2020年11月13日(金)の夕刻は、東京・大崎駅へ。
南改札口前では、毎週金・土曜日の12〜19時、大崎駅前マルシェ「おおさき二十四節気祭」が開催されています。
今年は新型コロナウイルスの影響で一時休止された時期もありましたが、現在は感染拡大防止に留意しつつ、規模を縮小し再開されています。
この日も、仕事帰りの多くの人たちで賑わっていました。
近隣の生産者の中には自ら見えられている方も。東北や九州の方とはネットでつながっており、モニターを通して顔が見え、話ができます。都心にいながら一次産業の現場の空気に触れることができます。
いつもお世話になっているなみへい合同会社の川野真理子さんの姿もありました。
全国各地の郷土食の伝承と地域特産品をPRする活動の一環で、毎回、このマルシェにも出店されているのです。
あずきでっち(秋田・東成瀬村の郷土菓子)、ピーナツせんべい(青森・弘前市)、国産はちみつの小瓶等を求めさせて頂きました(オマケもいっぱい頂き有難うございました!)
主催者の方も紹介して頂きました。大崎を「食」でデザインし、地域で頑張る生産者や事業者の方をサポートされている志の高い若い男性です。
ぜひ、多くの方に足を運んで頂きたいと思います。
同じくマルシェで求めた愛媛・吉田町のミカンを持って、東京・湯島のNPO市民科学研究室へ。
この日19時から開催されたのは、毎月第2金曜日に開催されている連続講座「日本の市民科学者―その系譜を描く」の2回目。会場とオンライン双方での開催です。
この日のテーマは「反核・反原発と日本の科学者-高木仁三郎を主にして」。
講師は、生前の高木先生とも親交があったという上田昌文さん(市民研代表)です。
上田さんの講演の内容は多岐に渡りましたが、以下は特に印象に残った部分です(文責・中田)。
「福島原発事故から10年が経過して新しい2つの動き。北海道では複数の町村が核廃棄物処分地の調査受け入れの意向を表明。一方、女川原発の再起動に地元が同意。
あれだけの大事故を経験しながら、なぜ私たちは原発をやめられないのか」
「反原発運動に取り組んできた高木仁三郎さんは、1960年代後半から出てきた批判的科学者の一人。核・原子力は被害・危害の規模が大きく期間が長く、軍事と不可分。原発の稼働そのものが危うい実験」
「高木さんの思想には、故郷である群馬・前橋の風土が密接に関わっている。ハーバーマスや宮沢賢治にも傾倒。
三里塚闘争や原発立地予定地の住民運動に参加することで、科学を市民目線で語る力を獲得された。後の岩波ジュニア新書等にも活かされている」
上田さんの説明は、個人的な高木さんとの個人的な関係(活動を裏方として支えられたことエピソード等)にも言及され、臨場感と迫力があります。
「反原発出前事業は、後の高木学校につながる市民講師の養成を目指したもの。
病床でも口述等による出版を続け、原子力体制の問題点を告発し続けられた(国策民営の議論なし・批判なし・思想なし、公共性の欠落と危険性への無自覚さ)」
「高木仁三郎は、『市民科学者』として自己規定して、それを生き抜いた稀有の科学者だったと思う。同時に運動家、思想家でもあった。その高い精神性は、多くの人に大きな影響を及ぼした。没も基金や高木学校という形で引き継がれている」
「この連続講座では、環境や生命などの問題群に対する市民科学の立ち位置について一緒に考えていきたい。問題が生じている現場に赴き人々の声を聴くことが必要。また、若い科学者の養成も重要」
その後は、オンライン及び会場の参加者との間で熱心な質疑応答・意見交換。熱のこもった上田さんの講演に、皆さん大いに触発されたようでした。
終了後も会場ではしばし意見交換(雑談)が継続。改めてリアルな会合の重要性を痛感した次第。
なお、この連続講座は明年9月にかけて12回開催される予定です。
関心のあるテーマや科学者がおられれば参加してみて下さい。オンラインでは全国どこからでも(海外からでも)参加できます。
翌週16日(月)の夕刻は、同じ市民研の「市民科学入門講座」にオンライン参加。
この日(第3回)は、瀬野豪志さん(市民科学研究室理事)を講師に、「『味の素』と近代日本の食文化」と題して説明と意見交換が行われました。
新しい技術や製品については、ユーザーだけではなくノン・ユーザーも大きな役割を果たす等の内容でした。
こちらは毎週月曜夜に開催される予定。
ご関心のあるテーマがあれば覗いてみられてはいかがでしょうか。