2018年12月1日(土)~2日(日)は「浜通りの農家を巡るスタディツアー2018」に参加しました。
主催は福島県有機農業ネットワーク(ふくしま有機ネット)です。
せっかくなので、11月のCSまちデザインのツアー(いわき市)の時と同様、朝5時に起床、8時上野発のJR特急ひたち1号に乗車。
いわきで常磐線の各停に乗り換え、広野駅に到着したのは定刻9時44分。眩しいほどの晴天です。
広野町は童謡の里。ホームには「汽車」(写真は裏側(笑))、双葉みらい学園に隣接する公園には「とんぼのめがね」の歌碑があります。
11時までの集合時間までの間、目指すは高倉山。
戦国時代、ここにあった猪狩氏の城は、岩城氏と相馬氏の勢力圏の接点に位置する重要な戦略拠点でした。
駅から徒歩20分ほどで目指す案内板にたどり着いたものの、登山道が分からず「攻城」は断念(残念)。
何度も通っているオーガニックコットンの畑は、既に収穫が終わった寒々とした光景。
岩下観音堂に参拝した後、駅に戻りました。
集合場所である駅前には、主催者である福島県有機ネットワークの浅見彰宏理事長、同じく喜多方市山都から来られたアスパラ農家の五十嵐正次さん(2日間、運転をお世話になりました。)の姿。
それに、現地でコーディネートして下さる鈴木亮さん((一社)ふたすけ(ふたば地域サポートセンター))も。
後続の特急が20分ほど遅れたものの、参加予定者が集合。
首都圏からの参加者が大半ですが、郡山の方、北海道・帯広畜産大学の学生さん、地元の双葉みらい学園OBの福島大学生、みらい学園在学中の高校生も。
浅見さんから挨拶(以下、すべて文責は中田にあります)。
「今回のツアーの目的は、首都圏等の消費者・支援者と浜通りの農業者との間で、コミュニティ同士でつながっていけるきっかけ作り。復興のスピードは地域によって全然違う。どのようにつながれば復興支援、地域コミュニティの再生につながるかを、2日間を通して考えたい」等。
2台に分乗してまず向かったのは、広野町・ニツ沼総合公園内にある直売所。
店番をされていた3人のお母さん方から、地元産の農産物等に対する思い等について話を伺いました。
勧めて下さったみかんなどを購入。浜通りでも南部に位置する広野町は、気候温暖で、温州みかんの産地になっています。
国道6号(以下、「6国」(ロッコク)と呼びます。)を北上。
楢葉町(ならはまち)北田の農家レストラン「げんき庵」に到着したのは、ちょうどお昼頃です。
「30年前、20歳台の時にこの地に嫁に来た時は水が綺麗なのに驚いた」というオーナーの山内富子さん。
町の社会福祉協議会を今年3月で定年退職したのを機に、自宅を改装し、以前からやってみたかった農家レストランを始められたそうです。
もっとも、今に到る経緯は平坦なものではなかったようです。
2011年3月の原発事故により楢葉町は全町に避難指示が出され、解除されたのは2015年9月。帰って来られるまでの間、留守宅は何度も盗難被害に遭ったそうです。
「すぐ近くに復興住宅の団地があるが、住んでいるのは高齢の方ばかり。せめて1日1食だけでも、多品目の健康的な食事をとってもらいたい」等と、山内さんは話しておられました。
「田舎料理で」と謙遜しながら出して下さったのは、品数も多く、見た目も美しい定食。自家で栽培した野菜を始め、浜通りの食材がふんだんに使われています。
趣のある器で美味しいコーヒーも頂きました。また、工芸品等の展示や販売も行われています。
山内さんご夫妻の思いのこもった料理。美味しく頂きました。ご馳走様でした。
昼食後、木戸川の鮭やな場付近を見学。
震災前は国内でも有数の鮭の水揚げを誇っていました。津波被害と全村避難により中断されていた人工孵化事業も再開されています。
昨年12月に伺った時、漁協の方が希望に満ちた表情で説明して下さったことを思い出しま した。
続いてユズ農家の松本広行さん宅を訪問し、ユズ畑の傍らでお話を伺いました。
楢葉町でのユズ栽培は1986年頃に全国で広まった一村一品運動の頃で、JAのユズ部会が発足し、後に研究会を立ち上げられたそうです。特産化を進めていた時に原発事故が発生し、避難を余儀なくされたとのこと。
