2018年10月3日(水)の終業後は東京・五反田のゲンロンカフェへ。
この日19時から開催されたのは「復興と巡礼-『新復興論』から東北学へ」と題するトークイベント。
登壇されるのは赤坂憲雄さん(民俗学者・福島県立博物館館長)と小松理虔さん(地域活動家・ライター)。司会は石戸諭さん(ノンフィクション作家)です。
2018年9月にゲンロン叢書第一弾として刊行された小松さんの『新復興論』関連イベントの2回目です(1回目の模様はこちら)。
参加者は40名ほど。19時過ぎ、石戸さんの進行により開会。
オープニングは「恒例」の乾杯です。この日、小松さんが持参されたのは「あぶくま」(玄葉本店、田村市)と「山の井」(会津酒造、南会津市)。
JAふくしま未来の「桃の恵み」等も。
まず、小松さんの「執筆し終わった感想」からトークは始まりました(文責・中田)、
「震災や原発事故が起こってから、何とかしなければと突っ張ってきた。『いわき海洋調べ隊・うみラボ』等で自らデータも収集。ところが、やるほどに壁に突っ込んでいった。
そんな時にたまたまアーティストの方たちとの交流が始まり、『みちのくアート巡礼キャンプ』に参加したりすることで、目に見えないものを意識するようになった。すると現実の見え方が変わり、もう少し射程を長く捉えてもいいのではと思えるようになった。本書は自分の成長の記録でもある」
感想を問われた赤坂さんからは、
「本書は色んな読み方ができる。言葉もいい。私はふだんそんなことはしないのだが、たくさん線を引きながら読んでいった」
「実は、数字やデータにこだわって活動されていた頃の小松さんを、私は冷ややかに見ていた。その後、小松さんの考えも変わり、語りにくいことを言葉にされたことに敬意を表する。小松さんは真っ当な人」
さらに、
「震災と原発事故からまだ7年しかたっていない。時間軸を伸ばすことが必要。
去年、初めて熊本・水俣に行ったが、50~60年かかって現在にたどり着いたことを知った。それに比べると、福島は、まだ始まりのとば口にたどり着いたばかりではないか」等のコメント。
「福島の語りにくさ」について、赤坂さんは、
「2011年秋に立ち上げた福島会議は、1m向こうにいる人と話をしようというのが目的だった。 しかし2~3年経過する内に窮屈に感じるようになり、理由も説明しないままに閉じてしまった。
リスコミやファシリテーションといったカタカナ用語が飛び交ったことも、語りにくさの一因だったのではないか」
石戸さん
「コミュニケーションの名の下で、科学的には正しい情報によって啓蒙しようとするする意図(安全だから食べなさい等)が感じられた。個々人の判断、納得が重要なのに乱暴すぎたのは事実」
小松さん
「数字にも身体性が必要。魚の線量を測ろうとすると、魚は重いし動く。そんなことを全く知らずに刺身を食っていた自分は、命というものを根底から知らずに生きていたんだと思った。海ラボは身体的感覚を共有できる」
「作家の古川日出男さんの『アーティストは事実を伝えるのではなく、真実を翻訳する』という言葉に感じ入った。データの回りに揺らぎや霊的なものがある。白黒ではなくグラデーションがある」
赤坂さん
「データを集めることは重要だが、それで決着することはない。不安は数量化できない。人それぞれ生き方、家族構成も違う」
赤坂さん
「震災後、東京の経済団体に呼ばれて講演したことがある。終わった時に有名な大企業の社長さんが手を挙げて、『あなたの話には一つも数字が出てこなかった。つまりポエムですね』『再生エネなんか雇用は生まない』と言われた」
「しかし会津電力は、すぐに会社を立ち上げて20名ほどを雇用し、利益は社長も含めみんなでシェアしている。
経済界は、できるだけ効率化して利益は東京の本社が吸い上げるというビジネスモデルで、これとは全く違う。価値観や社会観によって、数字の持つ意味は全く異なる」
休憩後は、死者との対話についてテーマになりました。
小松さん
「東日本大震災ではあれだけの犠牲があった。震災で亡くなった人は、今の分断された社会を見て悲しんでいるのではないか。常に自分の体の近くで死者を感じていたい。あると言えばある、ないと言えばないものを意識していきたい」
石戸さん
「震災後、記者として石巻に取材に行ったが、身内かどうかに限らず亡くなっ た人たちを大切に思っていることが印象的だった。
タクシー運転手の幽霊談も、亡くなった人に敬意を表する暖かみのある話。死者は数字で捉えられるものではない」
赤坂さん
「自分は被災地をめぐって手を合わせることしかできなかった。民俗学とは目に見えないものを見えるようにする技法だが、この世界には見えない大切なものが沢山あるということを、この震災で気づかされた。
まだ生まれていない未来の人たちと、震災で亡くなった方や先祖の人たちの両方のことを考えて、今、立っている場所をどうしていくかを考えることこそが復興ではないか」
小松さん
「いわき市には、じゃんがら念仏踊りというのがある。以前は風物詩としてさほど関心も無かったが、震災後、初めてじゃんがらの音が聞こえてきた時、自然に手を合わせた」
赤坂さん
「集落全体が高台移転した熊本・五木村では、墓地、お寺、神社もそっくり移している。墓地や神社は地域再生の鍵になる」
会場からの質問も受けつつ、22時近くまでトークは続きました。
最後に小松さんから、
「いつも最後に言うのは、福島はいい所ということ。ぜひ、足を運んで美味しいものを食べて欲しい」との力強い言葉が投げかけられました。
そういえば、ここ数ヶ月、福島を訪ねておらず、ちょっと禁断症気味です。
この秋のうちにも、ぜひ訪ねたいと思っています。