福島第一原発へのスタディツアー(1)

 2016年5月20日(金)は、久しぶりに福島・浜通りへ。
 一般社団法人AFW(Appreciate FUKUSHIMA Workers)主催の「福島第一原発視察」に参加させて頂くのです。ちょっと緊張。
 服装はスカートやハイヒール以外なら何でも良いとのことだったのですが、作業員の方々に敬意を表する(?)意味も込めて作業服に安全靴。
 上野8:00発の特急ひたち3号。新しい車両は快適、電源(コンセント)も各席にあります。
 事前に提供されていた資料をおさらいしているうちに10時23分いわき着、同51分発の普通に乗り継ぎ。
 ここから先の常磐線は初めてです。
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 四ツ倉、久ノ浜等と聞き慣れた地名の駅。間近に太平洋が見えてきました。やがて短いトンネルを抜けたと思うと、たちまちコットン畑や防災緑地が車窓を通り過ぎて広野に到着。
 発車メロディーは「汽車(今は山中・・・)」です。ちなみに上りは「とんぼのめがね」でした。広野町は童謡の里でもあります。
 そのまま乗車し、11時21分に終点の竜田(楢葉町)まで。
 下車したのは企業関係の方らしい10名ほど、迎えの車やマイクロバスへ。 駅前広場には代行バスの運行表。
 原発事故の影響で、ここが東京方面からの現時点での終着駅です。JR東日本によると2018年末までに富岡駅まで、2019年度中には全線が再開する計画とのこと。
 
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 乗ってきた電車に再び乗車。折り返し11時31分発の乗客は数名程度のようです。
 隣の木戸駅で下車。
 ここは無人駅。待合室のベンチには手作りと思われる新しい座布団。駅前広場には「未来へのキックオフ!」と書かれた看板と、その脇には線量計。
 空間線量率の表示は駅舎内にもあり、0.139μSv(マイクロシーベルト)/hを示していました。
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 Jヴィレッジでの集合時間まで1時間ほど。駅前から続く住宅の間の道をのんびりと歩き始めました。
 何台かの車が行き交いましたが、人の姿はほとんど見かけません。
 住宅街を抜けたところが除染廃棄物の仮置き場。
 大量の除去した表土や草木を入れたフレコンバッグが並べられ、焼却施設も稼動しています。
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 そこを過ぎると、左折方向がJヴィ レッジとの案内標識。
 坂道を登っていきます。日差しは薄く、気温も低めで快適。時折、Jヴィ レッジに向かう車に追い抜かれます。
 道端のアジサイはまだつぼみ。 アカツメクサにはバッタの姿。桑の実も。
 過酷事故の現場から20km、廃炉作業の前線にいることを忘れるようなのどかさです。
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 正午過ぎにJヴィレッジに到着。
 この日も駐車場は車で一杯。外壁工事中のセンターハウスの前には、大型バスが何台も乗り付けます。
 ロビーに吉川彰浩さん(AFW代表)の姿があったので、ご挨拶。
 吉川さんは1980年生まれ。東日本大震災の発災時は東京電力の社員として福島第二原発に勤務しておられ対応に当たられました。その後、東電を退社し、現在は原発作業員等の支援と福島・双葉郡の復興活動に取り組んでおられます。
 自宅は浪江町にあり、現在もご家族とともに避難中の方。
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 ロビーや廊下の壁には、全国から送られた励ましや感謝の横断幕や寄せ書きが、たくさん掲げられています。
 レストラ ン(ハーフタイム)や売店も営業中でした。
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 やがて予定の12時45分近くになり、会議室に案内されました。参加者は15名ほどで、皆さん普通の服装です。
 ここで東京電力の担当者の方から事前の説明を受けました。「福島第一原発の現状と今後の対応について」と題する詳細な資料を頂き、ビデオの視聴を含めて1時間ほど。
 一人ずつ名簿と身分証明書(免許証)を確認した上で、カード型の一時立入許可証が渡されました。
 カメラ(スマホ等を含む。)の持込は禁止なので、他の貴重品等も含めて持ち物はこの会議室に残し、施錠するそうです。
