【ブログ】2024年の同窓会(駿府ぶらり散歩)1/2

ほぼ隔年で開催してきた岡山大学農学部農学科(1982年卒業)の同窓会は、コロナ禍で5年ほど間隔が空いてしまい、今年は久々の開催となりました。
 同窓生のうち静岡の2名、山梨の1名が幹事を引き受けてくれ、初めて静岡市での開催です。

 何度か訪れたことはある静岡市ですが、あまり市内を歩いたことはありません。いい機会とばかり、早めの9時10分品川発のひかり505号に乗って、10時2分に静岡着。
 直前まで天気予報は雨模様でしたが、どうやら雨は落ちていないようです。
 まずは駅ビルのうどん屋さんで腹ごしらえ(紀州南高梅のぶっかけうどん)。そういえば先日、みなべ市の「うめ課長」氏の奮闘ぶりがNHK番組で取り上げられていました。今年の和歌山の梅は大不作とのことです。

 駅前広場に出ると、やはり幸い雨は落ちていません。数日前には40℃越えが全国ニュースになった静岡市ですが、そこまでの蒸し暑さもありません。
 広場にある竹千代(のちの徳川家康)と、竹千代を保護していた(通説では人質)今川義元の銅像にご挨拶し、まずは今川家の菩提寺・臨済寺を目指すことに。

ところがバスが大幅に遅れています。
 予定時間を15分以上過ぎてようやく来たバスに乗り込むと、なんと逆方向。途中で気付いて慌てて下車し駅まで徒歩で戻り、リベンジを試みようとするも、いずれの路線もダイヤが大幅に乱れていますす。
 機敏に方針変更してタクシー乗り場へ。ここでも10分ほど待たされました。最初から歩いた方がよほど早かったと、出鼻をくじかれた格好になりました。

 そこで乗ったタクシーの男性運転手さんは、親切で気さく。
 先日に比べればよほど過ごしやすい、なぜか今日は市内の道路が大混雑している等のおしゃべりを聞いているうち、10分ほどで臨済寺(葵区大岩町)の山門前に到着。
 さあ、気を取り直して「ぶらり散歩」スタートです。

今回の散歩みち(概要)

臨済寺は、今川家中興の祖とも言われる九代当主・氏輝公(義元公の兄)が創建した臨済宗妙心寺派の名刹で、山号は大龍山。
 竹千代も人質(?)時代、ここで太原雪斎(僧で今川氏の重臣)から学問を授けられたと伝えられています。

 見事な山門(扁額は徳川慶喜の筆とのこと)をくぐり、石段を登ったところにある本堂(方丈)は国指定の重要文化財。境内には、私のほかは一人の外国人男性の姿があるのみ。現在も修行道場であるため、建物や庭園内は年に2日の一般公開日を除いて非公開のようです。
 桔梗の花が雨滴をたたえて鮮やかです。  

隣には広大な墓地が広がっています。
 特に説明板もなかったのですが、お参りされている方たちの間を縫って最上部まで登ってみました。
 そこに、小さな祠に収められた今川氏輝公の墓がありました。隣には、家康が関東に移封された後に駿府城主となった中村一氏の墓も。
 近くには雪斎の墓もあったようですが、これは確認できませんでした。

墓地から市中心部を望みます。見事な眺望です。

 墓地を下って振り返ってみると、寺の背後には賤機山(しずはたやま)。
 永禄十一年(1568)、駿河に侵攻した武田信玄はここに布陣し、氏真が籠る今川館に火を放って焼き尽くしたと伝えられています。

地歩で市中心部に戻ります。
 城北公園の日本庭園では、子どもたちが網でザリガニ(?)をすくって遊んでいました。
 富春院はお祭りなのか、多くの灯篭が飾られ、参拝者で賑わっています。ここには今川義元公の位牌や慰霊塔があるそうです。
 さらにこの近くに、太田道灌が築造した庭園(非公開)の説明板があったはずですが、気づかすに通り過ぎてしまいました。今回は少々準備不足です。

