東京地方は、本当に雨が降りません。まだ梅雨は明けませんが、連日、猛暑が続いています。
そんな2017年7月14日(金)の夕方は東京・池袋へ。
改築された豊島区地域活動交流センター4Fの会議室(綺麗な部屋です)で19時から開催されたのは、比企ツーリズム(歴史)「武蔵武士の背景と舞台」と題する講演会。
比企ツーリズムとは、自然と歴史豊かな埼玉県の真ん中・比企(ひき)郡を舞台に「農的暮らし」「大人のアウトドア」「歴史と文化」の3コースで本年からスタートしたプログラム。
主催はECOM(エコ・コミュニケーションセンター)です。
この日は「比企の歴史と文化を探るコース」の一部として、入門編ともいえる講演会が開催されたのです(後述の通り、8月以降、実際に現地をめぐるツアーが予定されています)。
講師は山本正史さん。
埼玉・東松山市にある「地域の魅力を引き出す出版会社」まつやま書房の代表で、比企ツーリズム(歴史)のコーディネーターも務められています。
この日の参加者は、それぞれ歴史に関心のある6名ほど。東松山市等で自然農に取り組んでおられる方、自宅を改修してコミュニケーションの場作りをされている方も。
「武蔵武士の背景と舞台」というテーマに惹かれて参加したのですが、この日の話の内容は多岐にわたりました。
まず配布されたのは地形図です。
関東地方の多くは過去は海だったことが示されています。更級日記には、一面カヤなどが繁茂する低地だった様子が描かれているそうです。
一方で比企など西部は乾燥地帯(扇状地の扇央地)で、取水は井戸に頼っていたとのこと。
そしてもう一枚は」武蔵国の郡の構成図。地形に沿って郡が配置されている様子が分かります。
テーマである中世武士の背景については、このような地形等から説明する必要があるそうです。
続く山本さんの話は、空間的にも時間的にもスケールの大きなものでした(文責・中田)。
「600年頃に朝鮮半島では大きな変動があり、多くの人が日本に渡来してきた。高麗郷(日高市)はその代表。もともと土地が広く、総じて豊かな関東地方に、渡来人達が多くの技術をもたらした。
例えば絹織物(からごろも)、鉄を精錬するような技術。秩父には採鉄鉱跡や和銅遺跡も残っている。当時の日本の先端技術は東国にあったといえる」
「そのようななかで有力な武士団が形成されてきた。
12世紀半ばには、頼朝物の兄・悪源太義平が大蔵館(嵐山町)を襲い、幼い義仲は信濃・木曽に落ちていった。その後、関東の源氏の勢力は衰退したが、鎌倉幕府成立の背景には畠山氏など武蔵武士団の力があった。頼朝と義仲の確執もあった」
「関東の武士は全国に散らばっている。
例えば大相撲の正代関の祖先は、元寇の時に東松山市高坂から肥後に移住した正代氏ではないか」
「さらに関東は、文学の面でも豊かな歴史を有している。
例えば、万葉仮名で書かれた万葉集を研究し翻訳したのは、小川町に住んでいた仙覚律師。多くのすぐれた「東歌」もある」
最後に山本さんからは「ツアーの内容等も参加者皆さんで考え、企画していきたい」との言葉があり、主催者であるECOMの森さんから今後のスケジュール等の説明がありました。
まず7月21日(金)18時30分からは、この日のような講演会を東松山市(総合会館)で開催。
その後、「武蔵武士のたどった道を歩いてみよう」という趣旨で、8月13日(日)には「都幾川流域と慈光寺」、9月17日(日)には「太田道灌ゆかりの地・越生」のコース等が予定されているとのこと。
さて私というと、もともと歴史は大好きです。
しかし始めると深みにはまり、他のことは何もできなくなる恐れがあって封印していたところがあるのですが、比企ツーリズム(歴史)のイベントに参加することから、少しずつ封印を解いていこうかなと思い始めています(危険かな)。