【ほんのさわり】石戸 諭『リスクと生きる、死者と生きる』

石戸 諭『リスクと生きる、死者と生きる』 (2017.8、亜紀書房)
 https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=829

著者の石戸 諭(いしど・さとる)さんは1984年生まれのノンフィクションライタ-。

20歳代半ばの大手新聞社の記者として、「何を取材しても面白くて仕方がない」という充実した日々を送っていた著者は、2011年3月21日、志願して岩手・宮古市田老地区に取材に入りました。
 ところが、津波被害の惨状を目の当たりにした時、著者は「この光景をどう伝えたらいいのか、さっぱり分からなくなった」「何を書いても言葉が上滑りするような気がした」そうです。

この経験を消化し、個々の被災者の思いにより踏み込むことを決意した著者は、2015年末に新聞社を辞め、改めて被災地における取材を始めました。

インタビューしたのは、収穫した米を子どもに食べさせられず捨てた経験から地域の汚染地図作りを始めた福島・いわき市の農家、飯舘村に新しいログハウスを建てて帰還した夫婦、「どうせがんになるんでしょ」と呟く女生徒と向きあう福島市の中学教師、津波で子どもを失った宮城・名取市の母親や石巻市の父親。
 さらには、地域住民による原発視察等の活動を続ける元東電社員など。

「幽霊」を乗せたというタクシー運転手の話も紹介されています(そこで語られているのは、死者に対する畏敬の念とのこと)。

本書は、著者が被災地で出会った「歴史の当事者」たちの言葉を受けとり、自分自身との接点を見つけ、考え、自らも当事者となり、別の誰かに届けようとした記録です。
 一つひとつの記事には、震災や原発事故を自分のこととして捉えている人たちの「声」の重みが感じられます。

一方、「分かりやすくまとめること」の危険性も指摘されています。
 個人の経験は個人の言葉でしか語ることのできないものであり、分かりやすくまとめようとすると、そのなかの「葛藤や揺らぎ」が切り捨てられるというのです。
 「きれいにまとめない言葉が必要」という糸井重里さんの言葉も紹介されています。

最後に著者は「一つの方向性に流されずに個として考え、行動すること」の大切さを訴えています。
 「どんな時代であっても、最後に残るのは個人として考え行動した言葉であることは変わらない」と。

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出典:F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信- No.164
 https://archives.mag2.com/0001579997/
(過去の記事はこちらにも掲載)
 http://food-mileage.jp/category/br/</