2018年12月2日(日)。
福島県有機農業ネットワーク主催「浜通りの農家を巡るスタディツアー2018」の2日目です(1日目の模様はこちら)。
築70年の木造家屋(福島・楢葉町の交民家)は天井も高く快適で、たっぷり眠ることができました。
7時頃に起き出して周辺を散策。
8年ぶりに作付けされたという田んぼ。隣は除染廃棄物の仮置き場。穏やかな海も望めます。
その間に、何人かの方が朝食を準備して下さいました。
2種類の焼き鮭(木戸川産)。昨夜のお鍋の残りは味噌汁に。朝から豪勢な食事、食べ過ぎです。
洗い物は率先してお手伝い。
9時過ぎに緑川さんにお礼を言って出発。
国道六号(通称「6国」(ロッコク))を再び北へ向かいます。
この日のプログラムの最初は、富岡町(とみおかまち)中心部にある「ふたばいんふぉ」の見学。
双葉郡全体(8町村)の情報を住民目線で発信する発信スペースとして、本年8月にオープンした施設。
今回のツアーのコーディネーター・鈴木亮さんの活動拠点の一つです。ご自身で鍵を開けて中に招じ入れて下さいました。
町村毎の様々な写真パネルや書籍等がの展示。中央にはジオラマと大きなスクリーン。
震災直後の双葉郡の様子を車載カメラで撮影した映像等を見せて下さいました。
各種イベントやミーティングに使えるスペースもあり、ランチタイムにはカフェ(cafe135 (ひさご))も営業しているそうです。
続いて、すぐ近くにある東京電力廃炉資料館へ。
ここは事故の記憶や教訓の継承のため、 かつてのエネルギー館(PR施設)を改装して11月30日にオープンしたばかりとのこと。
2階の巨大スクリーンでは、事故で全電源が喪失した中央制御室の様子を紹介する映像など。事故対応に当たった社員自身のインタビュー、全面マスクや作業服など、なかなか充実した展示内容です。
「万全を期していると思い込んでいた安全とは、おごりと過信に過ぎなかった」と反省を示すナレーション。その一方で現実には粛々(?)と再稼働を進める東京電力の姿勢に、疑問を口にする方もおられました。
少し内陸部へ入った上手岡地区にある「富岡復興メガソーラー・SAKURA」をフェンスの外から見学。
町も出資した出力約30メガワットの太陽光発電施設が、昨年11月から運転されています。
土地面積は約40haという広大なものですが、出力は原発1基分にはるかに及びません。
すぐ近くの夜ノ森地区へ。
これまで何度か訪ねたことのある場所ですが、帰還困難区域の境界はフェンスで遮られたまま。光景に大きな変化はありません。
しかし時間は止まっている訳ではなく、建物は徐々に朽ち、田畑は荒れていきます。
6国に戻ってさらに北へ向かいます。
事故を起こした福島第一原発が立地する大熊町(おおくままち)に入ると、間もなく帰還困難区域内に。中間貯蔵施設の予定地です。
国道脇の住宅や店舗、脇道はバリケードで厳重に遮られているのをみると、心なしか息苦しく感じられます。
帰還困難区域内を通行する時は、基本的に停車することも窓を開けることもできないのですが、双葉町(ふたばまち)に入った辺りにある「双葉町ふれあい広場」に停車して休憩。
本年2月にオープンした誰でも利用できる休憩スペースで、施設内にはジオラマやパネル展示のほか、自動販売機やトイレが設置されています。
車は帰還困難区域を抜け、浪江町(なみえまち)に入りました。何となくほっとします。
浪江町の中心部は昨年(2017)3月に避難指示が解除されていますが、営業を再開した企業や店舗も少ない現状にあるそうです。
中心部でも車や人の通行量は少なく、富岡町等と比べても寂しい感じがします。
昼食は、営業を再開している貴重な飲食店「ともえ」へ。
ボリュームたっぷりの天井と、B級グルメとして有名な焼きそばを頂きました。極太麺に豚肉とモヤシというシンプルな具材。濃厚なソース味です(ボリュームもすごい!)
役場に隣接する仮設商業共同店舗施設「まち・なみ・まるしぇ」には「おかえりなさい・ふるさと浪江」の看板。ここでお土産タイム。
私は鈴木酒造店長井蔵「磐城寿」を購入。
津波で蔵が流出、警戒区域にも指定された浪江の酒造店が、現在は山形・長井市で日本酒造りを再開しています。
その後は少し内陸部へ。
広々とした田園風景のなかにある「O Cafe」(オカフェ)が、今回のツアーの最後の訪問地です。
オーナーのおか洋子さんが、納屋だった建物を改装し、本年(2018)7月にオープンしました。
住民が交流し、ボランティア等でこの場を訪れる方たちも憩える場になれしば、という思いだそうです。快適な空間です。
ちなみに隣接する母屋(立派な日本家屋です)は、長い避難生活の間に野生鳥獣が侵入するなどして荒れてしまい、解体を決意されているとのこと。
一緒に待っていて下さったのは、石井絹恵さん。
原発事故前は町内で酪農を営んでおられましたが、避難に伴い、家族同然の牛を殺処分せざるを得なかったとのこと。
現在は、福島市でご主人とともに「石井農園」を立ち上げ、エゴマの生産や加工品の製造に取り組んでおられるそうです。
おかさんと石井さんは、「浪江まち物語つたえ隊」のメンバーとしても活動されています。
原発事故で避難を強いられた翌2012年、避難先の仮設住宅で暮らしていた町民の方たちが、故郷の記憶、地域に伝わる昔話、東日本大震災や原発事故の体験等を、風化させないように紙芝居を通して伝えるという活動を始められたのが、「浪江まち物語つたえ隊」です。
現在、40本以上の紙芝居、3本のアニメーション作品があり、県内はもとより、全国各地、さらには海外でも上演・上映活動をされているとのこと。
この日、最初に上演して下さったのは「浪江ちち牛物語」。石井さんの実体験に基づく話です。牛達の悲痛な、無念の思いが胸に迫ってきます。
もう1作は「さえずりが消えた街の物語」。舞台は町民が多く避難していた福島・桑折町(こおりまち)。1羽の小鳥(ヒレンジャク)を主人公に、3.11以降、野山の生き物の声が喪われてしまった様子が描かれています。
お2人は「読むのも辛いが、故郷でおこったことを伝えていかなければならない」としつつ、「夢の実現のために挑戦を続けていきたい。後悔はしたくない」と力強く語っておられました。
美味しいコーヒーとお茶菓子を出して下さいました。石井さんからは自作のカボチャ饅頭も。
お2人も交えて、今回のツアーの振り返り。
参加者は一様に紙芝居の内容に胸を打たれたようです。
「暮らしている方たちの苦しみは消えていないことが分かった」との感想も。
お礼を述べてカフェを後にしました。
陽光は眩しく、一見、平和で美しい田園風景ですが、すぐ近くには除染廃棄物の仮置き場が見えました。
鈴木亮さんとはここでお別れ。
残りのメンバーは常磐道でいわきへ。道路脇に設置された線量計は、高いところでは2.7マイクロシーベルト/時との表示も。
いわき駅前で、郡山にレンタカーを返却してから喜多方・山都に帰られる浅見さんと五十嵐さんにお礼を言って解散。
東日本大震災と原発事故から7年と9ヶ月目の浜通りの現実を垣間見ることができました。
主催者の浅見さん、コーディネートして下さった亮さん、ともにツアーに参加した皆さん。そして現地で貴重なお話を聞かせて下さった皆さま。
得がたい貴重な経験ができたことに、心からお礼申し上げます。