過去、最も早い3月16日に開花した東京の桜は、早くも満開に近い状態。
さて、「福島紀行」の続きです。
2013年3月16日(土)、福島駅8時11分発の東北本線郡山行きは、そこそこの乗車率。
車窓一杯の安達太良山を眺めている内に、8時35分に二本松駅に到着。小振りで清潔感ある駅舎です。
コインロッカーに荷物を預け、まずはバス停「二本松駅入口」の場所と時刻表を確認。
1時間と少し時間があったので、バス停の前の二本松神社の石段を登って参拝。
12世紀半ばの創建、寛永20(1643)年に丹羽光重(信長の重臣・長秀の孫)が入部する際にこの地に遷宮されたとのこと。
続いて1kmほど離れた大隣寺へ。
ここは丹羽家の歴代菩提寺で、戊辰戦争で命を落とした「二本松少年隊」隊士の供養塔があります。
二本松は、戊辰戦争を通じて最も激しい戦闘があった地の一つです。家老はじめ多数の藩士が戦死、12~17歳の少年志願兵たちの多くも犠牲となりました。
さて、内陸部にある二本松市は津波の被害は無く、街中を歩いていても地震の痕跡は見られず、人々は平穏な暮らしを送っているようにも見えます。
しかし、街角のあちらこちらに、被災が継続中であることを示す「証拠」を見出すことができます。
理髪店の正面には、「がんばっぺ二本松。さすけねぞい(大丈夫)!!」の大きな文字が掲げられています。
店主自身が浪江町の漁協の組合員という居酒屋の看板には、
「魚貝類は請戸港から直接仕入れていましたが、港も壊滅状態で、当面は請戸港からの仕入れができません。心より御詫び申し上げます。
被害を受けた皆様、共に復興再建を目指してがんばろう」。
信用組合の臨時「お客様相談所」の看板もありました。相双信用組合の支店の多くは、今も警戒区域内にあります。
実は、浪江町の仮役場自体が二本松市に置かれているのです。浪江町HPトップページ下にも「二本松事務所」とあります。
おっと、畳屋さんの店先には、畳に寝転ぶ「くまモン」が。「くまもと畳表復興支援事業」のポスターでした。
復興支援のキャンペーンを実施しているようです。
「二本松駅入口」バス停まで戻ってきました。
この日の目的地は、二本松・東和地区(旧東和町)にある「道の駅ふくしま東和」。
事前に福島交通(株)に問い合わせたところ、
「『道の駅ふくしま東和』までの路線バスは運行しておりません。最寄のバス停(宮の平)からも3km程あり、誠に申し訳ございません。もし、ご利用頂く場合は『二本松駅入口』バス停から『宮の平』バス停まで片道920円です」
と、時刻表を含め、丁寧なメールを頂いていました。
一人でレンタカーはもったいないし、運転は面倒だし、天気もいいので3kmならと、9時48分発の東和小学校行きに乗ることにしたのです。
土日は1日6本しか無い路線、少し遅れて不安がよぎりましたが、無事に乗ることができました。
数名の乗客は、ほとんどが市内を出る前に降車。
「智恵子の生家」の案内板が見えます。民話や歌枕で有名な安達ヶ原を過ぎると、次第にバスは山道へ。
途中のバス停から乗ってくる高齢の方もおられました。収益面からみると効率の悪い路線なのでしょうが、地域の足としては重要な公共交通機関となっているようです。
二本松駅から約40分後、バスは旧東和町の市街地に入ってきました。
【ご参考】
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