。熊本・山都町(やまとちょう)で有機農法でお茶を生産されている方です。

下田美鈴さんは熊本・山都町(やまとちょう、旧矢部町)生まれ。
40年にわたり有機農業(下田茶園)を実践する傍ら、地元における図書館の設立と館長就任、女性の会の立ち上げ、棚田の保全と子どもたちによる生きもの調査、 国宝となった通潤橋についての理解促進(絵本作成等)、学校給食への地元農産物の導入など、幅広い活動に取り組んでおられます。2016年及び26年の熊本地震からの復興に際しても、地域のリーダー的存在として尽力されています。
また、30年にわたってNHKラジオ「あさイチ」に出演されているほか、2024年には「第74回熊日賞」(主催:熊本日日新聞社)を受賞されました。
私は20年ほど前の熊本在勤・在住中以来、ご面識を頂いています。
この日のフォーラムの申込者は約30名ほど。うち20名強の方がリアルタイムで参加して下さいました(申し込んで下さった方には、翌日、アーカイブ(非公開)を送らせて頂いています)。
まず、中田(主催者)から本フォーラムの趣旨(食と農の距離を縮めること)と、過去の開催実績等について説明(説明資料の全体はこちら)。
そして本日のテーマに関連し、山都町の位置や観光パンフレットを紹介するとともに、自分で撮影した棚田等の写真を見て頂きました。

今回のフォーラムのキーワードは4つ。
まず「中山間地域」については、定義と統計的な説明(農業生産の約4割を担っていること等)に加え、消滅した集落では農地や森林が放置されたままになっている現状を紹介。
2つめのキーワード「有機農業」については、日本の取組み面積は近年加速度的に拡大しているものの、諸外国に比べると極めて低い水準にとどまっていること等を説明。

3つ目のキーワードである「生物多様性」の関連では、「30 by 30」目標について説明しつつ、山都町も自然共生サイトとしてに認定されており、長年にわたって有機農業が営まれてきたことによって多様で希少な生物が保全されていること等を説明しました。

4つ目のキーワードは「震災からの復興」です。
10年前と今回の2度の熊本地震の被害状況等を紹介し、前回ほど甚大な被害には見舞われなかった山都町においては、下田さん達が中心となって被災した子どもたちを受け入れるプロジェクトを立ち上げ、支援を募っていることを紹介させて頂きました(後ほど、下田さんご自身から紹介もありました)。

続いて下田さんから、写真を映しながらお話を頂きました(以下は要約、文責は中田にあります)。なお、資料の全体はこちらです。
「九州の真ん中にある山都町は、九州のへそとも呼ばれる。面積は544平方kmで人口は12,000人、標高は300~1200mの中山間地。
地図の黄色い線の上の方が10年前の熊本地震を起こした布田川断層帯で、下の方が今回動いた日奈久断層帯。山都町では前回の方が断層に近く、被害も大きかった」
「その山都町で、私はお茶1.2ha、米1.5haのほか家庭菜園で野菜作付け30品目ほどを栽培。40年前から無農薬・無化学肥料。味噌、梅干し、漬物、ケチャップやジャムの加工も行っている。販売は全て産直。
自宅は築152年の古民家で、クーラーもなく、お風呂と給湯は薪のボイラーと太陽熱温水機で賄っている。化石燃料を使わないのが目標だった。山に囲まれ、山に守られるような自給的な暮らしをしている」

「私が住んでいるような中山間地域では、国が進めている大規模化は困難。
豊かな地域になるためにはどうしたらいいかと思い、結婚してすぐに始めたのが図書館活動。子どもの時から本を読む習慣が必要だが、旧矢部町には図書館がなかったので、仲間と15年間活動して開設し、読み聞かせ活動も始めた」
「米の自由化が伝えられた時には、保護者の家庭を一軒一軒回ってアンケート調査と署名活動を行い、学校給食に地元の農産物を入れるという活動も始めた。また、学校に呼ばれて小学校5年生に農業や食べ物の授業を行っている」
「また、32年前から夏休みと春休みに二泊三日で、うちの家に泊まれるだけの子ども、都会の子ども達を招いて、農村体験を行っている。自分たちで山で伐って来た竹で食器を作り、取ってきた杉の葉っぱや薪でをかまどでご飯を炊く。田んぼの草取り、人参の種まき、タケノコ掘りなど、自給自足を体験している」

