映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を観ました。山口県祝島の人たちの「反原発」の闘いと先進国・スウェーデンの様子がコントラスト鮮やかに描かれているドキュメンタリーです。
特に印象的だったのは、埋立てを阻止しようとデモを繰り広げる島民たちに、電力会社の社員が船の上から拡声器で「対話」を試みるシーン。「一次産業だけで食べていけるはずがない」。これに対し、ひじきやビワ、食品残さで放し飼いの養豚等で食べているオバチャンやオジチャン、Uターンの若いお父さん・孝君たちは体を張って抵抗します。別の場面では、上京して経済産業省の若い課長補佐を吊るし上げにもします。これらの殺伐としたシーンと対照的に描かれる、島の自然の恵みの豊かさと、その中で漁業や農業に携わる人たちの姿の美しさ、たくましさが、心に沁み入ります。上映後の鎌仲ひとみ監督の舞台挨拶には、観客から大きな拍手が送られました。面白く、ぜひ多くの方に観てもらいたい映画です。
でも正直、観ている間、ある種の違和感というか、居心地の悪さがずっと消えませんでした。つまり、孝君やオバチャンたちの命をかけたドキュメンタリー・ドラマを、私は観客として、エアコンの効いた新宿のホールで観ているのです。都会に住む私たちが便利で快適な生活を求め続ける限り、原発は「必要悪」として存続していかざるを得ない面があるのではないでしょうか。ひとつの地方でのドラマは、実は日本人全体の現在のライフスタイルを反映したものなのです。
ホールを出ると22時近く、祝島のオバチャン達の多くは眠りについているであろうこの時刻、煌々とした光に彩られた不夜城・新宿の街に、ぽつりぽつりと雨が降り始めました。