2013年3月14日(木)は所用があって秋田へ。
前日に続いて風が強く、東北新幹線もやや遅れ。
田沢湖辺りでは雪が舞い始めました。
今年の北日本は降雪が多かったそうで、秋田市内でも道路脇等には多くの雪が残っていました。
同じ日本海側でも、2年間を過ごした金沢ともまた違うようです。
翌日は快晴、帰りの車窓からは一面の銀世界。
ちなみにこの日は、新型車両「スーパーこまち」がデビューする前日でした。
東京への帰途、特段、自分が何をするというアテはなかったのですが、福島駅で途中下車しました。
19時近く、佐野淳也さんに食事を付き合って頂きました。
佐野さんは1971年徳島の生まれ(私と同郷です。)、立教大学大学院 21世紀社会デザイン研究科の特任准教授等を経て、昨年の5月から単身で福島に移住、「未来のコミュニティデザイン研究所」代表、「東北フューチャーネットワーク」ふくしまコーディネータ等として、福島を始めとする被災地での「対話による未来づくり」活動の支援及び研究を行なっておられる方です。
本年1月8日、世田谷区・経堂で開催された「トーキング サークル」でお話を伺っていたのですが、一度、活動の模様を現地で話を伺いたく、年度末のお忙しい時間を取って頂いたものです。
佐野さんの事務所に近い駅前の料理屋さんに案内して頂きました。
福島は元々食材が豊富なところです。
地大豆でつくった豆腐など、美味しい郷土料理が並びました。ただ、魚については試験操業の準備中という段階にあり、残念ながら他県産のものです。
福島の銘酒を頂きながら、佐野さんの話を伺いました。
昨年は、恐いもの知らずだったからこそ飛び込めたものの、福島では悲しみや怒りが続いており、実情を知れば知るほど複雑であること。
一方、マスコミでは除染や復興の遅ればかりが報じられているが、現地では、小さいながらも住民自らが地域をどうするかを考える動きが生まれ始めていること、等の話を聞かせて頂きました。
ちなみに17日(日)には、佐野さんは東京・赤坂で開催された「ヤオヨロズの民主主義で行こう-参加型民主主義を知って話して動かす日-」というイベントのファシリテーターを務められました。
この時、佐野さんは、
「より豊かに、という大きなシステムの中で私たちは生きており、そのシステムに仕えている。システムを変えていくためには、政治を変えるくことも大事なことだが、自分の身の回りでできること(例えば道端に花を植えるだけでも)から、自分の心に素直に従って行動することが、システム全体を変えていくことにつながる」と話されていました。
小さな娘さんと離れての単身生活が寂しいとおっしゃっていた佐野さん、ますますのご活躍をお祈りしたいと思います。
さて、この夜は市内のビジネスホテルに泊。
翌朝、近くの福島県庁に足を延ばしてみました。正面の母子「平和の像」の後ろには「福島からはじめよう」との横断幕。
福島駅前も、当たり前ですが普通の情景です(昨夜は雑踏で賑わっていました)。
東北本線に乗って二本松に向かいました。
空はあくまで青く、安達太良山の雄姿が車窓一杯に広がっています。
この辺り、何度か訪ねたり通過していますが、こんなに綺麗な安達太良山を望めたのは初めてでした。
高村光太郎『智恵子抄』にある「あどけない話」という短い詩の一節。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
安達太良山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
小学生の頃、図書室のポスターを見て以来、この一節が頭にこびりついています(あの頃の感受性はどこに行ってしまったのでしょうか・・・)。
「ほんとうの空」の下、小さな旅は続きます。
(「福島紀行」と銘打っている割には、福島市と二本松市、同・東和地区に限られたささやかなものですが。)
【ご参考】
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