わいがや勉強・交流会と数寄屋橋音楽祭

 4月21日(土)は曇り、なかなか暖かくなりません。
 しかし、そのような人間の小さな不平を置き去りに、季節は確実に廻っていきます。自宅近くの空掘川沿いは、今年もセイヨウカラシナの黄色い絨毯で埋め尽くされつつあります。
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 この日、まずは新座へ。
 清らかな水が流れる野火止用水。17世紀半ばに老中・松平伊豆守信綱が開削したもので、茫漠な平地林が拡がっていこの地域を、豊かな農業生産地帯に変貌させました。私たちが住む国土は自然にできたものではなく、先人たちの労苦とコストのお陰で成り立っています。
 平林寺近くの集会所で、春の「わいがや勉強・交流会」が開催されました。
 荻原洋志さんを中心に、環境関係で地域づくりをされている方々等の勉強会兼交流会で、年数回、時宜に会った専門家をお呼びして開催されています。私は、昨年11月に引き続いて2回目の参加です。
 この日の勉強会は、内閣府原子力委員会委員の秋庭悦子先生「どうなる? 日本の原子力」ですから、これほど時宜を得た講師とテーマはありません。
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 秋庭先生からは、福島原発事故の現状、それを受けての政府におけるエネルギー政策等の検討状況、さらにはスイスとフランスを現地調査された結果について、分かりやすく説明して頂きました。
 原子力を含むエネルギーの問題は複雑で、専門的な知識も必要であることから、なかなか一般市民には理解しがたい面があります。
 そのため、ともすれば政府やマスコミの発表を盲目的に信じてきた傾向がありました。むろん、日本の原子力政策は闇の中で作られてきたわけではなく、国会審議やパブコメ等の手続きを経て策定されてきています。例えば2010年6月に策定された現行のエネルギー基本計画において、2030年の発電電力量のうち53%を原子力が占める計画(計画の基準である2007年度実績は26%)となっていることを、私たちのどれだけが知っているでしょうか。私たちの生活に密接に関わる電気の問題であるにも関わらず、です。
 科学リテラシー、情報リテラシーの重要性が、今こそ問われている時はありません。
 その意味で、消費生活アドバイザーでもあり、NPOでは消費者と生産地交流等に取り組んでこられた秋庭先生が、このような地域の勉強会に参加して下さったことは、それ自体、大変意義深いことです。
 ただ、先生の説明にもあったように、震災後に設置された「エネルギー・環境会議」が7月に公表された「戦略の基本理念」においては「原発への依存度低減のシナリオを描く」とされています。
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 にも関わらず、現在検討されている新エネルギー基本計画においては、エネルギーミックスの選択肢として、2030年における原発依存度を0%、20%、25%、35%とする4つの選択肢(シナリオ)が提示されており、先ほど公表された核燃料サイクル技術等小委員会のコスト試算報告においては、原子力比率35%(「現行シナリオ」)、20%、0%のシナリオが提示されています。
 つまり、原子力依存度が大きく上がる選択肢も想定されているのです。
 この点の分かりにくさについて、勉強会終了後、秋庭先生と名刺交換させて頂いた折に、直接伺ってみました。
 秋庭先生によると、ご自身も同じような疑問はお持ちであるものの、各委員等の中には様々な意見があり、それを集約したものであるため書かれているという説明でした。
 交流会では、いつもながら、手づくりの心づくしの料理が振舞われました。
 ただし残念ながら、この日は早々に失礼して銀座に移動。
 東日本復興応援プラザ2Fでは、第5回の数寄屋橋音楽祭が開催されました。前回に続いての参加です。
 毎回、素敵なデザインの手作りのプログラム、今月は春らしく桜がモチーフです。
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 前半は大西貴浩さん(テノール)と田川理穂さん(メゾソプラノ)による声楽。ピアノは中村圭子さん。田川さんが最後に歌われたのは『そこにあなたがいてくださることは』。心に染み入るようです。
 後半は剣持由紀子さん(ヴァイオリン)、富永佐恵子さん(チェロ)、ハンダ里加さん(ピアノ)によるピアノトリオ演奏。
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 音楽の合間には、菅原気仙沼市長のご挨拶もありました。震災から1年1カ月を過ぎた今も、300名近い方が行方不明のままとのことです。
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 続いて気仙沼出身のノンフィクションライター・生島淳さんのトークショー。
 テレビのスポーツ番組のコメンテータ等でも活躍中の生島さんは、この度、『気仙沼に消えた姉を追って』と題する本を出版されました。fukko3_convert_20120422222551.png
 お姉さまの家は津波で流され、その場所は今も水が引いておらず、帰省してもゴロゴロできる場所がないことの喪失感を語られました。しかし、生島さんは、3.11以前の、自分が生まれ育った故郷の素晴らしさを書き残したかったとのこと。
 また、生島さんは高校生のための「気仙沼かなえ基金」を設立されたそうです。
 さて、演奏会は最後の曲に向けて次第に盛り上がり、プロの演奏家たちの物凄い緊張感とエネルギーに、会場が満たされまた。
 この音楽祭、ホール等と違って、間近な、本当に息遣いが聞こえるほどの近さでプロの演奏家達の音楽を聴くことができます。復興支援という趣旨を別にして、純粋に音楽を聴くという観点からも、得難い機会かも知れません。最後の曲に向けて盛り上がり、すごい迫力でした。
 最後にチェロの富永さんがマイクの前に立たれました。震災時、偶然、演奏旅行で仙台のコンサートホールにいて、楽器のもとに駆け寄ろうとして大きな揺れで動けなかったこと、後で家族から楽器より自分の体のことを考えろと叱られたこと、それでも数百年の歴史のある楽器を次代に引き継いでいく義務があると思っていること、そして帰京できるまでの数日間を過ごした被災地の夜は真っ暗だったこと、それでも見上げると降るような星空だったこと・・・。
 そしてアンコールは『星に願いを』。
 この日、復興プラザ前の路上では、福島の方々の物産も販売されていました。
 NPO「あさがお」は、南相馬市にある障がい者の自立を支援する施設です。この日は、味噌や豆腐を販売されていました。
 大豆は一昨年産のもので、昨年は作付ができなかったとのこと。使っていた畑は仮設住宅の用地等になっていて、今年もどうなるか不透明とのことです。
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 隣のブースは東京のNPO「DO55」。Dankai & Over55 の略だそうで、55歳以上の世代が率先して被災地を支援しようと立ち上げられたとのことで、この日はいわき市の物品を販売されていました。
 この日の銀座は肌寒かったのですが、福島から来られた方も、東京のNPOやボランティアの方も、道行く人に大きな声を掛けられており、多くの人が足を止めていました。
 被災地の苦難はまだまだ続きます。しかし、東京での支援の輪も継続しています。 

“わいがや勉強・交流会と数寄屋橋音楽祭” への2件の返信

  1. SECRET: 0
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    今回もご来場ありがとうございます。震災から時間が経ち、少しずつ忘れられている気がしていましたが、このように沢山の方が想いをよせてお集まりくださり本当にうれしいです。そして被災地からの情報発信の大切さを痛感しています。
    音楽を通じてこれからも東北に復興のエールを送っていきたいと思います。ご紹介ありがとうございました!

  2. SECRET: 0
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     畠山さま、いつもコメントを有難うございます。
     今回の演奏会、本当に凄い迫力でした。素晴らしい演奏を企画していただいたことに、感謝申し上げます。
     それにしても、被災地の皆様、被災地ゆかりの皆様がこんなに苦労され、頑張っておられるのに、自分はいったい何をしているのかと、自責の念にさいなまれる毎日です。

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