2017年6月10日(土)。
自宅近くに一画を借りている市民農園。ジャガイモと空豆の後に追加の苗(トマトとナス)の植え付けと、種まき(スイートコーンと枝豆)。
あやめ雪(カブ)とキュウリを収穫(早くもキュウリ祭りの季節が到来!)。ベランダのプランターに植えたゴーヤは、小さな実をつけています。
それにしても土がパサパサ。深刻な水不足が続いています。
午後は東京・目白の学習院大学へ。総合人間学会の第12回研究大会の会場です。
総合人間学会とは、今日のグローバルな難局(はびこる拝金主義、生存基盤であるエコシステムの破壊、非人道的な殺傷等)のなか、人間を全体として見直し新しい人間学を創造する“開かれた学”の場として、2003年に設立された学会とのこと。
大会は2日間で、初日は「を問う-真の豊かさを求めて」と題するシンポジウム。2日目は「憲法と教育-9条の理解を深めるために」をテーマとしたフォーラムですが、私は初日だけの参加です。
会場の参加者は150名ほど。
座長の尾関周二先生(東京農工大学名誉教授/哲学)からの開会挨拶とシンポジウムの趣旨の説明(以下、文責中田)。
「日本は工業立国により豊かになったというが、果たしてそうなのか。農に対して様々な偏見、通念にとらわれているのではないか。自分自身も農業に対する関心は高くなかったが、自給率39%、耕作放棄地の増加など日本農業は深刻な実態。一方で農に対する関心が高まってきている。農を通して人間の存在そのものを問うていきたい」
続いて、佐賀・唐津の山下惣ーさん(農民作家・小農家)による「体験的農業論」と題する基調報告が行われました。
個人的には、10年も前になりますが九州農政局在勤中に山下さんに講演をお願いしたことがあり、その時には打合せを兼ねて唐津を訪問し、ほ場を見学させて頂くなど大変お世話になった方です。
さらに個人的には、学生時代から山下さんの小説やエッセイの大ファンでもあり、2007年に共著を出版できた時は望外の喜びを感じたものです。
山下さんの話の内容は、次のようなものでした。
「私は1936(昭和11)年の生まれ。81歳の今まで百姓として生きてきた。
小学校(国民学校)3年の時に敗戦、天と地がひっくり返ったことを経験して以来、国家や世間に対する根強い不信感がある。また、江戸中期から1960年頃まで続いた日本の伝統的な農業の最後の体験者でもある。そのような百姓の立場から私の考えを述べる」
「動物は生まれながらにして動物だが、人だけは、人間が人間として育てないと人間にはならない。
日本人の際立った特性は、勤勉で誠実、そして辛抱強いこと。定住して水を共同利用するという農業(特に稲作)の影響が大きい。和を大切にしないと農業は続けられない」
「農業は自然相手。全く思うようにならない。この春、雨は1回しか降っていない。そして農業は全て自己責任。
さらに、自分自身を毎日村人の前に晒している。誰の田んぼか畑か、みんな知っている。謙虚にならざるを得ない」
「2度も家出するほど嫌だった農業を継ぎ、面白くない農作業を何とか道楽にしたいと思っていた時に、農聖・松田喜一翁の『農魂』『一画破り』という言葉にめぐり会った。命を賭けて作ってみようと思った。
百姓は一所懸命やると報われる。作物は裏切らない。ただし値段は別で、作る時は楽しいが売る時には腹が立つのが農業」
続いて黒板に横線を引かれました。
「直線の左端が『苦』、右端が『楽』。その間に自分がいる。楽の方に流れると、その分、苦が増えることになる」
「松田翁は、百姓を五段階にランク付けしている。
一番下が生活のため、カネを稼ぐための農業で20点。次の段階が芸術家の百姓。立派な作物を作ることに生き甲斐を見出すのが40点。三番目が詩的情操の百姓で、日々、詩を感じて暮らすようになって60点。四番目が哲学家の百姓(土の哲学)で80点。
そして一番上が宗教家の百姓。自然には八百万の神が宿っている。ここまで来て百(100)姓になる」
