180722 証言ドキュメンタリー「福島は語る」上映会 2018年7月21日(土)、22日(日)の週末も猛暑。
自宅近くに一画を借りている市民農園はジャングル状態。一部はスベリヒユ帝国に完全に征服されています。
午前中の除草作業も30分が限界(危険です)。
それでもトマト、ナス、キュウリなど夏野菜は全盛期。
スイカも育ちつつあります。
そのような22日(日)の午後は、蛮勇を振り絞って(?)東京・渋谷へ。コンクリートとアスファルトに覆われた都心の暑さは格別です。
目的地にまでの途中でコンビニに一時避難。
新宿駅南口近くの「光塾 COMMON CONTACT 並木町」で14時から開催されたのは、証言ドキュメンタリー『福島は語る』上映会。
主催はNPO 市民科学研究室。「一食福島復興・被災者支援」事業助成プログラム(立正俊成会、ふくしま地球市民発伝所)の一環とのこと。
17日、19日に続く3回目だそうです。
制作者はイスラエル・パレスチナ問題等を中心に取材されているジャーナリスト・記録映画監督の土井敏邦さん。
パンフレットでは「東京五輪等に向けて浮き足立ち、原発事故は無かったことにしたいかのような日本社会に、被災者の方たちの証言を届けたい」と製作意図を語られています。
参加者は10 数名とやや淋しい人数でしたが、わざわざ福島・浜通り地方から2人の方も参加されていました。
市民研代表の上田昌文さん(放射線について福島を含む学校等でワークショップを開催されています)の挨拶に続き、上映が始まりました。
上映時間は2時間51分という長丁場。それでも短縮版です(完全版は5時間30分)。
まず第一章は「避難」。
新潟や首都圏に自主避難された女性(母親)に対するインタビューでは、家族間の軋礫や、福島に残る人々との分断に苦悩する様子が語られます。住宅支援も打ち切られました。
第二章「仮設住宅」では、南相馬市鹿島地区で4畳半一間に独りで暮らす高齢の避難者の方たちの、孤独感や不安感が募る様子が描かれます。
第三章は「悲憤」。
地域でのボランティア活動等の“生きがい”を喪った方、「お金(補償)をもらっているんだろう」という心ない言葉に傷ついた経験を涙ながらに語る女性など。
第四章が「農業」です。
多くの消費者と直接取引していた田村市の有機農家は、事故後、作物から25 ベクレル(注:現在の国の基準は100ベクレル)が検出されたことを正直に知らせたところ、顧客は大幅に減少したそうです。
放射能測定の活動を通じて生産者を支援しながら、スーパーではつい他県産を手に取ってしまう消費者の自責や葛藤も描かれています。
第五章「学校」は、会津地方に避難している小学校の女性教諭の証言が中心。
津波で教え子を失った悲しみ。やはり会津に避難してきている生徒達との交流の様子。子ども達は差別を恐れて出身地を名乗ろうとしないそうです。
(この後、完全版には第六章「原発労働者」、第七章「汚染」、第八章「2つの原発事故」(チェルノブイリ訪問記)が挿入されているとのこと。)
第九章は「抵抗」。
水俣病を取材した経験のある元新聞記者は、被害を隠蔽し矮小化しようとする国の体質は変わっていないと証言します。
反原発運動の女性リーダーからは「沖縄に比べれば、福島の運動はまだこれから」との言葉も。
第十章「喪失」は、飯舘村・長泥地区で家と農地、石材工場を一気に失い、さらに将来に絶望した跡取り息子は“自死”。
原発事故により「人生を狂わされた」と涙を流される姿は悲痛です。
そして最終章は「故郷」。
多くの出演者が「汚染されても美しい」故郷について語ります。事故によって故郷の良さを再発見したとの証言も。
田村市の生産者ご夫妻は、何代も耕し続けてきた「土への深い愛着」から、この地で農業を続ける決心をします。
ご子息を亡くし絶望の底にあった飯舘村の男性は、それでも長泥地区にある石材工場のメンテナンスを続けている様子も描かれます。
3時間近い長丁場でしたが、「生の声」の迫力に時間の経過を忘れました。ぜひ、1人でも多くの方に観て頂きたい映画です。
終了後は、上田さんによる簡単な振り返りに続き、各自、アンケートの記入。
逆説のようですが、「福島を語る」ことの難しさも改めて感じました。
本映画で描かれている証言(インタビュー)の時期や場所も様々、その後、避難指示区域も縮小されてきています。
プロジェクトでは、自主上映や学校等における上映と併せたワークショップの開催等を呼びかけておられるようです。