【ブログ】76回目の慰霊の日

2021年6月19日(土)付け各紙のテレビ欄、NHK『おちょやん』総集編は、左端の文字を上から読むと・・・。朝ドラはあまり観ることはないのですが、これは面白かったです。

21日(月)は夏至。1週間前に梅雨入りしたばかりです。
 自宅近くに一画を借りている市民農園は、まさに「雑草祭り」状態。意図している訳ではないのですが、見た目は自然農法。
 毎年、この季節は日本の風土の植物生産力の大きさに圧倒されます。

草の間で作物も健気に生長。
 強風で茎が折れてしまったトマトも、たわわに実を付けています。

スイカも順調。楽しみです。
 キュウリ、ナス、オクラを収穫。この季節の夏野菜は、少し目を離すとあっという間に大きくなり過ぎ。椎名誠『武装島田倉庫』の巨大生物を思い出しました。
 青い空を見上げると、妖怪「一反木綿」のような不思議な形の雲。平和な一日です。

ところで私の部屋に掲げているカレンダー(昨年11月の沖縄旅行の際にかりゆしウェア専門店で貰ってきたもの)では、6月23日は着色されています。「慰霊の日」とあります。

 太平洋戦争末期、沖縄では民間人を巻き込んだ地上戦により約20万人が犠牲となりました。旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日は「慰霊の日」と定められ、今年もコロナ禍で規模は縮小されましたが、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で76回目の「沖縄全戦没者追悼式」が開催されました。
 沖縄の慰霊の日は「本土」より2か月早いのです。

 デニー玉城知事は「無念の声を語り継いでいくことは私たちの使命」等と平和宣言。中学生による「みるくゆ(平和な世の中)の謳」。

 昨年11月の沖縄への旅を思い出しました。

ひめゆり平和祈念資料館の前にあるガマ(洞窟)は、沖縄陸軍病院第三外科壕の跡。米軍の攻撃により、ひめゆり学徒を含む80人余りが亡くなったそうです。
 ちなみに資料館は観光客の減少等により運営に支障をきたしているそうで、寄付を募っています。

 沖縄戦終焉の地で、追悼式の会場にもなる糸満市摩文仁(まぶに)。平和の礎(いしじ)も雨にけぶっていました。

沖縄にとって、戦争は過去のものではありません。
 普天間基地のオスプレイ、嘉手納空軍基地の戦闘機等は、展望台等から遠望することができます。
 埋め立てが行われている辺野古海岸には、生物調査のボートの姿がありました。

旅でめぐったのは、戦跡や基地ばかりではありません。
 美ら海水族館ブセナ海中公園、世界遺産の今帰仁(なきじん)城跡、火事から再建中の首里城、聖地・斎場御嶽(せーふぁーうたき)など、沖縄の自然や歴史の素晴らしさも満喫することができました(なお、これら施設の多くは現在は緊急事態宣言により休業中とのこと)。

那覇の一夜は、郷土料理のお店で美味しい地料理と島野菜(田芋の揚げ物など)、泡盛を頂いてから、国際通りのライブハウス・島唄へ。
 最初から予定していた訳ではなかったのですが、ネーネーズのステージは期待以上に素晴らしい内容でした。

もっとも印象に残ったのが『平和の琉歌』。
 「本土」出身の桑田佳祐が「この国が平和だなんて誰が決めたのか。汚れた自分の罪滅ぼしではないか。この島に花と愛を植えよう」と歌う原曲に、ネーネーズ(知名定男)は、ウチナーグチ(琉球語)でオリジナルの3番を付け加えています。
 「この島の情けを知らせたい。歌はこの島の暮らしそのもの。いつか必ず愛の花を咲かせます」

 桑田もその一人であるヤマトンチュ(本土人)に対する、見事な、そし優しい切り返しが、朗々と歌い上げられました。

 そのライブハウスも、緊急事態宣言の延長により臨時休業が続いているそうです(無観客ライブはオンラインで配信中)。 
 世の中が落ち着けば、ぜひ沖縄を再訪したいと思っています。来年は沖縄の本土復帰50年目です。