東京・武蔵野市で MIDOLINO_ × 福島・国見町の美味しい食事を頂いた後、京王井の頭線、小田急線を経由して世田谷区経堂の生活クラブ館に到着したのは13時40分頃。やっぱり遅刻しました。
この日13時30分から始まっていたのは、「福島原発事故から考える食と農~までいの里・飯舘村の今と未来」と題する市民講座。
主催はNPO法人コミュニティスクール・(CS)まちデザインです。
講師は、行友 弥(ゆきとも・わたる)さん((株)農林中金総合研究所特任研究員)。
東日本大震災後、何度も飯舘村に足を運んでおられる方です。ご自身で撮られた写真等を映写しつつ説明が始まっていました(文責・中田)。
「飯舘村は、四季折々の自然豊かな村で『世界で最も美しい村 連合』にも加盟。合併せず『までいライフ』を掲げて村づくりを行い、経済に依存しない豊かさを追求してきた。
その飯舘村が、皮肉なことに、経済効率性の象徴のような原発の事故により全村避難となった」
「原発事故後の飯舘村の光景の象徴は、多くの黒い袋(除染廃棄物を入れたフレコンバッグ)だったが、最近は太陽光パネルも。
今年の3月末に長泥地区を除いて避難指示が解除され、復興に向けての一歩が踏み出された。道の駅やコンビニも開業している」
「事故直後と比べると土壌、米なども放射線量は大幅に下がっている。『ふくしま再生の会』という団体も綿密な測定を行っている。
しかし、帰還した住民は約1割。高齢者だけが帰還するなど世帯の分散も進んでいる」
「米の作付けは実証栽培の段階を卒業。農地保全と地域の再生に向けて、放牧やトルコギキョウの栽培も始まっている。生きがいとして農業を再開している人も多い。村は2017年に『陽はまた昇る基金』を設け、生きがい、なりわいの両方を支援」
仮設住宅で暮らす二人の女性の暮らしを描いたドキュメンタリ『飯舘村の母ちゃんたち-土とともに』の話も。
出演されたお二人の昨年の「ふくしま再生の会」総会における発言(「食文化を残していきたい」等)の様子も紹介されました。
NPO法人かーちゃんの力は女性農業者たちが立ち上げたプロジェクトで、郷土の味と食文化を活かした弁当や加工品を製造・販売。
今年3月末で活動に幕を下ろし、メンバーはそれぞれの道に進んでおられるとのこと。
支援物資の衣料をリサイクルする活動をしていた「いいたてカーネーションの会」代表の佐野ハツノさんは、行友さんにとって、「人々の心に『木』を植えた人」として、最も印象的な方の一人だったそうです。
その佐野さんが今年8月に亡くなられたことを紹介された時には、言葉を詰まらせていました。
参加者との間での意見交換の時には、行友さんが持参して下さった日本酒「飯舘村 おこし酒」を配って下さいました。
県内避難している生産者が作付けた米を使った日本酒とのことです。
意見交換の中では、帰村が進められる一方で、政府・東京電力の責任を追及するためにも帰村すべきでないと主張される方もおられるなど、現地の複雑な事情も察することができました。簡単な問題ではありません。
最後に、この日の進行役・榊田みどりさん(CSまちデザイン理事、明治大学客員教授)は、「孫の世代が帰ってこられるような環境をつくっていきたい」という現地の方の言葉を紹介されました。
そして「昔の人口には戻せなくても、都市住民など『交流人口』を増やしていくという考えもある。ぜひ、機会があれば飯舘村を訪ねて頂きたい」と呼びかけられました。
CSまちデザインでは、年1回、福島の被災地を訪ねる研修ツアーを開催しており、今年は飯舘村を訪ねる予定となっています(私も参加させて頂く予定です)。