ピープルズ・プラン研究会(PP研)の白川真澄代表からの依頼を受け、2022年7月30日(土)、「第11回 経済・財政・金融を読む会」において報告させて頂きました。
テキストは下川 哲先生の『食べる経済学』(2021年12月、大和書房)です。
13時30分から開会(オンライン)。参加者は20名強です。
白川代表からの「本研究会では食料や農業の問題はあまり扱ってこなかったが、パンデミックとウクライナ戦争はグローバル化によって安い食料を輸入するという従来の経済や生活のあり方に根本的な見直しを迫っている。食料の生産・加工・消費に関するオルタナティブを探りたい」等の挨拶に続き、1時間強ほどスライドを共有して報告させて頂きました。
以下はその概要(一部)です。なお、意見等については中田個人のものです。
簡単な自己紹介に続き、テキストについて報告(内容の紹介と若干のコメント)。
表紙のイラストは著者も気に入っておられるらしく、HPには詳細な解説も掲載されている。
「食べものは踊る」という帯の文言に、松永和紀さんの『踊る食の安全』(2007)という著作を思い出した。日本人の安全性偏重という部分は共通している。
下川研究室のHP(食を通して社会を読み解く)は充実。イラスト等を使って分かりやすく、下川先生が訴えたいことのエッセンスが掲載されている。
日経新聞「やさしい経済学」の連載は、私も愛読していた。
本を開くと、まず、牛のイラストと「もしアナタが肉好きなら、環境への影響は想像以上に大きい」との文章が印象的に目に飛び込んでくる。これには若干異論もあり、後に説明したい。
「はじめに」にある「あなたの『食べる』は地球全の壮大なテーマと密接につながっている」との問題提起には、強く賛同。
本書の全体構成(目次)を説明。
ご自身の1日の食生活から説き起こしている説明には、説得力がある。
著者は、より身近な自分の行為である「食べる」という言葉を使っているとのこと。
また、「食べる」は体に取り込む、「食料生産」には自然の摂理に逆らえない等の特殊性があることを指摘。この部分は、若干、農業経済学のテキスト的な視点から補足させて頂きました。
安くて美味しい「食べる」が効率的に実現しているのは市場のおかげ。市場の発展のためには分業が必要。しかし「効率性」には公平性などの倫理的な価値判断が含まれないなど、「市場が力不足」であるとも。
市場がいくら効率的であっても再分配は困難。
現に世界では栄養不足と肥満が共存している。世界には全人口を養うのに十分な食料供給量があるはずなのに、供給カロリーには大きな格差がある。
「肉食と環境」が悩みのタネ。
畜産はメタン等の排出、大量の水の消費、排泄物処理など、環境への負荷が特に大きい。そのような社会的損失(負の外部性)は食肉の価格に反映されていないため、人類は肉を食べ過ぎている。
この部分に対して私からは、「食肉消費量を減らす必要があるとしても、まずは格差の是正が重要では(本にあるように、アメリカはアフリカの4倍の牛肉を消費)」とコメント。
さらに、「肉食や畜産そのものが問題というよりは、現在の生産システム(輸入飼料に依存した施設型・集約型生産)に問題があるではないか」とし、阿蘇のあか牛(地域の景観や環境を保全)や福島・喜多方市山都の放牧豚(食品廃棄物等の地域資源を活用)の事例を紹介させて頂きました。
先進国ほど農業が優遇され、輸出国ともなっている。
パンデミックなど非常時には輸出規制が行われているが、日本への影響は軽微(私からは、今回のウクライナ危機は少々事情が違うのではとコメント)。
米中貿易戦争により中国のブラジルからの大豆輸入が急増した結果、ブラジルでは森林が破壊されている。
従来の経済学は、人間は合理的な存在であると単純化しすぎてきた。
「人間らしさ」(様々な認知バイアス等)が社会問題解決の妨げになっている。例えば安全性には過剰反応。
これらの問題に対するシンプルな解決策はない。少しでも改善するための試行錯誤を積み重ねていくことが重要。