静岡浅間神社は駿河國総社。
 広い境内に入ってすぐのところには神厩舎。絵馬もニンジンです。

楼門をくぐってご参拝。拝殿などは改修中です。
 休憩所に入って一休み(涼しい~)。冷たいお茶を頂き、雑穀のクッキーを求めさせて頂きました。清水港にクルーズ船が入港しているそうで、境内には大型バスで訪れた多くの外国人観光客の姿も。

浅間通りの商店街を南へ。衣料品店や飲食店の間には、こうじ屋さんも。どら焼き屋さんの前には若い人たちの行列ができていました。

 朱塗りの鳥居を潜り抜けて左折すると、間もなくお堀端に出ました。橋を渡って駿府城公園へ。
 お堀に優雅な白壁を映していた坤櫓(ひつじさるやぐら)の内部は、資料館になっています。短いビデオで駿府城の歴史、櫓の復元工事についてお勉強。見上げると、見事な木組みです。 

2018年から実施された発掘調査の現場は、なかなかの迫力です。
 今川館の遺構や、天正期と慶長期の石垣の比較。家康時代の駿府城の天守台は、江戸城をもしのぐ日本最大の規模だったそうです。
 臨時の資料館で「駿府城まるわかり」という冊子を求めさせて頂きました。ここの係の女性2人も気さくで親切で、「熱心にご覧になっていましたね」などと声を掛けて下さいました。

鷹狩姿の家康公にご挨拶。すぐ近くには家康公手植えと伝えられる蜜柑の木も。
 とうとう、雨が落ちてきました。最初はぽつりぽつり、やがてしっかりと本降りに。
 紅葉山公園の池にも雨粒の波紋が広がります。富士山を望むことができたのは、今回の旅でここだけでした。

巽櫓と東御門へ。
 これらも平成に復元され、内部は資料館として公開されています。ジオラマ、発掘された今川時代の什器など、なかなか充実した展示です。

臨済寺の「竹千代手習いの間」も復元されていました。発掘調査現場の模型もあります。
 東御門を出るところで、男女のガイドさんが気さくに声を掛けて下さいました。「どこから来られたの」「雨が小降りになって良かったですね」等々。
 静岡市歴史博物館への道のりも教えてもらいました(すぐ近くでした)。

昨年1月に開館したばかりの博物館の一階は、明るくて広いロビー。
 その真ん中に、何と戦国時代末期の道と石垣の遺構が、発掘現場そのままに保存・展示されています。

 基本展示は、ビジュアルな見せ方など分かりやすい内容。家康だけではなく、今川氏に関する展示も充実しています。
 企画展「走れ! しずてつ」(静岡鉄道)が開催中でした。旧型電車(1000形)のマスター・コントローラーで鉄道模型を走らせるコーナーもあり、子ども達は(私も)大喜び!

博物館を出たのは15時過ぎ。雨はほとんど上がっています。
 お堀端にはプラモデルのモニュメント(家康公出陣キット)。翌日に行った久能山東照宮の参道にも「プラモデルの始まりは静岡から」との展示がありました(下の写真中央)。浅間神社の修繕や東照宮の造営のために全国から集められた職人たちが、この地に定住して始めた雛人形や竹細工が、静岡市のものづくりの発祥となっているそうです。

 いったんホテルにチェックイン。さすがに汗びっしょりです。シャワーを浴びて一休みしてから、16時30分に同窓会の会場へ。
 同窓生31名のうち16名が参加。頂いた名簿によると、残念ながらすでに物故された方も5名(えっ、あの人も・・・)。
 顔を合わせてみると、みんなそれなりに老けてはいるものの、性格などは変わっていません。たぶん死ぬまで変わらないのでしょう。
 二次会のカラオケボックスでは、岡山大学学生歌(「我らは集まり半田山の山裾に~」)等を熱唱。幹事の方が楽譜を準備してくれていました。

やや飲み過ぎたようです。幹事の皆様、参加者の皆さま、楽しい時間を有難うございました。
 翌日のオプショナルツアーでもお世話になります。

 何時頃だったか覚えていませんが(そんなには遅くなかったかと)、ホテルに戻ってニュースなどチェック。
 お~、13連敗中だったライオンズの今井をついに攻略!! しかも39歳7カ月の岸が無四球完封とは(祝)。

(ご参考)
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
 https://food-mileage.jp/
 メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、登録無料)
 https://www.mag2.com/m/0001579997