2018年3月9日(金)は、職場を1時間早退して東京・駒場の番來舎へ。
渋谷で小さな花束を求め、到着したのは18時20分頃。いつも番來舎の活動をボランティアでサポートされているOさんが、お一人で受付と料理の準備をされています。
この日19時から「震災7年目の相馬地方における健康課題」と題するイベントが開催されました。
やがて登壇される坪倉正治先生(内科医)と、番來舎を主催されている番場さち子さんが到着。
開会に先立って番場さんからご挨拶(以下、文責は全て中田にあります)。
「初めて坪倉先生の学習会を開催したのが2011年12月。子ども達の素朴な疑問に真摯に答えられていた姿に感じ入り、その後、東京を含めて200回近い講演をお願いしてきた。開催するたびに批判も受けた。
不安を持つ人たちに必要なのは専門的な知識ではなく身近なこと。番來舎での坪倉先生の講演会は今日が最後となる」
「実は今日、相馬で葬儀に参加して来た。教え子のお母さんがインフルエンザ脳症で32歳で亡くなった。つい先日、電話で話したばかり」
そして明後日の3月11日を控えて全員で黙祷した後、坪倉先生の話が始まりました。
会場後方には「立ち見」の方達も。
「ここ番來舎でも10回くらい話をさせてもらった。2011年は都立病院の勤務医として17~8人の患者の骨髄移植や放射線治療を担当しており、震災から数日は当直で病院から出られなかった」
「2011年4月に最初に相馬を訪ね、市役所で地元病院の院長先生とたまたまお会いして、お手伝いするようになった。放射能に関する相談や説明会も実施。その頃の雰囲気は良いとは言えなかった。私も一時、顔面神経麻痺と味覚障害になった」
「震災から間もなく7年だが、その間、最も人の命が失われたのは最初の3カ月間。その多くは避難を強いられた高齢者。避難することの方がリスクが大きかったという教訓を、どう活かせるか」
「今後、50~60歳代男性、都市部を中心に、糖尿病等の生活習慣病が深刻になることが予想される。生活習慣病によってガンになるリスクは、放射線被ばくの数十倍」
「中学生の肥満が問題となっていたが、平均ではほぼ元に戻ったもののばらつきは大きくなっている」
「放射能に関する講演会や学習会の数は減ってきた。しかし知識の維持は必要」
「南相馬市での調査でも、産地を気にせずに野菜等を買う人が増えており、徐々に地元産を使用する傾向になっている。地元で営農が再開されたことが、リスク認識の変化につながっている」
「いわゆる風評被害については、もともと3分の1の人は最初から気にしない。3分の1の人は最初のうちは嫌だったが今は避けなくなってきている。残り3分の1の人は現在まで一貫して忌避。何とかしなければと思うのであれば、情報発信の仕方に工夫が必要」
「ツイッターを分析すると半分位がリツイート。しかも、元をたどると100人ほどの有名人に行き着く。少数の有名人が何を言うかで風向きが変わる。次第にデマの割合が増加する傾向。正しい情報は一つしかないが、デマはいくらでもバリエーションがあり得る。
そもそもSNSは、自分が見たい情報しか見ないという傾向がある」
「原発事故による被ばくの程度は、チェルノブイリに比べて2~3桁違うことが明らかになっている。仮設住宅を出され、お金がないため洞窟のようなところに野宿して山菜や川魚ばかり食べていた人がおられ、保護されて検査すると、そのような極端な生活をしていた人でも内部被ばくは問題ないといえる水準だった」
「学校におけるホールボディカウンターによる検診や県民健康調査(甲状腺検査等)にも様々な意見があるが、子ども達の健康を確認して安心したいというお母さん方の気持ちは尊重する必要がある。しかし、福島県以外でも全員を対象に甲状腺を検査すべきという意見には、個人的には賛成できない」
「福島県の介護認定者数の推移は、放射線汚染マップと似ている。市町村ごとに診療所や医師を配置するのではなく、バランスの取れた広域的な対応が必要では」
会場後方のテーブルでは、懇親会に向けてOさんが料理を続けておられます。
「国連科学委員会(UNSCEAR)等の結論は、被ばくの程度は低く、たぶん健康に問題はないというもの。
しかし医学的に正しいからと言って、不安を持っている人たちを邪険に切り捨てるようなことをするべきではない。専門家はしっかりと情報発信を繰り返し、一人ひとりが判断できるようにしていく必要がある。専門家による情報発信が遅かったことも、得られた教訓の一つ」
会場からは多くの質問や意見が出されました。坪倉先生も番場さんも身を乗り出されて意見交換します。
福島・川内村に定期的にボランティアに通っておられる男性など、今回も、被災地にコミットし活動されている方達が多数参加されていました。
終了後は、テーブルにOさん手作りの料理が並べられ、立食での懇親会。
実は、2004年11月に開設された番來舎は、今月一杯で閉じられます。
経済的な面も含めて個人で相当な負担をされながら、このような貴重な場を続けてこられた番場さんに、改めて感謝申し上げたいと思います。