例えば、ゲノム編集等の技術開発。代替肉や培養肉は環境負荷削減等の面で有効(私からは、まずは「まっとうな」畜産物を食べることが大切ではないかとコメント)。
また、世界の食料需要が増加するなかで昆虫食も注目される(私からは、国内で過剰になっている米や乳製品から食べてもらいたいと思う、とコメント)。
「脂肪税」等による相対価格の変更、食品へのアクセスの制限/改善、食品ラベルを分かりやすくすること等も重要な手段になる。
社会にとって最も望ましい食生活については、専門家の間ではある程度のコンセンサスが得られている。それは「健康的で持続可能な食生活」というもの。
「健康的」と「持続可能」は同時に改善できるのがポイントで、EATランセット委員会が具体的な基準を提案している。
この基準と現在の食生活と比較すると、北米では赤肉や卵、鶏肉等が大きく超過している一方、アフリカではイモ類以外は不足しているなど、格差が顕著。
基準達成のためには190~260円/人・日が必要だが、低所得国では3人中2人は実践できない。貧困層の所得改善や食料援助が不可欠。
様々な対策を同時進行で進めていくことが必要だが、その際、特に達成度の低いもの(桶の側板で特に低いもの)から改善していくことが重要。
「未来の視座」から考えることが必要。
それも、自分自身もしくは現世代の未来という中長期的視座と、将来世代の未来という超長期的な視座の両方が必要。
通常、将来世代の視座を獲得することはかなり困難だが、身近な「食べる」であれば、それほど難しくないのでは。
「食べる」を取り巻く状況は急激に変化している。
私たちに最も不足しているのは、現在の私たちの「食べる」が、未来の「食べる」や地球環境と密接につながっているという感覚。
普段の自らの食生活の見直すことが、大きな効果につながることを覚えておいてほしい。
最後に僭越ながら、全体を通して以下のようにコメントさせて頂きました(途中、言葉尻を捉えた揚げ足取りのようなコメントもしましたが)。
一人でも多くの人に読んで頂きたい好著。
イラストを活用するなど平易で分かりやすい文章で書かれており、一般の方向けの入門書として最適。同時に、豊富な研究事例の引用や充実した参考文献リストなど、研究者や専門家にとっても非常に有用。
その上で、新たな疑問が生じてきた。
現在のウクライナ情勢や世界の食料情勢を踏まえた場合、果たして個々人の「気づきと選択」に任せておくだけで十分だろうか(本書が刊行されたのはウクライナ危機発生以前の昨年12月)。
中長期の地球環境問題への対応も重要ながら、今や、足元の食料安全保障(食料の安定供給、「食べる」こと自体)が脅威に晒されているのではないか。
現在、与党や政府のなかでも食料安全保障に関する議論が盛んとなっており、食料・農業・農村基本法を改正する動きもある。
一方で、国家が食料安全保障を声高に唱えることについては、歴史的な経緯を踏まえても危惧を覚えざるを得ない。
であれば、やはり、個々人(市民)の「気づき」と「主体的な選択」を基本とせざるを得ないのではないか。と、結局、テキストと同じ結論に至った次第。
以上、何ともまとまりのない報告とコメントでした。
10分ほどの休憩の後、参加者の皆さんとの意見交換。司会はPP研の長澤さんが担当して下さいました(以下のやりとりは順不同、一部です。また、文責は中田にあります)。
「食料安保・自給率の議論には、常に国家主義の風景がついて回る」とのコメント。軍事を想起させる「食料安全保障」という言葉に忌避感を表明される方もおられました。
私からは「私も同様の危惧を覚えるが、一方、農本主義については宇根 豊さんが定義し直され、藤原辰史先生も研究されていることに注目している」と回答。
経済学者の方からは「自給率の議論は、やはり国家主義と無意識につながってしまう」としたうえで、「米の減反政策のせいで自給率は低下した。人口減少・高齢化が進むなか、自給率の向上は無理ないし不適切ではないか。財政的なコストも議論することが不可欠」との意見。
