【ブログ】ケインズの「国家的自給」

新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、予定していたイベント等の多くが中止または延期され、 あるいは参加を自粛したこともあり、拙ブログの更新も滞っています。

 そのようななかでも、時候は二十四節気の啓蟄を迎え、ひと雨毎に春が本格化しつつあります(花粉飛散もピークに!)。

ところで現在、5年毎の食料・農業・農村基本計画の改定作業が行われていますが、この計画のポイントの一つが食料自給率の目標です。
 2030年度の目標として、供給熱量(カロリー)ベースで45%、 生産額ベースで75%という原案が示されているところです(農水省HP)。

 これについては、経済のグローバル化が進展する中で、そもそも「自給」を政策目標とすること自体、適当ではないという議論もあります。

ところが、1930 年代に「国家的自給」の必要性を主張した著名な経済学者がいました。
 それは他ならぬケインズ(John Maynard Keynes)です。

 有効需要や非自発的失業の理論は、経済学のみならず、経済政策の面にも大きく貢献しました。
 さらには、ただけではなく、政府(大蔵省)の代表として国際会議に参加するなど実務家としても活躍し、個人としては投資家として大きな財を築いたという「巨人」です。

そのケインズは、1933 年、著名な評論誌に『国家的自給』(“National Self-sufficiency”)と題する論文を投稿しました。

 このなかで、自由貿易を「経済学上の教義」「道徳律」として信奉していたケインズは、最近、自らの考えが変わったと告白しています。
 すなわち、自由貿易は国際的な、しかし個人主義的な資本主義であるとし、「知的(intelligent)ではなく、美しく(beautiful)も、正しく(just)も、美徳(virtuous)でもない」 とし、「嫌悪しており、軽蔑し始めている」と述べているのです。
 何とも激しい言葉です。

また、以下のようにも述べています。
 「もし外国から穀物を輸入することでパンを0.1ペニーでも安く手に入れられるのなら、耕地を荒廃 させ、農業に付随する人間の伝統を破壊することがあっても、それが道徳的な義務である」という自由貿易の理論が、 「(金額に換算できない)農村地域の景観や素晴らしい自然を犠牲にしてきた」ことに「幻滅を味わっている」。

ケインズが活躍した20 世紀前半は、ファシズムや共産主義の台頭、2度の世界大戦など激動の時代でした。
 この時代に、経済活動を全面的に市場に委ねるような「奔放な資本主義」は、格差を拡大させ、存続不可能であるとケインズは喝破していたのです。

 「思想、知識、科学などは国際的であるべきだが、財については、可能であればできるだけ国内生産すべき」とし、 「何を国内で生産し、何を輸入に頼るかを決定するのは、国家として高度で重要な政策」と主張しているのです。

時に「左翼」 とみなされることもあったというケインズですが、市場の効率性に寄せる信頼を失うことはありませんでした。
 資本主義に修正を加えつつ、市場を賢明に管理することで、格差拡大等の解決を目指そうというのがケインズのビジョンでした。
 そして、そのビジョンは早急に作ることができないことも、ケインズは本論文の中で触れています。

 「ゆっくりと、用心深く、植物を違う方向に育てていくように行動しなければならない」 というのがケインズの言葉です。しているのです。

参考
John Maynard Keynes “National Self-Sufficiency”
 (panarchy(独)のホームページ

「ジョン・メイナード・ケインズ『国民的自給』」(1933年)を訳す」
 (新潟大・佐藤芳行先生のブログ