【ブログ】目白台・江戸川橋界隈まち歩き

2017年3月5日(日)は二十四節気の啓蟄(けいちつ)。
 暖かくなってきました。虫も花粉も活動が本格化(!?)。東京・文京区のメトロ江戸川橋駅へ。

13時に集合場所に集まったのは8名。
 この日開催されたのは、NPO法人市民科学研究室(市民研)主催による健康まちづくりまち歩き「目白台・江戸川橋界隈まち歩き」。

まずは案内人の眞鍋じゅんこさんから、この日の行程の説明など。
 眞鍋さんはご主人の鴇田康則さん(写真家)とともに国内外の「人の生活」を記録して歩いておられるフリーライターの方で、著作やカルチャー教室等で活躍されています(眞鍋さんのブログはこちら)。

この日、歩いたコースは右図のとおり。
 左図は、最後に訪ねた新江戸川公園・松聲閣で頂いたパンフレット(江戸時代の切り絵)。この辺りは大名・武家屋敷が軒を連ねていた地域だったことが分かります。

いよいよ、この日の「まち歩き」がスタート。
 まずは目の前の新目白通りを渡り、江戸川公園脇の案内板でコースの確認。

さらに江戸川(神田川)を渡り、かつて清戸道と呼ばれていた坂道を登っていきます。
 練馬など西北近郊の農村と大都市・江戸を結ぶ幹線道路で、多量の農産物や下肥が往来していたそうです。
 幸(こう)神社の祭神は猿田彦命・稲荷大神。道中の安全を祈る祠だったとのこと。

ホテル椿山荘がある地は、南北朝時代から椿が自生する景勝地だったとのこと。江戸期は上総久留里藩(黒田家)の下屋敷、明治時代は山県有朋の邸宅でした。

この日も庭園には、和装の女性なども多数。様々な種類の椿や花海棠も咲いています。

目白通りを渡った向かい側は、カトリック東京カテドラル関口教会
 前庭にはルルドの洞窟。聖マリア大聖堂にも入らせて頂きました。巨大で敬虔な空間です。

近くの講談社野間記念館は広い敷地。興味深い展示が行われていましたが、この日は時間の都合で入り口まで。
 隣接するのは男子学生寮の和敬塾(わけいじゅく)。
 石造りの重厚な本館は、旧細川公爵(肥後藩主)邸だそうです。

改修中の永青文庫脇の胸突坂を下りたところにあるのが水神社。神田上水の守護神として祀られてきたとのこと。
 2本の立派な銀杏の樹が目を引きます。

その隣にあるのが関川芭蕉庵
 主筋の藤堂家(伊勢・津藩)が神田上水の改修工事を命じられ、松尾芭蕉もこれに携わっていたと伝えられています。静かな庭園の中の雰囲気のある東屋で、係りの方が説明して下さいました。
 こんなところに芭蕉ゆかりの地があったとは、知りませんでした。

神田川を少し遡ったところにあるのが、新江戸川公園
 細川家下屋敷の跡地をそのまま公園にした池泉回遊式庭園で、池の水は湧水によるものだそうです。松の木は雪吊りが施されています。

松聲閣(しょうせいかく)は元は細川家の学問所で、本年1月にリニューアルオープンしたばかりの区の施設。熊本地震支援の募金箱とくまモンの姿も。

係りの方から新江戸川公園や松聲閣の概要について説明を頂きました。昨年秋のライトアップと「水明かり」は大変な人出だったとのこと。
 ちなみに公園の名称は、近く「文京区立肥後細川庭園」に改称されるそうです。

帰途、川沿いをメトロ江戸川橋に向かう途中にあるのが江戸川公園。花見の名所だそうです。
 説明板によると、神田川のこの辺りの区間を昭和40年頃まで江戸川と呼んでいたたそうです。
 神田上水の取水口だった大堰の跡。公園には堰の部材を用いた石碑が設置されています。コンクリートで護岸された見栄えのしない神田川ですが、多くの歴史があることを学ぶことができました。

もともと、知らない町を歩くことは好きなのですが、今回は眞鍋じゅんこさんが一緒に歩きながらポイント毎に熱心に説明して下さったことで、多くの豊かな歴史に触れることができました。

豊富な知識を分かりやすく伝えて下さる博学の眞鍋さんですが、この日も地元の方に一番多くの質問を投げかけていたのも眞鍋さんでした。またまたインプットが増えたようです。

目白台・江戸川橋界隈。
 何度も来たこともある身近な地域ながら、知らないことばかりでした。眞鍋さんのお陰で、改めてまち歩きの楽しさを知ることができました。
 有難うございました。