-網野善彦『日本社会の歴史』(上、中、下、1997.2、岩波新書)-
https://www.iwanami.co.jp/book/b268321.html
前項(オーシャンカレント欄)のとおり、米(稲作)は日本の歴史において重要な地位を占めていますが、これについては異論もあります。その代表がいわゆる「網野史観」です。
日本中世史を専門とする網野は、非農業民(漁民、職人など)に着目することで、日本を農業国家とする通説(農本主義)に異を唱えました。また、稲作祭祀を司る天皇の支配権力が及ばない「無縁、公界、(くがい)、楽」等の存在も明らかにしています。
本書下巻の最終章では、痛烈な「農本主義」批判が展開されています。
近世から現代は、本来、網野が専門とする時代からは外れる部分ですが、例えば、明治政府以降の指導者たちは、日本国を稲作を中心とした農業国家(瑞穂国)と捉え、その「虚像」を社会に深く浸透させたとしています。
そして、国内農業を発展させることを至上の課題に位置づけ、農地の少ない島国で人口を支えることの危機感を国民の間に増幅させたというのです。
その後、「大日本帝国」は台湾、朝鮮半島、満州(中国東北部)等を植民地としていきましたが、その動機の一つに「農業、食糧問題の解決が意識されていたことは明白である」と断じています。
さらには「これら地域において水田を開拓するとともに、神社を建て、その信仰を強要した」「はかり知れない苦痛をアジアの多くの人々に与えた事実を認識すべき」等とも論じているのです。
このような「網野史観」に対しては様々な批判もあります。
前項で参考とした原田の著作も、網野の「反水田中心史観」への反論が執筆の動機であったことが記されています。
────────────────────
出典:F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信-【ID;0001579997】No.156
https://archives.mag2.com/0001579997/