畑で考えた「自給」

 2015年の4月は、天候不順の日が続きます。
 この季節の雨は「穀雨」と呼ばれ、本来は作物の発芽や生長を促すはずながら、気温が低すぎます。
 4月16日(木)は天候が回復するとの予報をみて前日に休暇を申請。当日は予報通りの好天です。気温も上昇。
 街では八重桜が盛りです。オオイヌノフグリやハナニラなど野の花も咲き誇っています。
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 自宅近くに一画を借りている市民農園へ。
 春作業をサボっていたこともあって、ここも花盛りです。さまざまな菜の花。
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 ブロッコリ、白菜、仙台雪菜、こぶ高菜の花芽(つぼみ)です。
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 種採り用に伝統大蔵大根を1株だけ残し、菜の花たちを片づけ。畑が少し寂しくなりました。
 トウが立ち花をつけ始めたホウレン草、形の悪い大根とともに、ブロッコリなどの花芽は収穫。
 その日の夜と、翌日昼のお弁当として美味しく頂きました。 
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 畝を立て、去る12日(日)には、前日、山梨・上野原市のさいはらで頂いてきたジャガイモ(ネガタ、キタアカリ)と、たかとうインゲンを植えてみました。
 21日(火)は、出勤前に子安三寸人参とスイートコーンを播種。
 なかなか作業は進みません。ボチボチと休みながらです。
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 「わずかでも安くパンを得られるなら、農村を荒廃させ、農業に付随する伝統を破壊することが、我々の道徳的な義務だと考えられてきた。
 しかし、現在、貧困の克服や平和の実現に貢献できなかった自由貿易に、我々は幻滅を味わっている」
 
 J.M.ケインズが1933年に公表した論文『国家的自給』(“National Self-sufficiency”)の一節です。
 さらに、「個人主義的な資本主義は、知的でも美しくもなく、正しくもなく有徳でもない。われわれはそれを嫌悪し軽蔑し始めいる」と手厳しく、「商品はできるだけ国内で自給すべき」と主張しているのです。
 繰り返しますが、この文章を書いたのは経済学の巨人・ケインズです。
 
 さかのぼって、「経済学の父」と称されるアダム・スミスは、『国富論』に先立って『道徳感情論』という論文を公表しています。
 自由競争や市場経済の代名詞とされる「見えざる手」で有名なスミスの経済理論は、実は、「社会は他者へのシンパシーにより成り立っている」ことを前提にしているのです。
 このように見てくると、現在の新自由主義という言葉に代表される「むき出しの資本主義」は、スミスやケインズのオーソドックスな経済学の理論とは、大きく離れてしまっていることに、改めて驚きを禁じ得ません。
 
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 鍬を持つ手を休め、しばし「自給」について考えていました。
 その実現のために、自ら農業を実践していると言うと格好いいのですが、30平米ほどの市民農園、およそ自給など望み得ません。
 それでも野菜などは、旬には食べきれないほど収穫できることもあります。ここしばらくはホウレン草がそうでした。食べきれず、トウが立ちつつあります。
 もっとも、他からも産直(提携)で届けて頂いており、ホウレン草だけでも自給は達成できていません。
 注:ケインズ『国家的自給』については、松川周二先生による全文訳がネットで閲覧できます。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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“畑で考えた「自給」” への1件の返信

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    かたちだけシステムを導入しても、システムが暴走してしまうんですね。そういう気付きが広がりつつあるような。

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