グローカルに羽ばたく伝統野菜

 4月22日(日)、東急目黒線武蔵小山駅前広場では「第1回ムサコのたけのこ祭り」が開催されました。 武蔵小山(愛称「ムサコ))の7つの商店街が合同で開催しているイベントの一環で、今回が初開催とのことです。
 江戸東京・伝統野菜研究会の大竹道茂さんと、武蔵小金井(これも「ムサコ」)にあるNPOミュゼダグリの酒井文子さんにお誘い頂き、出かけてみました(既に大竹さんの23日付けのブログで紹介されています。さすが早い)。
 11時過ぎに地下にある駅からエスカレータを上がると、目の前の駅前広場には既にすごい行列。特製の筍汁を待つ人たちのようです。生憎と小雨がぱらつく空模様でしたが、熱気に包まれていました。
 竹楽器の演奏会や甲冑を着ての撮影会等も。地元大学生がデザインした「たけ丸くん」も登場。
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 行列を横目に、まずは筍丼を頂きました。
 テレビ等でも有名な若き料理人・笠原将弘さん(賛否両論)の特製とのこと。筍がたっぷり入って美味しいです。
 ちなみに武蔵小山出身の笠原さん、この日は自ら企画されたという筍汁の大鍋に付きっ切りです。
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 この日の筍は、千葉県大多喜町から取り寄せたものとのこと(放射能の検査結果が掲示されていました。このような掲示自体、悲しいことではあります)。
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 しかし江戸時代、この辺り(旧戸越村)一帯には竹林が拡がり、筍の名産地として有名でした。池波正太郎の小説には、近くの目黒不動の門前で筍飯等を食べる場面が何度も登場します。
 この地域が筍の名産地となったのには、単に気候や土壌条件だけではなく、1人の商人の尽力があったことを、大竹さんから教えて頂きました。
 築地の廻船問屋であった山路治郎兵衛は、薩摩屋敷から孟宗竹を分けてもらい、別宅のあったこの地周辺の農家に栽培を奨励するとともに、目立つように馬の背に載せて市場出荷したり、目黒不動の門前で販売したり料理屋で提供するなどして、名物に育てあげたのだそうです。今でいう「6次産業化」の成功事例です。
 近くには、治郎兵衛の功績を讃えた「栽培記念碑」があります。今は住宅地の真ん中で、竹林の姿を見ることはできません。なお、この日の祭りにはご子孫の山路安清氏もみえられていました。
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 明治以降のこの地域は、特に関東大震災等を契機として、鉄道が敷設され住宅地の開発が急速に進められ、竹林は次第に消滅していきました。
 高浜虚子は、消えゆく名物を惜しんで「目黒なる筍飯も昔かな」と詠んでいます。
 その、ほとんど消滅した筍が、この日、地域おこしのシンボルとして蘇ったのです。
 大震災と原発事故以来、地域における人と人との絆の重要性が再認識され、地域のコミュニティを再生しようという機運が各地で広がっています。その中で、地域の歴史や食文化に根差した伝統野菜・伝統作物は、大きな役割を果たしていく可能性があります。自分が住む地域に、このような美味しいものがあったという誇りと愛着を、人々に思い起こさせることになるからです。将来に向けて持続可能な循環型の社会を作り上げていくことにも貢献することが期待されます。
zagat_convert_20120424070953.png ところでこの日、帰り際に大竹さんから興味深い資料を頂きました。
 官公庁など官と民が連携して作成した東京・京都のレストランを紹介する英文のガイドブックです。
 この中は、で東京の食の代表として、Sushi、Tempuraに続き、Edo Tokyo Vegetable(江戸東京野菜)が紹介されています。紹介文の原稿は大竹さんが書かれたそうで、詳しく書かれたジャパンタイムス紙の記事へのリンクも記載されています。
 伝統野菜・伝統作物はローカルなものですが、その価値はグローバルにも共有されうるものです。
 さらなる可能性に期待が膨らみます。