2020年10月26日(月)も好天。山道を歩きたくなりました。
午後からの短時間でも楽しめそうだと選んだのは、天覧山~多峯主山コース。
西武池袋線・飯能駅に到着したのは14時過ぎ。
西に向かう商店街の両側にはレトロな建物群。飯能織物協同組合の洋風建築。この辺りは養蚕と絹織物が盛んな地でした。
絹関係の問屋の蔵には、見事なうだつが上がっています。
街並みが途切れたところにあるのが観音寺。広い境内です。
その隣の飯能丹生神社の境内には、ご神木の丹生樹(たんしょうじゅ)。樫の木が桧の若木をいたわるように抱え育てているかのようです。
境内を抜けたところは飯能市立博物館。幟は林立しているものの、残念ながら閉館日でした。この辺りには幕末等の史跡が多くあります。
秋の青空の下、これから向かう天覧山が望めます。
その天覧山のふもとにあるのが能仁寺。武陽山と号する曹洞宗の寺院で、静かな雰囲気です。
ここは飯能戦争の舞台でもあります。
慶応四(1868)年、渋沢平九郎(栄一の従兄弟、のちに養子)が率いる振武隊や彰義隊の生き残りからなる旧幕府軍は、この地で(いわゆる)官軍と闘って敗れ、平九郎は山中で自刃します。
大きな記念碑と説明板がありました。
15時過ぎ、能仁寺の脇から天覧山へ。簡易舗装されて歩きやすい登山道てすが、息が切れます。
山頂近くの十六羅漢像は、徳川綱吉生母の桂昌院が寄進したものとのこと。
頂上の下は、短いながら岩登りの険しい道になります。鎖の柵があって安全です。
標高197mの頂上には、名称の由来となった明治天皇の行幸記念碑。平日ながら、数名の方が眺望を楽しんでおられました。
地元の方は散歩感覚で来られるようです(犬を連れた人もいました)。
多峯主山(とうのすやま)に向かう道は、長い下り坂。紅葉の季節の素晴らしさが想像されます。
下りきったところは平たんになっており、沢水が流れています。ガイドマップによると、谷津田の後だそうです。今は水田はみられません。
山は人生と同じ。下り坂の後には上り坂があります。
長い長い見返り坂は、源義経の母・常盤午前があまりの美しさに何度も振り返りながら上ったという伝承があります。
階段を登り切ると、杉木立の中の明るい快適な道。
突然、池が現れました。山頂近くにありながら今まで1度も枯れたことの無いという雨乞い池です。
近くには、江戸時代にこの地を領していた黒田直邦侯の墓地。5代将軍綱吉の側近で上州・沼田藩主に取り立てられ、この地も治めたそうです。
頂上近くには新しいバイオトイレが設置されていました。
地元の西川材が使われています。しっかり手洗いしましょうとの表示も。
多峯主山は標高271m。1万2千もの経文を書いた石が埋められているという経塚もある、信仰の山です。
天覧山に比べてさらに眺望は見事で、はるか新宿副都心、スカイツリーまで望めます。
下左の写真は北の方向。開発された住宅地が広がっています。
右の写真は南から西の方向。空気が澄んでいれば富士山も見えるそうです。
急な石段を下っていくと、御嶽八幡神社の小さな祠が現れました。
さらに石段を下りて見上げると、厳しい崖の上に建立されていることが分かります。
16時を回り、太陽は早くも西の山並みに沈みつつあります。秋の日は「家族は乾杯」落としです。
急な石段を下り切ったところにある小さな鳥居をくぐると、道は平たんに。
沢沿いに開けた土地は、やはり農地だったのでしょうか。山アザミの花。
やがて子どもたちの声が聞こえてきて、幼稚園の脇を抜けてバス通りに。幸運にもすぐに来たバスに乗って、17時頃には飯能駅前に到着。
そのまま電車に乗ってもよかったのですが、水分補給のため(?)に駅近くの鶏料理屋さんで小休止。生ビール/ハイボールとチキン南蛮で、この日のプチ山歩きを鶏まとめ。
短い時間と距離ながら、それなりの山歩きでリフレッシュできました(また、来よう)。
(悲しいオマケ)
翌10月27日(火)は、今年初めてメットライフドーム(埼玉・所沢市)へ。
事前の会員登録、入場時の消毒・検温など厳重です。人数は制限され、マスク着用で歓声は禁じられているなど、球場の内外はやや寂しい雰囲気。
試合の方は・・・
則本が森から逆転3ランを浴び、力負けという悲しい結果に(涙)。
それでも今年初めての野球観戦は、楽しめました。