2016年8月3日(水)の宮崎・椎葉村。
いよいよ焼畑の火入れが行われる当日です。
朝5時過ぎに起き出して外に出ると、何とも美しい朝焼け。待宵草には、たくさんの蜂が集まっています。
改めて泊めて頂いている民家をみると、大きな屋敷です。今は使われていない畜舎が隣接。
天井には太い梁。風呂やトイレは改修されていて新しく、快適です。
今回、お世話になっている大和田順子さん(農林水産省・世界農業遺産等専門家会議メンバー、社団法人ロハス・ビジネス・アライアンス共同代表)が、手ずから味噌汁など朝食を準備して下さいました。
主婦(?)をされている大和田さんの姿は、ちょっと新鮮です。
車2台に分乗して山道を10分ほど上がったところにあるログハウスが、共同作業体験施設「粒々飯々(つぶつぶまんま)」。
ここが、この日の火入れの拠点になります。
8時前ですが、すでに多くの地元の方達が集まって準備中です。
延焼を防ぐための散水用の器具等も準備されています。テント張り等をお手伝い。
古い民具等が展示されている屋内では、地域のお母さん達が昼食や懇親会用の料理の準備中。
大和田さんも自然に溶け込んでいます。
太い「縄文キュウリ」など、たくさんの地場野菜が調理されていました。
受付のテーブルも準備され、次第に見学者の方達が集まってきました。
後で伺うと、受付をされた外部の方だけで90名以上、地元の方を含めると110名ほどの大人数とのこと。
マスコミ関係者も多く、昨年、世界農業遺産に認定されてから最初の火入れは大きな注目を浴びているようです。
8時50分頃から開会式。
まずは代々、焼畑農業を守り続けてこられた椎葉家の現当主・椎葉勝さん(民宿・焼畑の経営者でもあります。)から、
「ここに人が住み、生業があるから焼畑の伝統が続いている。それが世界農業遺産として認定されたことは喜ばしく、これからも力を尽くしていきたい」等の挨拶がありました。
参加者全員(福岡、京都、海外から来られた方も)からの簡単な自己紹介に続き、9時15分頃、いよいよ火入れする現地に向かいます。
徒歩10分ほどで傾斜地の竹や木が伐採されているところに到着。面積は30アールほどとのこと。ただしこれは平面ベースなので、実際には50アールはありそうです。
勝さんは、火入れ予定地(「ヤボ」と呼びます。)の最も高いところの脇に、祭壇を準備され始めました。
他の方達は、ヤボと周囲の竹林等との間にある竹や木の枝を取り除き、防火帯を確保する作業。
一通り準備は終わりましたが、しばらくそのまま待機。
朝露が乾くのを待っているのだそうです。火入れは、全て自然のリズムに合わせて行われているのです。
暑い日ですが、時折り吹く風には涼しさを感じます。
そして10時半過ぎに神事が始まりました。
勝さんが、多くのカメラに囲まれる中で、伝承されている「唱え言」を唱え始めました。
「これより、このヤボに火を入れ申す
ヘビ、ワクドウ(蛙)、虫けらども、早々に立ち退きたまえ
山の神様、火の神様、どうぞ火が余らぬよう
また、焼き残りの無いよう、お守りやってたもうりもうせ・・・」
そして、参加者全員でお神酒を捧げました(焼酎でした)。
いよいよ火入れです。
乾いた竹を束ねたものに火をつけ、ヤボの枯れ枝等に移していきます。上から下へと火を入れていくのだそうです。
最初は白い煙だけですが、やがて真っ赤な炎が見えたと思うと、たちたちメラメラと高く燃え上がり始めました。
ばちん、ばちんと竹が爆ぜる音が、向かい側の山肌に反響します。
私たち見学者は遠巻きにしていましたが、それでも顔が焼けるように熱くなってきました。火の近くにおられる方は、相当の熱さと思われます。
枯れ草等が焼ける煙の臭い。むせ返りそうです。
本や映像では感じることができない、現場ならではの迫力です。
防火帯の辺りには、散水機で水をかける人の姿も。
向かい側の山道を登ってみました。
