熊本地震からほぼ1ヵ月後の2016年5月13日(金)、熊本に向かいました。
2005年4月から3年間在勤・在住した地。
お世話になった知人・友人も多く、主だった方とはメールや電話で無事は確認していたものの、それぞれ自宅等は酷く被災されている様子。何か片付け等のお手伝いでもできればと、一応、装備と服装はボランティア仕様。保険にも入りました。
SNA(ソラシド エア)013便は、定刻の12時15分に羽田空港発。快晴です。富士山の火口の真上を通過。
明石海峡大橋や瀬戸大橋もくっきりと望めました。細長い佐田岬半島の中ほどにある伊方原発を過ぎると、飛行機は降下を始めます。雲が出てきました。
高度を下げて雲の下に出ると、阿蘇が見えてきました。
中岳はこの日も噴煙を上げています。阿蘇大橋を崩させた土砂崩れの現場が上空からもはっきりと見えました。想像以上の規模の大きさです。
飛行機はいったん海岸線まで出た後、旋回して高度をぐんぐん下げて行きます。
有明海に注ぐ白川の水は、泥で濁って茶色です。
熊本城。被災の様子は上空からではよく分かりません。
そして着陸する寸前、町並みには点々と見慣れない鮮やかな青いスポットが。損傷した家屋を覆うブルーシートと気づきました。すごい数です。
定刻の14時過ぎに阿蘇くまもと空港に到着。ターミナルビルの一部は今も供用されていない様子。
NPO環境ネットワーク熊本(かんくま)事務局長のSKさんが出迎えて下さいました。元気そうな姿に一瞬言葉が詰まります。
車には、同理事の林信吾さんが待っていて下さいました。
東京で大手経営コンサルタント会社に勤務されていたのですが退職、帰熊(注:「きゆう」と読みます。)され、「くまもと食べる通信」(フェイスブックページはこちら)の創刊等に携わられました。
今回の地震では友人たちとのネットワークを活用し、指定されていない避難所や個人宅を個別訪問する等してしてニーズを把握・データベース化し、支援物資の手配等に尽力されたそうです。
その林さんが南阿蘇の生産者の方を訪ねられるというので、同行させていただくことに。
通過する西原村でも、道路わきの擁壁が崩れているなど、大きく揺れたことが想像されます。グリーンロードへ。熊本市内から阿蘇に向かうには阿蘇大橋か俵山トンネルを通るのが一般的ですが、いずれも通行止め。唯一、この広域農道だけがいち早く復旧し通行可能になっているそうです。
大きな被害が伝えられる南阿蘇村がどうなっているのか、動悸が高まります。
しかし峠を降りて、生産者の方と連絡を取るために「あそ望の里くぎの」に到着すると、以前と変わらない姿で「かなばあちゃん」が出迎えてくれました。
いつも混んでいる駐車場は空いています。敷地内には、避難場所になっているらしいテントも。
SKさんが阿部牧場(阿蘇市)の「飲むヨーグルト」を分けてくださいました。生産・販売が再開されているようです。
水田には水が引かれ、田植えの準備が進められています。
若い方や女性を含め、生産者の方たちが作業をされている畑に到着。ちょうどネギの植え付けが行われていました。
使っておられたチェーンポット専用の簡易移植機は、苗を装着して後ろ向きに引っ張っていくと「溝切り→植え付け→土寄せ→鎮圧」という一連の作業が行えるというスグレモノ(「ひっぱりくん」と言うそうです)。
少しお手伝いさせていただき(←邪魔するなよ)、畑の脇でお話を伺いました。
南阿蘇では、移住者を含む若い農業者の方たちを中心に「阿蘇草原研究会」が結成され、地域の資源と環境を活かした「千年持続可能」な農業に取り組まれているそうです。
その後、生産者のお一人の畑を見学させていただきました。
もともと傾斜地にあった西洋わさびを植えていた畑は今回の地震で半分ほどが崩落し、ここでの作付けは断念されたとのこと。
この方は北九州市出身で九州東海大学農学部の卒業生。自宅も被災し、しばらくテント暮らしが続いたそうですが、「これを機会に新しいことを始めていきたい」と明るく前向きに語っておられていました。
それに対して林さんは「手伝えることがあれば、本当に何でも言ってくださいね」と声をかけておられたのが強く印象に残りました。
「くまもと食べる通信」で南阿蘇が特集されるのも、近いかもしれません。
避難所となっている久木野中学校を通りました。
敷地脇には災害ごみ等が大量に集積され、処分する作業が行われています。
帰途、グリーンロードの展望台に車を止めて改めて南阿蘇の姿を遠謀。
山肌には、ところどころ土砂崩れの爪あとが見られるものの、優美で壮大な景観は何も変わっていません。
看板のかなばあちゃんのセリフ(キャッチフレーズ)は「ただのいなかじゃーなかよ。」
熊本市内に向かうのに益城町を通過しました。
道路わきには大きな段差。幹線道路からみえる範囲だけでも多くの建物が倒壊しています。ニュース映像等では何度も見せられているとはいえ、自分の目でみると胸が詰まります。
健軍電停の近くで降ろしていただきました。かつて3年間、この近くに住み、ここから市電等で通ったものです。
商店街のアーケードを歩いてみると途中から行き止まりに。左側の建物が倒壊して空がみえていました。
そして市電で市中心部へ。
正面に熊本城が見えてきました。天守閣は、屋根瓦が落ち、しゃちほこの姿もなく、のっぺりとしています。
市民会館前で下車して堀端を歩くと、長塀にも大きな被害。石垣も崩れています(熊本城については改めて掲載します)。
清正公(熊本の人は、親しみを混めて「せいしょこさん」と呼びます。)の像は、変わらずにどっしりと腰を据えていました。
お城に近い国際交流会館でレンタルサイクルをお借りしました。3日で900円。これで市内を移動する脚は確保できました。
駅近くのビジネスホテルにチェックインしシャワーを浴びた後、市電で再び中心街へ。
繁華街はそれなりに賑やかですが、以前に比べれば人の数は多くありません。
老舗デパートの前には「くまモンがんばるモン」のタペストリ。アーケードの柱ごとには「負けんばい熊本」の看板。
比較的新しくできたらしい漬け麺屋さんへ。
サイズは「並」「中」「大」から選べるというので「中」をチョイスすると、実はこれが大盛り。野菜漬け麺のネギを追加してもらったら、これも大量。
うーん、このボリュームには完敗。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
(プロバイダ側の都合で1月12日以降更新できなくなったことから、現在、移行作業中です。)
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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