これに対して私からは、「戦後、食生活が大きく変化(国内で生産できる米の消費の半減、輸入飼料等に依存している畜産物や油脂の消費の大幅増)するなかで、自給率が低下し、減反政策も必要となったというのが事実。
また、生産調整を全て撤廃すれば米価は下がり、輸出が可能となるという意見もある。財政負担を増やさずに自給率を向上させる方策はあるのでは」と回答。
「そもそも自給率の向上が必要というのが理解できない」との意見には、私からは、
「自給率は分かりやすいため、食料・農業・農村基本計画でも目標値が示されているが、一方で計算方法など様々な問題が指摘されているなど、絶対的に正しい指標とは考えていないし、100%自給すべきとも考えていない。
しかし(改めてグラフを示しつつ)穀物自給率を他国と比較しても、現状はあまりに低すぎるのではないか」と回答。
さらに「阿蘇での放牧、小農・家族経営など、個々の農家の生き方としては非常に美しい世界だが、飢餓人口の増加や気候変動などグローバルな問題があるなかで同列に論じていいものか。国家規模の経済を語る上で、どのような経営によって農業生産が担われるべきかといった議論が必要では」との意見。
これに対して私からは「阿蘇で放牧を行うことは、地域の景観や環境を保全するという外部経済があり、それを評価し『見える化』して経済学の土俵の上でも議論していく努力は続けていくことが必要と考える。
また、日本の農業政策は規模拡大や効率化による経営体育成が柱となっているが、同時に小規模兼業農家等も含む地域政策も、もう一本の柱として実施している」等と回答。
他の参加者からは「農業に企業を参入させることで経営が効率化できるか疑問。米作りなど農業では食べていけない現実がある。米など単一の品目だけを取り上げて議論することも困難。小農、家族経営を重視すべきでは」等の意見。
関連して「アメリカの大規模経営も国からの助成によって成り立っている」「長期的にみて農産物価格は消費者物価を下回って推移している」等のコメントも。
代替肉・培養肉、ゲノム編集についても議論となりましたが、対話の場が不十分であることなど否定的な意見が多かったようです。
世界の水不足の問題を指摘される方も。
これに関連して海外経験の長い方からは「日本はとても水に恵まれている。そういう意味では農業適地であるにもかかわらず不作付け地が増えている」との発言。
生活クラブの農業応援サイト・夢都里路(ゆとりろ)くらぶを紹介して下さった方も。
「提携産地と組合員など消費者が顔の見える関係で協力し合えることが楽しく、リピーターも多い。このような取組みが拡がることを期待」とのコメント。
白川代表からは
「日本の消費者は価格が安いだけで輸入品を選択している。このような過度の輸入依存をどう改革していくかが課題。現在、これまでのように世界中から安く食料を買えなくなっているのは、まっとうなコストとは何かということを考え直すチャンスではないか。
そもそも食べものは市場メカニズムには馴染まないのではないか」等のコメント。
さらに「飢餓の関係では、途上国では輸出のためのプランテーション農業を偏重したため食料生産基盤がぜい弱化したという『南北問題』の視点も重要。引き続き議論していきたい」と締めくくられました。
気が付くと、予定していた16時30分を過ぎていました。
下川先生のご著書に触発され、食料や農業をめぐって幅広い意見交換が行われました。海外の農業事情に精通されている方もおられ、私自身も大いに勉強になり刺激を受けた研究会でした。
産地や生産者、さらには地球規模の資源や環境のことは、下川先生が繰り返し強調されているように、身近な「食べる」と密接につながっています。
多くの方が、産地や地球環境のことを「自分ゴト」として捉えられるように、様々な議論が積み重ねられていくことが期待されます。