【ブログ】福島の農業の現場から(菅野瑞穂さん)

2017年11月27日(月)の終業後は、東京・吉祥寺に急ぎました。
 駅の北口からアーケードに入ると、華やかな装飾。気がつくと、クリスマスや年の瀬が近づいています。

徒歩10分ほどで光専寺に到着。見上げると月が輝いています。本堂の窓ガラス越しに、この日のイベントのポスター。

この日開催されたのは、吉祥寺チャリティライブ「福島の農業の現場から~放射能汚染と向き合う」。
 主催者はフクシマを思う実行委員会。東日本大震災や原発事故を風化させないためのイベントが、この日で22回目になるそうです。

到着したのは19時20分ほど。本堂は100名近い聴衆で一杯です。
 この日のゲスト・菅野瑞穂(きぼうのたねカンパニー代表取締役)のお話が始まっていました。
(去る11月11日には、CSまちデザイン主催のスタディツアーで福島・二本松東和地区の農家民宿を訪ね、お父さま(菅野正寿)さんのお話をお聞きし、お母さまの手料理を頂いたばかりです。)

「福島の大地に希望のためをまく~二本松東和地区からの報告」と題する詳しい資料(スライドのコピー)を配って下さいました。
 前半は農業を始めたきっかけ、循環型農業に取り組んできた東和地区の様子等についての話があったようです。

そして2011年3月には東日本大震災に伴う原発事故が発生(この辺りからお話を聞くことができました。文責・中田)。

「避難指示は出されなかったものの、有機農業の地・東和も放射能汚染に見舞われた。
 学校給食は自粛され、家庭では、じいちゃんと孫の食事が別々ということにも。自分のつくった野菜を孫に食べさせたい、というのがおじいちゃんの生きがいだったのに。原発事故は、多くの人たちの生きがいを奪ってしまった」

農家と地域、大学研究者との連携により詳細な実態調査を実施して放射能汚染を『見える化』の取組み、米の全袋検査やホールボディーカウンター等による健康調査等の紹介もありました。
 浪江町から避難してこられた方たちを招待して稲刈りイベント等を行ったことについても。

2013年3月に「きぼうのたねカンパニー株式会社」を設立。
 農業も補助金に頼らず自立が必要との考えから、あえてNPOや組合ではなく株式会社にしたそうです。

さまざまな交流活動等に取り組んでいる瑞穂さんですが、インドでの国際会議で原発災害の現状を説明した際に何人かの参加者から「なぜ避難しないのか」と問われ、うまく答えられず、言葉にできない悔しさを感じたとのこと。

その一方で不安感が払拭されていないのも事実で、光と影の両面を伝えていく使命感を抱いておられるそうです。

そして今、原発事故から7年目を迎えています。
 人間関係は避難生活等でバラバラになり、現在も1人暮らし等で不安な日々を送っている方もがおられることに心を炒めておられるようです。

また、若い人たちに対しては
 「ふるさとのために働きたいといった必要以上の使命感を負わせてしまったのではないか。大人の責任なのに。本心から、本当にやりたいことを見出し、選択してもらいたい」との言葉も。
(ご自身も1988年生まれとお若いのに、さらに若い方達を気遣う心根に感じ入りました。)

最後に「地域や世代を越えた交流や連携のなかで、人間関係を再構築していきたい。人の心にきぼうのたねをまき続けていきたい」と、お話を締めくくられました。

主催者で進行役の金子あいさん(俳優)が登壇され、会場との質疑応答。
 参加者の皆さんも、瑞穂さんの話に感じ入るところが多かったようです。

続いて、金子さんによる詩の朗読。
 『長き不在-フクシマを生きる』(藤島昌治・詩、菊池和子・写真)、『はだかんぼ』(中村純)から数編を朗読して聞かせて下さいました。

「笑顔は馬鹿みでく 直ぐ他人さ 移るから・・・、心配(しんぺえ)すんな」
 (「80歳のつぶやき」の一部、『長き不在』所収)

最後のプログラムは、MINAMI&MIKIさん(オーボエ・マルチプレイヤーMINAMIさんとピアニストMIKIさん)によるライブ演奏。

オーボエのライブとは、初めてかもしれません。
 クラシックの名曲から演歌やテレビ番組の主題歌まで。軽妙なトークも相まって楽しいライブでした。

最後に、金子さんに促されて瑞穂さんも再び登壇。4人の出演者に会場から大きな拍手が送られました。

奥の座敷では、これまでの「フクシマを思うシリーズ」のパネル展示に加え、詩集やCDの販売会。
 CDにはMINAMi&MIKIさんのサインも頂きました。お笑いとのコラボなど幅広い活動をされているようです。

このようなイベントが吉祥寺で22回も続けられているとは、全く知りませんでした。スタッフの皆さんは市民ボランティアのようです。
 これからも関心を持っていきたいと思います。