 (以降の写真は、ツアー終了後に吉川さんから提供いただいたものです。)
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 エントランス前で待っていたバスに乗車し、いよいよ福島第一原発に向けて出発。
 大型なのでゆったりです。フロントガラスと左右の窓には「視察者専用」の張り紙。座席や床はビニールで覆われています。
 同乗された東京電力の方が、車窓からの景色等についてマイクで説明して下さいました。
 原発事故対応の拠点として使用されていたヴィレッジは全面的に補修工事中で、2018年までに福島県に返還する計画とのこと。青いピッチの芝がよみがえっている箇所もありました。
 すぐ正面に見えてきた大きな建物は、この3月から本格運用されている日本原子力研究開発機構(JAEA)の楢葉遠隔技術開発センター
 原寸大の原子炉模型等を用いてロボット技術等の開発を行っているそうです。、
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 大型ダンプなど交通量が多い国道6号線を北上します。
 あちらこちらに、除染廃棄物の仮置き場があります。かなりの量です。
 楢葉町では行政区ごとに仮置き場が設けられており、双葉町・大熊町に建設中の中間貯蔵施設に輸送するまでの間、保管されるとのこと。この光景が完全に消えるまでには、まだしばらく時間がかかりそうです。
 なお、昨年9月に全町で避難指示が解除された楢葉町ですが、実際に帰還した住民は現在までのところ数%に留まっているとのこと。
 ただ、国道沿いには営業再開された何軒ものコンビニや飲食店もあり、本年2月には診療所(ふたば復興診療所)もオープンするなど、生活インフラも整えられつつあるようです。
 あちらこちらに水を張られた水田。畦には農家の方たちの姿がみえ、田植えが始まっているようです。
 昨年までの実証栽培の結果、放射性物質は検出されなかったそうで、本格的な稲作の再開に向けて動いているとのこと。ただ、荒れたままの農地もまだまだ目立ちます。
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 富岡町に入りました。
 海際に見える大きな建物は廃棄物の仮説処理施設。津波廃棄物の破砕選別、除染廃棄物の焼却・減容化を行うために本年4月から稼動しているそうです。
 ここにも大量の除染廃棄物。富岡町では町で一括して置き場を決めているとのこと。
 国道沿いには多くの線量計が設置されており、時折、東電の方が数字を読み上げてくれます。この辺りでは2.84μSv。ちなみにバスの中の線量計の表示は0.6μSv程度とのこと。
 道路脇に「この先帰還困難区域(高線量区間を含む)」との看板が目立つようになってきました。やがてバスは大熊町に。
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 居住困難区域では、国道脇の民家や商店、脇道の入り口はフェンスで閉鎖されており、ところどころに警察官の姿もあります。  原発事故から5年以上、住民は避難したままで、住宅にも農地にも手がつけられていません。すさまじい光景です。東京電力の説明者の方は「申し訳ないことです」と語られていました。
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 中間貯蔵施設の予定地の近くを通過し、右に折れると福島第一原発との方向板。
 途中、2箇所の検問所でチェックを受けた後、バスはいよいよ福島第一原発へ。(次号に続きます。)
(2016.6/9 追記)
 吉川彰浩さんは今回を含む一連の取組みを「視察」と称されています。
 これは、「核防護、安全確保等の観点から、むやみやたらに行けない場所だから『見学』『ツアー』ではない」ことに加え(そもそも東電は『見学』は受け入れていないそうです)、現場への敬意も込めて、「視察」という言葉を使われているとのことです。
 ただ、個人的には「視察」という言葉には「偉い人が上から目線的に行うもの」といったニュアンスを感じるため、本ブログではあえて「スタディツアー」という呼び方をしています。
 吉川さんに確認したうえで、念のため注記しておきます。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
 (プロバイダ側の都合で1月12日以降更新できなくなったことから、現在、移行作業中です。)
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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