ご近所ラボ新橋の毎週水曜日は「対話ラボ」の日。
「対話」を共通のキーワードに、持ち寄りご飯会や哲学カフェなど様々なイベントが開かれていますが、2017年11月15日(水)のテーマは少し変わったものでした。
「戦後72年。いま感じていることを持ち寄り対話しませんか」
FBのイベントページにある主催者(たかったー氏)の案内文は、以下のようなものです(要旨)。
「敗戦から72年。大きな出来事だったにも関わらず、一人ひとりの体験として正面から語られる機会は少ない。自分にとって敗戦という出来事はのどの奥に刺さった小骨のようなもの。対話の場をとおしてその正体に少しでも迫りたい。一緒に向き合い、聞きあいましょう」
これまで終戦記念日の8月15日前後に開催したそうですが(今回で3回目)、今年は事情によりこの時期の開催となったようです。
19時過ぎに開会。参加者は10名ほどです。
進行役のたかったー氏から「戦後という言葉から思い浮かんだことを自由に話し合い、聞きあいましょう」と促されたのを受け、特に自己紹介もなく対話がスタート。
(以下、文責・中田。ニュアンスが違っていたり、もっと大事な発言があったかもしれません)。
口火を切ったのは埼玉県から来られた女性。
「案内文を読んで、戦後は終わっていないという印象が強くひっかかった」との感想。
これに対して栃木県から来られた男性は
「第二次世界大戦の敗戦は、歴史上大きな事件であり時代区分。しかし『公』的に政治や教科書で語られるものばかりで、個人という視点が見落とされ過ぎている。その時代を生きた人の経験や個人の記憶を大事にすべき」との意見。
都内在住の男性からは
「今や戦後の方が戦前(明治維新~第2次大戦前)より長くなってしまった。実感できない人が多いのも、記憶が無くなるのも当然ではないか」とのコメント。
「自分は母親の話を聞いて年表を作りたいと思っている」という男性。
「『公』的なものと『私』的なものは明確には分けられないのではないか。個人の記憶の集積が歴史になるのでは」との意見も。
港区で飲食関係の仕事をされている営む男性からは
「子どもの頃は戦争モノのドラマや映画が大好きだった。満州やシベリアに戦争に行っていた親戚のおじさんが3人いて、聞くと喜んで経験談など話してくれた。生の感覚があった」との思い出を話してくれました。
「個人の口述に重きを置きすぎると、良いことしか伝わらなくなる懸念があるのでは」との意見も。
様々な発言が続きます。
進め方についても「論点を絞った方が良いのでは」「あえて決めずに拡散してよいのでは」という相反する意見が出されました。
予定の1時間が過ぎて10分ほどの休憩を入れてクールダウン。
お菓子のほか、新潟の大豆から手作りした味噌や野菜が並べられました。
20時過ぎから後半。冒頭、たかったー氏から
「2年前に最初に開いた時、参加者の一人の『戦後と聞くと違和感を感じる』という言葉が強く印象に残っている」等と発言。
これに対して栃木の男性からは
「戦後が終わっていないとすれば、引きずっているのは何か。それを明らかにする必要があるのではないか。私は無責任体制だと思う。これは今も変わっていない」との意見。
埼玉の女性は
「うまく言葉にできないが、自分も一緒に考えていく、気にし続けていくことが必要ではないか。当事者にはなれないが、当事者意識的なものを持っていたい」とのコメント。
他にも様々な意見が出され、予定の21時15分を超過。
たかったー氏も、もう1人の主催者のケンタロウ氏も方向や結論をまとめることはしませんが、
「回数を重ねるごとに参加者の間の距離は近づいていると感じる。また開催したい」との言葉で終了しました。
最後の振り返りでは「今日は対話のキャッチボールができていなかったのではないか」等の厳しいコメントも出されましたが、そのようなことも全部含んだものが「対話」というものだそうです(極端な場合、何も発言もないまま時間が過ぎるケースもあるとのこと)。
ところでこの日は、偶然、対話ラボの中心人物のお1人・みずかさんの誕生日。
たかった一氏がこっそり(?)準備していたケーキにろうそくを立て、中途半端な(笑)サプライズパーティー。
みずかさん、おめでとうございます。
その語の雑談の中では、私からは戦後の日本人の1人当たり米消費量は、戦時中の配給基準量を大きく下回って推移していることも紹介しました。
人にとって誕生日が節目であるように、日本の歴史にとって終戦記念日の8月15日は節目の一つかも知れません。
今夜のような対話が、戦後73年目になる来年以降も、さらに密度を上げつつ続けられることを期待したいと思います。