あらかじめ木の枝を払って下さっている箇所があり、ここからは焼畑の全景が見渡せます。ここにも多数のカメラ。
下の方のヤボには両側から火が入れられました。炎の帯が、竹や木の枝を焼きながら中央に向かって走っていきます。
やがて両側からの火が一体となると、炎は勢いを失い、自然に鎮火。
その瞬間、大量の白い煙が渦を巻いて上がっていきました。 龍が天に登るかのようです。
一連の火入れの作業は、あらかじめ手順や役割分担が綿密に計算されているそうです。
一部始終はドローンでも撮影されていました。
正午前、予定通り火入れは終了。
山道を下りかけると、椎葉クニ子さん(勝さんのお母さま)がヨモギを採っておられました。
本や映画、NHKのドキュメンタリでも著名な方。マスコミの記者とテレビカメラに囲まれインタビューされていました。92歳になられるそうですが、今も毎日のように山に入って山菜採り等をされているそうです。
ヨモギが入ったビニール袋(かなりの重さ!)をお持ちして、2人で体験施設まで下りていきました。
道中、ヨモギを採りながら、様々な野草の名前を教えて下さいました。ほとんどは食べられるようです。
体験施設での昼食は、地域のお母さん達の手作りによるカレーライス。それに地場野菜の料理など。
ご馳走様でした。
13時過ぎ、再び火入れした現場へ。
光景は朝から一変していました。斜面一面が白っぽい灰に覆われています。ところどころには、まだくすぶっている火と煙も。
勝さん達は竹かごを抱え、蕎麦の種を播いていきます。
その後ろから、竹の笹を持った人達がはたきながらついていきます。
焼畑農業では、農薬や肥料は一切使わず、ヤボを焼いた草木灰だけで作物を育てるとのこと。
火入れ直後には蕎麦を播き、2年目にはアワやヒエ、3年目以降は小豆や大豆を植えます。そのあとは植林して山に戻し、20~30年間かけて木を育てながら地力の回復を待つのです。実に数十年をスケールとする循環型の農林業システムなのです。
蕎麦を播き終わった頃、ぽつりぽつりと雨が落ちてきたと思うと、たちまち豪雨に。
白っぽかった畑は、みるみる真っ黒い色に変わっていきます。急いで体験施設に戻りましたが、全員びしょぬれ。
火入れは無事に終了。しかも播き終わったと同時に雨になるとは、絶好のタイミングだったようです。
椎葉勝さんから、終了に当たっての挨拶。
大和田順子さんも、椎葉村における世界農業遺産の意義等について話されました。
いったん民家に戻ってシャワーと着替えをした後、体験施設に戻ると、懇親会がたけなわです。
ビールや焼酎、どぶろくに、お母さん達の手料理やバーベキュー。地域の名産である菜豆腐も。野菜が入った見た目も美しい堅豆腐です。
そして19時頃、地域の発展を期して全員で万歳。
地域おこし協力隊の2人、新規就農を希望されているという方(いずれも若い女性)も参加しておられました。
懇親会の終了後、もう一度、焼畑に行ってみました。雨に濡れて真っ黒くなった斜面。
その向こう、雨に煙る重畳たる山の姿には、荘厳ささえ感じられました。
これまで、椎葉さんご一家のみが守り継いでこられたという焼畑。よくぞ、これまで続けて来て下さったものと、感謝と感嘆の念を禁じえません。
この日は、今年から再開するという近隣の集落の方も見えられていました。隣接する熊本・水上村でも、焼畑が復活しつつあるそうです。
「世界農業遺産」にも認定された日本独自の循環型の農林業システムが、これからも、地域の方達、若い人も含めた総力で、将来に受け継がれていくことを期待したいと思います。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
(プロバイダ側の都合で1月12日以降更新できなくなっていることから、現在、移行作業を検討中です。)
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
(↓ランキング参加中)
人気ブログランキングへ