【F.M. Letter No.107; 2016.11/29 掲載】
福島・南相馬市出身の番場さち子さんは、大学卒業後、故郷に戻り書道教室や学習塾を運営されていました。生徒や保護者の相談にじっくり耳を傾ける人気の塾だったそうです。
そこに東日本大震災が発生。事故を起こした福島第一原発から23kmの位置にあった学習塾の生徒達は避難を強いられ、一人もいなくなってしまいました。
また、かつて経験したことのない原発事故に見舞われた地元では、多くの人が放射能に対する強い不安を抱いていました。そこで震災直後の2011年4月、若い母親や子ども、高齢者たちを精神的にサポートするために、番場さんは高校の同級生ら4人と任意団体「ベテランママの会」立ち上げ、地域の専門医師を招いての市民向けの勉強会・相談会の開催、放射能に関する分かりやすい冊子の作成(英語版も)のほか、編み物サークル等のサロン活動にも取り組んでいます。
さらに、首都圏に進学した元教え子から「放射能がうつる」等と揶揄されたという話を聞いた番場さんは、2015年11月、学習塾であるとともに、首都圏に住む福島からの避難者等の相談窓口やたまり場でもあるサロン「番來舎(ばんらいしゃ)」を東京・駒場に開設されました。
明治の初め、志を共にする人たちが自由に懇談し交流を深めるために福沢諭吉がつくった社交クラブ「萬來舎」にあやかったという名前の通り、ここでは福島の復興等に関わる様々なゲストをお呼びしてのトークショーやセミナー等も定期的に開催されています。
例えば南相馬病院の坪倉正治医師、『福島学』の開沼博先生(元福島大学、現在は立命館大学)、原発作業員の支援と被災地の地域づくりに尽力されている吉川彰浩さん(AFW)など、多彩な方の話をここで聞くことができるのです。
先日(11月11日)は、津波による行方不明者捜索活動のリーダーである上野敬幸さん(福興浜団、南相馬市)と、東京電力・福島復興本社の石崎芳行代表による対談が行われました。
全く立場の違うお2人ですが、被災地の復興のために懸命に取り組む思いには共通する部分もあると感じました。
原発事故の直接の被災地である福島・浜通り地方は、復興が進捗している面もある一方、まだまだ多くの困難な課題が残され、さらに地域住民等の間には分断も生じています。
そのような難しい状況の中で、様々な立場の方達が意見を交わし、それを周りの人に伝えるための場作り等に献身的に活動されている番場さんに、心から敬意を表するとともに、今後の取組みにも期待したいとと思います。
[参考]
ベテランママの会
http://veteran-mama.com/
一般社団法人 番來舎
http://www.banraisha.com/
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