「針の先ぐらいの活動かも知れないけれど、ほんの少しのスイッチが入ることで農業に興味を持つような子ども達が結構いて、大人になってからも交流が続いている。30年位前に預かった子どもが成長して農業大学に入ったり、農水省に入ったりした例も。妊娠したのをきっかけにわが家ののお米やお茶を買いたいと言ってくれた人もいる。そういう消費者になってくれている」

「また、30年前から専門家の先生にお願いして、地元の子ども達も一緒になって、棚田の生き物観察会を続けている。私としては、慣行農業と有機農業との違いを明らかにしたいと思って始めた活動。絶滅危惧種を含めて多様で希少な生き物が多いのは、やはり有機農業が続けられてきたから」
「30年ほど前、県の農業研修でドイツに行った時、ランドセルを背負って学校から走って出てきた小学4年生の子どもに、通訳さんを通じてその子に『ここの場所好き?』って聞いてみた。すると、その子どもが自分の村の歴史をぺらぺらと喋って、だから好きだと答えた。この時、ああ、歴史を知ることはすごく大切だなと感じた。
自分達は歴史の上に立っていて、先人のおかげで今を生きているという自覚が必要と痛感し、歴史の紙芝居を作って子どもたちに聞かせるという活動を始めた。14年前には、現在は国宝になっている通潤橋の絵本を作成して、小学校の道徳の副読本にも採用されている。子ども達には、自分が住んでるところに誇りを持って欲しい」
「また、地元の小学校から高校生までの全員を対象に、毎年、NHK交響楽団のメンバーに来て頂き、体育館等で子どもたちに本物の音楽を聴いてもらっている。写真は、わが家の前の丘の樹齢6~700年のイチョウの木の下で、お願いして演奏してもらった時の貴重な写真」

下田さんは、2度の熊本地震についても無話して下さいました。
「10年前の4月の熊本地震では、私たちの村も大きな被害を受けた。2度の大きな地震が続いて起こり、本震では山都町でも震度6弱を記録した。
ものすごい地割れがあり、用水路もずたずたにされたのを見て、これはもう今年は田植えはできないと思ったが、何とか応急処置して田植えすることができた。平年より10日ばかり遅く6月18日に田植えが終わった時は、涙が出るほど嬉しくて、田んぼで長靴を履いたまま、息子と一緒に万歳三唱したのを覚えている」
「ところがその2日後くらいに今度は豪雨があり、地震でひびが入っていたところに土砂崩れが起こり、3000箇所以上の棚田に被害が出た.。通潤橋も石積みの一部が崩れた。
この地震が引き金になって、本当に病気になってしまった人や、やる気を無くして農業をいつ辞めようかと思うようになった人が増えて、空き家も増えていった」

当時、私は地元の自治振興会の女性部長をしていたのだが、今日も参加されている熊本大学の徳野貞雄先生から「あんたがやるしかない」と電話があって、紹介されて新潟・山古志村や福島・浪江町を訪ねた。
中越地震から20年後の山古志村の人たちは生き生きしておられた。
一方、浪江町の図書館では、毎日、ここに来ているという男性に会った。農業を営み子どもたちとも一緒に暮らしていたが、津波と原発事故のせいで過去も現在も未来もなくなってしまったとの言葉。私は、熊本地震くらいで何を泣き事言ってるんだと思った」
「その後、東京・白金台のコンサルタント会社の女性社長との縁ができ、山都町の東京事務所を開設したり、企業を含む農業ボランティアによる棚田復興プロジェクトを立ち上げたりした。有機農業によるSDGs未来都市の認定も受けることができた」