最盛期には20戸ほどいたユズ農家は、現在は3戸に減少しているそうです。
放射能はND(検出限界以下)。白河市の酒蔵に委託してユズ酒の製造も始められたそうです。人気で早々に完売したとのこと。
地元の高校生達が加工品の開発に取り組んでくれているそうで、嬉しそうに語る松本さんの笑顔が印象的でした。
畑のユズの木は、1988年に接ぎ木で植えたもので31年目になるとのこと。
今年は豊作だそうで、収穫を体験させて下さいました。みかんと異なり鋭いトゲがあります。お土産にたくさんのユズを頂きました。有り難うございました。
上繁岡の大堤へ。白鳥の飛来地です。
平和な光景ですが、対岸の奥の方には特定廃棄物埋立処分施設があり、国(環境省)の事業として埋立処分が行われているそうです。
続いて、町の中心部にあるみんなの交流館・ならはCANvasを訪問。
町民の方たちのワークショップを経て設計され、本年7月にオープンしたばかりです。木のぬくもりが感じられる建物で、津波で被災した家屋の柱等も再利用されているとのこと。
その名称には、町の未来をみんなで創っていく(真っ白なキャンバス)ことを叶える(CAN)という思いが込められているそうです。
館内には被災と復興の状況や、町民の方たちの「生の物語」等の展示もあります。
(一社)復興支援士業ネットワーク(本部・仙台市)の方達による「心と体が元気になる茶話会」も、定期的に開催されているそうです。
代表理事の磯脇賢二さんが、専門家(弁護士、司法書士、ファイナンシャルプランナー、心理カウンセラー等)が生活再建等に向けての相談を受けている状況等を説明して下さいました。
この日はアロマ教室も開催されていました。
やはり仙台から来られた講師の方(菊池馨さん)は、「心と体が元気になるために香りは大切」等と仰っていました。
ならはCANvasと商店街に隣接して、復興公営団地の団地があります。
公園には「帰綱」と記された記念碑。避難先から町への帰還を果たすという願いが込められているそうです。
隣接地では新しい住宅が建設されており、さらに住宅地の分譲も行われていました。
車は「6国」を北に向かいます。
車窓左手に削られている山が見えました。先ほどの白鳥飛来地の奥に位置する埋立処分施設です。
国道脇に、特定廃棄物埋立情報館・リプルン福島がありました。
8月にオープンしたばかりの施設で、職員の方が事業内容、処分の進捗状況やモニタリング結果等を説明して下さいました。なかなか充実した展示内容です。
福島第二原発にも近い海寄りの道を楢葉町に戻ります。
6国沿い(目立つ場所)ではかなり片付けられていますが、この辺りにはまだまだ多くの除染廃棄物の山が残っています。
JR木戸駅に近い旧街道沿いには立派な民家が並んでいますが、解体された被災家屋も多いとのこと。
その一画にある「木戸の交民家 Co-minka」に到着したのは16時30分頃。今夜の交流会と宿泊の場所です。
運営団体である「りきっど」(Re:Kido!) の緑川英樹さんが出迎えて下さり、お話を伺いました。
福島・石川郡の出身で本業は広告代理店勤務とのこと。
「地域で暮らす方、働く方、支援者として関わる方々を含めた地域コミュニティの交流の拠点として、築70年の古民家をお借りして再生・活用している。
色々な方と共に(Co-) 交流を生み出していこうという思いを込めて、『木戸の交民家 Co-minka』と名付けた」
「素人だが、地域の農家の方たちの協力も頂いて、公民家の周囲の田んぼ7反ほどで米づくりにもチャレンジしている。今年は8年ぶりの作付だった。つい先日、都会から来られた方も含め多くの人で稲刈りをしたばかり。
津波の被害もあり、近くには除染廃棄物の仮置場もあるが、大切な農地も守っていきたい」等と話されました。
鈴木さんとともに若手の男子を「調理係」に残し(ゴメンね)、残りは天神岬「しおかぜ荘」の温泉へ。
避難指示解除後に再開された施設で、お湯は少し塩辛く、露天風呂からは太平洋が望めるそうです(この日はすでに真っ暗で残念でした)。
ぽかぽかになった体で交民家に戻って夕食・交流会。
昼間にお邪魔したユズ農家の松本さんも来て下さいました。しかも貴重なユズ酒「ゆず里愛」を持参!
