今年は市民農園の抽選に外れ、代わりにベランダにプランターを並べて、先日、野菜苗を植えてみました。
日当たりも良くなくてあまり期待していなかったのですが、それでもトマトとキュウリは、小さな実をつけてくれました。庭に植えたゴーヤもどんどん伸びています。
自然の恵みとは有難いものです。
はてさて、どれだけわが家の野菜の自給率向上に貢献してくれるでしょうか。
さて、好天に恵まれた週末の5月26日(土)~27日(日)の2日にわたり、東京・世田谷の駒澤大学キャンパスでは、社会政策学会の2012年度春季(第124 回)大会が開催されました。
プログラムの1日目午前中は、「福島原発震災と地域社会」と題するシンポジウムです。
まず、座長の一橋大学大学院の高須裕彦先生から、シンポジウムの趣旨等について「自分たちは、社会科学者として原子力の問題に正面から向き合ってこなかったのではないかと真摯に反省し、研究者として、同時に市民として何をなすべきか、どんな支援・貢献ができるかを考えていきたい」との説明がありました。
続いて4名の方から報告がありました。
最初の報告は、「双葉地方原発反対同盟」の石丸小四郎さんから、「未曾有の原発震災に直面して」と題する現地からのレポート。
石丸さんの話は、ある意味、ショッキングな内容から始まりました。
福島第一原発に近い富岡町在住で1960年代から反原発運動に取り組んできた石丸さんは、14か月前の震災以降、全国各地で様々な会合で話してこられたそうです。
しかし、震災直後はどこの会場もものすごい熱気に包まれていたのに、14か月が過ぎた現在は、以前との落差が大きく、複雑な思いを持っておられるとのこと。喉もと過ぎれば、という忘れやすい国民性かとも思うが、世界で最も核の恐ろしさを身に染みて知ったはずなのに、と。
そして、原発20km圏内にあった病院や特別養護老人ホームに入院・入所されていた方で死亡された方の数など、具体的な数字をあげられつつ、なにげない日常を奪われた多くの人々が現実に存在しているという現状を、強く訴えられていました。
2番目の報告は「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の佐藤幸子代表から「原発事故後の福島の子どもたちのおかれている状況」について。
佐藤さんとは、3月の福島県有機農業ネットワーク主催の集会に参加した際に知遇を得、その後、上京された時に再会し、この日の学会のことを聞いていたものです。
川俣町で20年前から自然農を営み、NPO等で研修生も受け入れていた農家の佐藤さんは、一昨年と今年の、自宅裏の山桜の写真を比べて見せてくれました。筍を食べられないので傍らの竹が伸びていますが、ほとんど変化はありません。
放射能は五感で感じることはできません。毎日見ていた風景も変わっていないのです。
震災後は、何としても子ども達を守るとの一心で活動をされています。
昨年5月にはネットワークを立ち上げ、市民放射能測定所や野菜カフェ(西日本中心の食材の販売店)の開設等に取り組んでこられました。
しかし、福島県内ではこれ以上住民を減らさないための「安全キャンペーン」「除染キャンペーン」が繰り広げられるばかりで、地域も家庭内も分断され、気持ちもぎすぎすとしているのが現状とのこと。
3番目の報告は、一橋大学大学院の佐藤彰彦氏から「計画的避難・帰村・復興をめぐる行政・住民の葛藤」について。
全村避難を余儀なくされたある村では、1000回以上の村民懇談会を開催し地域主導の復興を目指しているものの、国の方針に従わざるを得ない村の方針と民意との間に距離ができつつある様子等について報告がありました。
最後の報告は、國學院大学経済学部の菅井益郎教授から「足尾から福島へ-公害の歴史から原発震災を問う-」とのタイトルで報告。
菅井教授は、最初に、土曜日の午前中とはいえ参加者が少ないことが残念とのご発言。
そして田中正造の「デンキ開けて世間暗夜となれり」との言葉(晩年の日記から)を引用されつつ、産業優先という日本近代化の問題点を改めて明らかにしたのが福島原発事故であり、持続可能な社会への転換が必要とのご主張です。
最後に、会場からの質問票を受けての総括討論。
菅井教授は、除染されアスファルトの上に設置された計測装置による「モニタリングの欺瞞」を指摘。
佐藤幸子さんは、校庭にもまだまだホットスポットがあること、行政による健康調査には多くの母親たちが不信感を有していること、安価な食材の供給システムが必要であること、夏休み等の子ども達の保養についての対応の難しさ等について、ご発言がありました。
最後に石丸さんから、現状は四分五裂の状態にあるとの発見。
これまで原発交付金をもらっていた双葉地域からの避難者は、あたかも加害者のようにバッシングを受ける現状にさえあるとのこと。確かに潤っていた面はあるものの、問題はそのような政策にあったこと改めて訴えておられました。さらに、高齢の男性は放射能に鈍感なところがあり、女性たちの活動に期待するとのご発言も。
最初の石丸さんの話にあったように、大震災から14カ月が過ぎ、私自身も含め、多くの日本人にとって大震災は「過去のもの」という感覚になりつつあるのかも知れません。
確かに、好天にも恵まれたこの日のシンポジウムも、学会員以外の一般市民にも開放されていたにも関わらず、会場が立派なホールだったこともあって、かえって空席の方が目立つ状況でした。
「失敗学」の畑村洋太郎先生(福島原発事故調査・検証委員会の座長)によると、人間は非常に忘れっぽい生き物で、個人は3日すれば飽き、3月で冷め、3年で忘れるのだそうです。さらに、組織は30年で、地域は60年で、社会は300年で忘れてしまう(社会から消えてしまう)とのこと。
忘れっぽさは、人間が前向きに生きるための一つの知恵ではあるものの、失敗や災害を考えるときには、この性質がマイナスに働くのだそうです。(『未曾有と大災害』講談社現代新書、2011.11)
ましてや原発災害は、終わったことでも「喉もと過ぎた」ことでもなく、まぎれもなく現在進行形です。
ところが、この1週間を振り返ってみると、金環日食とスカイツリー開業でテレビはお祭り騒ぎ。
地域や社会が元気になるのに貢献するなら結構なことですが、果たしてスカイツリーから福島は見えるのでしょうか。
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“スカイツリーから福島は見えますか。” への1件の返信
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まとめtyaiました【スカイツリーから福島は見えますか。】
今年は市民農園の抽選に外れ、代わりにベランダにプランターを並べて、先日、野菜苗を植えてみました。 日当たりも良くなくてあまり期待していなかったのですが、それでもトマト…