「百姓とは暮らし方、生き方に他ならない。日本農業は悲惨だという話があったが、自給率などは我々百姓の知ったことではない。
日本農業の方向性としては小規模、オーガニック、地産地消しかないのではないか。今のアベノミクス農政には未来はない。そこで3年前に自分たちで実践しようと、仲間と『小農学会』を立ち上げた」
「生活の糧を稼ぐのではなく、暮らしを目的としているのが小農。これは全世界同じ。ロシアのダーチャを視察した経験があるが、みな楽しそうだった。日本でも誰でもできるような農を目指すべき」
会場との質疑応答では、レジュメには山下さんは有機農業はやらないとあるが、との質問がありました。
山下さんからは「日本における有機農業のシェアは面積ベースでわずか0.4%ほど。10kmの距離にある玄海原発も再稼働するような社会で、消費者が目分の食べものだけは安全なものを求めるというのは身勝手。だから自分は有機農業はしない」との回答。
続いて3名の方からの報告。
三浦永光先生(津田塾大学名誉教授/哲学)からは「農の特質と成長経済」と題してレジュメに即して報告。
地域経済の中核に有機農業を据え、農家と消費者の支え合いにより自給率向上を目指すべき等と主張されました。
千賀裕太郎先生(東京農工大学名誉教授/環境計画学)からは、「豊かなを基礎に『日本の国土利用・経済戦略百年の計』を」と題して、再生可能エネルギー主導の経済構造への転換は必然的に推進すべき方向であり、農村空間の人間性育成機能にも期待したい等の報告。
最後に佐々木秀夫さん(都筑ハーベストの会理事長/農福連携学)から、スライドを用いて「これからの社会福祉と農-精神障害者と地域住民にとり豊かな暮らしを実現できる農福連携とは何か?」と題して報告。
小規模作業所における取組みの経験を踏まえ、人間同士、人間と自然の共生の観点からの農福連携のあり方等について説明がありました。
休憩を挟み、後半は会場からの質問を受け、答えるかたちでの総合討論。
冒頭から「大災害、死の時代が近づく中で農の役割とは」との本質的な質問。
山下さんからは「私には分からないが、農業をやっていると死ぬのは恐くなくなる」との回答。
三浦先生からは「田舎では畑の近くにお墓がある。農業と宗教が融合しており、死の問題にも馴染んでいたのでは」とのコメント。
地方出身で、農業をやりたくなかったので上京したという人に対しては山下さんから
「消費の喜びは生産には及ばない。農業は楽しい。息子も帰ってきて就農する予定」等の回答。
三浦先生からは「自分も市民農園で野菜作りを楽しんでいるし、ゼミ生を連れて埼玉・小川町に農作業体験に行ったこともある」等の紹介。
千賀先生からは
「唱歌『春の小川』は農業用水路の姿を写実したもの。このような景観の保全等を農家だけに押しつけるのではなく、地域全体で支援していくことが必要」とのコメント。
最後近く、会場の後方に座っておられた学会長の堀尾輝久先生(東京大学名誉教授/教育思想)から、総括的なコメントがありました。
「この学会で農を取り上げた意味が参加者の皆さんにも理解できたと思う。何が本当の豊かさであるかが問われている。いのち、生きる、なりわい、暮らしといった言葉を大事にしていく必要。その意味でも、農業や農村に期待するところは大」
ところがこれに対して山下さんは、
「農業・農村に対する期待が過剰すぎる。私の住む地域は5集落で1000戸ほどだが小学生は14人。子どもが少ない。家を出て唐津市内にアパートを借りているような若い夫婦も多い。ある夫婦は、固定資産税がかかるからと実家を処分しようとしているが引き受け手がいない。農地や住宅を維持すること自体が負担になっているというのが農村の現実。
皆さん農業・農村への幻想が大きすぎる。甘いのではないか」と、いささか辛らつなコメントをされてシンポジウムは終了。
TPPや農政についても舌鋒鋭い批判を繰り広げられている山下さんですが、その経験に根ざした話の内容は重く、しっかりと受け止めたいと思います。