ちなみにゆるキャラ「ゆず太郎」も、松本さんが考案されたものだそうです。
広野町の直売所で買い込んできた野菜等を、大きな鍋で煮込みました。川内村のイワナ の燻製、会津・山都のお漬け物、木戸川のイクラなども。
交流会には(一社)ふるさとと心を守る友の会の代表・谷さつきさんも顔を出して下さり、もーもーガーデン(大熊町)の取組みについて説明して下さいました。
東日本大震災時は東京で会社員をされていたという谷さんは、「原発事故後、大熊町は大部分が立入り禁止となり、町内で肥育されていた牛は置き去りにされた。餓死した牛も多い。
しかし、山に逃れるなどして生き延びた牛たちがいることを知り、そのような牛たちを救うための活動を始めた」とのこと。
「牧場の名前はもーもーガーデン。“MOW” には『草を刈る』という意味もある。
現在、牛は11頭。1頭当たり1日に60kgもの草を食べる。放置されて雑草や灌木に覆われていた農地は、働き者の牛が草を食べることで再生さた。糞をすれば土も肥える。多様な野草や花も蘇ってきたため『ガーデン』と名付けた」
「町内にはまだまだ荒れた土地がある。大震災と原発事故を生き抜いた牛を生(活)かすことで、土地とふるさとを守っていきたい」と力強く語っておられました。
ちなみに谷さんは、活動と生活を支えるためにコンビニでバイトされているそうです。小柄な谷さんの内側にある大きなパワーと熱意が感じられました。
川内村や富岡町のカフェで働いておられる辺見珠美さんも、色々な料理を作って下さいました。
地域の食材を活かしたメニュー作りに取り組んでおられるそうです。
交流会が盛り上がる中、中座して1人で外へ。
昨年7月、東京で、高校を卒御したばかりの「かっぺさん」のお話を伺って以来、ぜひ行きたかったところがあったのです。
Jヴィレッジに向かうほとんど真っ暗な道を10分ほど(星が綺麗でした)、ようやく明かりが見えてきました。
ここが「結のはじまり」という居酒屋(スナック)です。
さほど広くはない店内は、2組、8名ほどのお客さんで盛り上がっていました。原発の廃炉作業に携わっておられる方もおられるようです。
女将の古谷かおりさんは千葉のご出身。
「地元の方々だけでなく、この地域で働く人や新しい住人も含めて、出会いが広がる場となれれば幸い」と、2017年7月、このお店を始められました。
カウンターの中には、さきほど交民家にも顔を出して下さった市川英樹さんの姿も。
愛知県のご出身、廃炉作業に携わるために移住して来られたそうですが、浜通りの農業の復興をアピールする福島田んぼアートプロジェクトの実行委員長もされているという方です。
既にお腹一杯だったのですが、地酒を一杯と、メヒカリの干物(丸々として美味!)を頂きました。
ところでこの夜は、北川玉奴さんによるライブ(ギター弾き語り)が行われていました。
スレンダーな美女にしては声が低い方だなと思ったら、何と女装した男性(!)。しかも著名な方でした。
披露して下さった『ルート6』という少し長い歌は、原発作業員でもあった玉奴さんの実体験に基づく内容で、聞き応えがあります。
CDを求めサインまで頂きました(握手をする時、ちょっと緊張)。
帰徒は、他の方と同乗し、市川さんが車で公民家まで送って下さいました。
戻った時は22時を回っていましたが、まだ宴(縁?)はたけなわです。23時を過ぎたところで先に失礼し、布団にもぐり込みました。(続く)