2016年1月16日(土)。
東京・小平でウドの収穫体験会に参加した後、頂いたウドの生と醤油漬けを携えて、下北沢のふくしまオルガン堂へ。
NPO福島県有機農業ネットワークが運営する福島と東京をつなぐ拠点(農産物・特産品の販売、食の提供、交流・体験の窓口、 東京に避難している方の集う広場)で、この日、恒例の(最後の)餅つき大会が開催されていました。
ふくしまオルガン堂は、震災から5年を迎える本年3月20日(日)で閉店することが決まったのです。
午後から2回にわたって餅つき・振る舞い餅が行われ、私が到着した15時過ぎには菅野正寿さん(前理事長、二本松)による「震災から5年目の福島を語るお話会」が始まっていました。
「自分たち生産者にできることは、しっかりと大地を耕し続け、現地がどのような状況にあるかという正しい情報を発信し続けていくこと。自分も毎日、被ばく線量の計測を行っている」とし、
地元の木幡山隠津島神社(二本松市木幡治家)に残されている石碑について、「天明の大飢饉から3年後、先人たちは後世の私たちのために、飢饉の惨状と日頃の備えの重要性を、ちゃんと石に刻んで残してくれている」ことを紹介して下さいました。
(昨年11月に案内して下さった時のことを懐かしく思い出しました。)
続いて、二本松農園の齊藤登さん(前事務局長)からは、
「震災からもう5年なのか、まだ5年なのか。オルガン堂の目的の一つは首都圏での風評被害対策だった。今も福島産の野菜は市場価格より10%ほど安く、風評被害は複雑化している。これ以上何ができるか、という閉そく感さえある。
そのような中でスタディファームという取組を始めた。直接つながるしかない。顔の見える関係には、風評被害はない」等のお話。
さらに、喜多方渡部農園の渡部よしのさん(副理事長)は、
「今でも会津地方には多くの避難者の方がおられる。5年が過ぎ、弱い立場の方が残されている現状。オルガン堂は3年間、耕す者にとってかけがえのない大きな役割を果たしてくれた」等と話されました。
3人いずれの方も、スタッフの方達へのねぎらいの言葉は忘れません。
また、福島から来られた事務局のお2人の女性からも。
お1人は京都出身。野菜販売会社に勤めていたが何とかしたいと福島への移住を決意されたこと、除染による大量のフレコンバッグを目にして心が痛んだこと等を涙ながらに語って下さいました。
もう1人のご実家は岳(だけ)温泉で土産物店を経営されているとのこと。風評は観光産業にも大きな被害をもたらしているそうで、ぜひ足を運んで下さいと訴えておられました。
他にもオルガン堂に関わってきた方達からのお話が続き、最後に佐藤店長からは、
「ここで培われたネットワーク、繋がりを忘れることの無いよう、例えば月に1回『オルガン堂の日』としてイベントを行う等の取組を続けていきたい」との言葉。
しばし懇談。昨年7月のツアーでご一緒した方達もおられ、同窓会の様相も。
福島おつまみセットと、上堰米(うわぜきまい)のお酒を頂きました。
日替わりの「ふくしま定食」を含め、これらを味わうことができなくなるのは何とも残念ですが、オルガン堂で培われたネットワークの、新たなステージへの展開を期待したいと思います。
午前中の東京ウド収穫体験会(小平市・にごりや農園)で求めてきたウドの醤油漬けを、皆さんに賞味して頂きました。
なお、オルガン堂は3月の閉店までの間、ほぼ毎週のように連続イベント「福島大感謝祭」(味噌作り体験、伝統料理を食べる会など)を予定しているとのこと。
私も何度か、参加したいと思っています。
さて、この日は最後は北品川へ。
品川で毎月マルシェ「全快野菜ちゃん」を開催したり、東京・檜原村でゴマを植える活動(東京ゴマ01プロジェクト)をしたりしているグリーンスマイルの新年会です。
京急北品川駅から旧東海道(旧品川宿)を少し南下したところにあるのが、炭火焼き居酒屋「裏番場」。
あまり大きなお店ではありませんが、気持ちのいい食事とお酒を楽しめます。
その2回座敷を借りきっての新年会は、メンバーの2人の送別会(大阪転勤とスペイン語学留学)を兼ねていました。
新しい道に進むお2人の門出を祝しつつ、乾杯、乾杯が深夜まで・・・。延々と・・・。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
→プロバイダ側の都合で1月12日以降更新できなくなったことから、現在、移行作業中です。
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