「昭和30年代に植えた杉の木の多くが伐採適期を迎えており、すごい勢いではげ山が増えて来ていた。地震もあって、また土砂崩れが起きないかと危惧していたところ、認定NPO法人 環境リレーションズ研究所の鈴木敦子代表から電話を頂き、Present Tree活動の一環で、はげ山に植樹する活動も始めた。
3年後まで地権者さんの承認を得ており、8ha以上の山に植樹することとなっている。県も(くまモンも)協力的で、多くの企業からも支援を頂き、全国からボランティアが来てくれている」
「今回の地震で被災した若いお母さんや子ども達の話を聞くと、もう本当にしょんぼりしている。私は『今がどん底だからね、今から絶対良くなると信じなさい。私もそうだったからってね』と励ましている。環境リレーション研究所とともに、被災した子ども達を山都町に招く『楽しかった。おいしかった。よく眠れた~被災した子どもたちと家族に、そんな二日間を届けたい』というプロジェクトも立ち上げ、現在、支援を募集している」
「地震があったからこそ多くの方との出会いがあり、周りに感謝する人がいっぱいいることで、様々な活動が続けられている。そのようなご縁のお陰で、地震があっても、今の自分がここの地域で穏やかに暮らせている」と下田さんは話されました。

さらに下田さんからは、
「一方で地域ではすごい勢いで高齢化が進み、農地の荒れ方も激しくなっている。上の田んぼが荒れてると下の田んぼに水が来なくなる。農家の平均年齢は73、4歳くらいで、正直あと5年持つのだろうか、この人たちが引退してしまうと農地や用水路の管理はどうなるのだろうかといった心配が、頭から離れない。」
「食の問題は消費者の問題。お金を出せば食べ物は変えるというような時代は無くなりつつある。そのような現状を、メディアも消費者も、自分たちの問題だと自覚しなければいけない。消費者の皆さんには、生産者や農村との繋がりを持っていた方が絶対いいよ、とも話している。農村だけでは復興・復活はもう無理で、都会の人と農村が一緒にごちゃ混ぜになって自分の食を守るような取組みが必要」と訴えられました。
「最後の写真は10年前の地震直後に撮ったもの。地元ではもう農業はできないと思い代替地を探していた時、道路上にスコップを持った子どもがいて、何やってんの?と聞いてみたら、『僕も役に立ちたい』と。6歳の男の子だった。誰かの役に立ちたいというのは人間の本能ではないかと教えられたようで、感動した」

続いて、徳野貞雄(熊本大学名誉教授)から講評(コメント)を頂きました。
「下田美鈴さんとの付き合いは30年以上になるが、美鈴さんを一言で呼ぶのにふさわしい言葉は「ムシャンよか」。武者振りがいいということ。また、「山の民」でもある。今、都会に住んでる人たちの多くも百姓の子や孫。それを消費者と呼び変えている。
今、多くの日本人は生産があるから生活があると勘違いしている。美鈴さんは百姓として、生活を軸として色んなことをやっているが、多くはお金にはならないこと。農を通じた自然との関係を大切にし、自立性が高い。
日本の農村は高齢化が進んでいるというのも誤解で、他出している子や孫が農作業を担っている。集落は『どっこい』生きている」

下田さんからは
「10年で2回の地震、4回の豪雨災害に見舞われるなど色々あるのが人生。気候変動も激しく、自分で食べる分は自分で作った方がいいよって、うちに来た人たちには言っている。また、不登校が増えており、農村体験のできるオルタナティブスクールを作りたい」との言葉も。
参加者との間での意見交換では、まず名古屋の生協関係の方から
「長野県の生産者グループとの家族ぐるみでの交流活動や、廃校になった学校で民泊して自炊する等の活動を続けてきた。バケツ稲など自分で育てて食べるという体験も重要。下田さんからほんの小さなスイッチが入るという話があったが、改めてきっかけづくりの大切さを感じた」との発言。
能登での棚田復興等に取り組んでおられる方からは
「下田さんの行動力、小学生の話など感動しながら聞いているばかりだった。自分が食べるものはできるだけ自分で作るといういう時代が来ると感じた。
能登でも白米千枚田など有名なところにはボランティアもたくさん来て寄付も集まっているが、少し離れたところの山間部の棚田は手つかずの状態。後継ぎもなく、大規模な農業生産法人を立ち上げる動きもあるが、熊本ではどうか」との質問。
これに対して下田さんからは
「建設業の方なども相談に来られるが、行政の予算がつかないと難しい。日本では3Kなどと呼ばれて農林漁業や建設業に就く人が少なっているが、わが家に農村体験に来た子ども達が農業に少し目覚めたりしてくれているのが光になっている」
NPO環境リレーションズ研究所の方からは
「いつも色々と話を伺っているが、改めて聞くことができ感謝。プレゼントツリーは多くの企業や個人から多くの支援を頂きながら森林再生と地域振興を目指す取組みで、山都町では2020年から実施しており今年で6年目。私もすっかり山都町と下田さんのファンになった。またお訪ねするのが楽しみ。
ところで私の子どもに土に触るような体験をさせたいと思っているが、なかなか誘っても来ない。何か工夫があるか」との質問。
下田さんからは
「今年の農村体験で肝試しをしようとすると、福岡から来た小学6年生の子どもが『僕はこんなところに来たくなかった。ばおばあちゃんが無理やり来させたんだ』とわんわん泣き出した。ところが翌日の田んぼの生き物観察会では大喜び。どんな子どもにも好きなこと、得意なことはある。それを親や周りの大人が見つけてあげることが大切では」等の回答。

浜松出身で長く食品メーカ-でサラリーマンを務めておられたという男性からは「下田さんの行動力の源泉となるエネルギーは、ど個から来ているのか」との質問。これは、かねがね私も聞きいと思っていたことです。
下田さんからの回答は、
「10年前の地震の後1か月くらい、毎日、1人暮らしや2人暮らしの高齢者世帯に食べものを配ったが、この時に有難うって言われることが、この時の私の生きる力になっていた」
「また、自分は15軒ほどの田舎の集落で育ち、みんなに可愛がってもらった。私の両親の子どもではなく、あたかも村の子どものように。高校を卒業して村を出る時には、村のおばちゃん達がみんなで泣きながら『また帰って来なんよっ』て見送ってくれた。
地域で愛された原体験が私を育ててくれたんだと思う。みんなから優しくされたから誰にでも優しくできるし、みんなから大切にされたから周りの人も大切にできる。子ども時代の環境は重要」といったものでした。
最後に下田さんから、
「2度の地震は、人間が地下水をくみ上げすぎたり汚したりすることに対して、地球が歪みを治そうとしているのではと感じることがある。人間、いい加減にしろよ、謙虚になれよ、みたいな。
ナフサが来なくなったら草マルチにすればいい。地球を汚さないような環境に優しい生き方になるきっかけ作りを、地震や水害は教えてくれているのかもしれない。怖さを感じるだけではなく、謙虚になるべき。
70歳近くになって、自分の人生の持ち時間を意識するようになった。日本始まって以来、初めて『農じまい』といった言葉が飛び交うのは、日本が始まって以来ではないか」等と語られました。
ここで本編は終了です。
その後、今回も時間のある方に残って頂いて引き続き意見交換(雑談、レコーディングなし)を行いました。
下田さんからは、山都町には多くの移住者もおられ、中には自ら人材育成に取り組んでいる方もいること等が紹介されました。
徳野先生からはIターンやUターンだけではなく、いったん外に出てまた戻ってくる「Qターン」に注目すべき、との話も。
人と人との縁の大切さ、現地を訪ねることの大切さ等についても話題となりました。私も下田さんとのご縁を頂いたのは、徳野先生のお陰です。
下田さん、徳野先生、有難うございました。
【お知らせ】
次回(第14回)食と農の未来フォーラムを以下により開催します。詳細は決まり次第、拙ウェブサイト等でご案内させて頂きますので、多くの方の参加申し込みをお待ちしています。
(1)日時 :2026年10月26日(月)19時~21時
(2)テーマ:「狭山丘陵を守ったコモンズの力~里山・里川保全と地球のミライ~」(仮題)
(3)ゲスト:清水 淳さん(北川かっぱの会、東京・東村山市)
(4)開催方法等:オンライン(zoom使用)、参加費1000円
[参考]
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https://food-mileage.jp/
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https://www.mag2.com/m/0001579997
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