2022年6月11日(土)は曇り。やや蒸します。
久しぶりに東京・池袋の立教大学へ。会場のタカッターホールの前には、12時30分の開場前から行列ができていました。
この日開催されたのは「水俣と福島」と題するイベント。映画「MINAMATA」の上映と「被ばくと子どもたちの甲状腺がん」についてのトークです。
主催は311甲状腺がん子ども支援ネットワーク、脱被ばく実現ネット、立教大学社会学部砂川ゼミです。
ホール前の署名や物販のコーナーにも、多くの人たち。
頂いた資料は手づくりの30ページ近い充実したものなど、主催者の方たちの熱意が感じられます。関連の書籍も求めさせて頂きました。
13時、熊澤美帆さん(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク事務局次長)の司会により開演。学生など若い世代を含め、300名ほどが参加しています、
第一部は、映画『MINAMATA―ミナマター』の上映。
1971年、ニューヨークにいた写真家ユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、後に妻となるアイリーン(美波)の依頼を受けて水俣を訪れることに。そこで目にしたのは、水俣病に冒された子ども達と家族、激しい抗議運動の様子など。加害企業の社長からは買収が持ち掛けられ、暗室は放火され、自らも大けがを負いながらもついに写真集を出版。これがきっかけで水俣病裁判は大きく前進します。
哀しくも美しい水俣の光景、人間臭い(酒臭い?)ユージンと地元の方たちとの間で心が開かれていく様子などが、感動的に描かれています。
第2部は、シンポジウム「水俣と福島〜アイリーン・美緒子・スミスさんと語ろう」。
進行のマイクは、熊澤さんからコーディネーターの白石 草さん(OurPlanet-TV)へ渡されます(以下の文責は全て筆者にあります)。
白石さん
「311後、多くの子ども達が甲状腺がんに苦しみながらも声を上げられない状況が続いてきたが、本年1月、6人の若者が立ち上がって裁判を提起した。国や県は被害そのものを否定しているなど、水俣病と共通する問題がある。
現在も環境問題の分野で活動されているアイリーン・美緒子・スミスさん(環境団体グリーンアクション代表)もお招きし、一緒に今後の道筋について考えていきたい」
「今日は原告のうち3名の方が、勇気を出して登壇して下さっているので、まずは映画の感想と、今のお気持ちについてお話し下さい」
顔が見えないように衝立の後ろにおられます。風評被害や差別を招く等として、バッシングが激しいとのこと。3名の方は、時おり声を詰まらせながら、今の気持ちを話して下さいました。
ちひろさん(仮名、26歳)
「福島と共通する問題が多く、運動の方法などを学びたいと思った。
福島では安全、復興キャンペーン一色という空気感のなか、県立医大の検査で甲状腺がんと判定されたが、原発事故との因果関係はないと言い切られたことに不信感がわいた」
あおいさん(仮名、26歳)
「水俣病のことをもっと知りたいと思った。私は第一回口頭弁論で陳述。思い出したくないことを語った」
みつきさん(24歳、仮名)
「福島と共通することが多いと痛感。今日、舞台に上がったのは、単純に大人になったからかな(笑)」
続いてアイリーンさんはじめ、各パネリストから発言。
「昨日、原告団の皆さんにお会いして勇気づけられた。自分自身は被害者になったことはない。水俣を訪れて自分の世界が広がった。今回、映画のお話があり、関わるのが怖い感じもしたが、多くの人に伝えていく必要があると思った。映画でも紹介された胎児性患者のお母さんも『見てもらわないと分かってもらえない』と仰っていた」
井戸謙一弁護士(311子ども甲状腺がん裁判、子ども脱被ばく裁判 弁護団長)
「2006年、金沢地裁の裁判長の時、志賀原発の運転差止を命じた時の根拠は1mSV/年の基準値だった。ところが福島原発事故という国家的大参事の中、基準値は20mSVへと大幅に緩和されるなど、官僚組織や学者の対応には落胆した。
漫画『美味しんぼ』への猛烈なバッシングなど、メディアも加担して健康被害はないというドグマを浸透させてようとしている。少数の被害者を黙らせようとするやり方は、戦前の日本と同じで、水俣病も同じ構図。
本来、償うべき立場にある国や大企業が、大きな目的のために少数者を踏みつけにしている。」
河 潤美弁護士(311子ども甲状腺がん裁判弁護団)
「水俣で起こったことが現在も繰り返されている。
私は在日三世で、差別が身近にあった。差別された本人しか分からないこともある。弁護団に加わり、原告の方たちの思いをしっかりと伝えていくことの大切さを痛感している」
砂川浩慶教授(立教大学社会学部メディア社会学科教授)
「国民の側に立つメディアは少ない。公平性、客観性の確保のためには両論併記が必要と言うが、圧倒的な力を持っている国家権力の主張を、少数の被害者の声と同等に取り上げる必要があるのか。
心あるジャーナリストを応援するなど、メディアを正しく育てていくという視点も市民には必要」
資料に綴じられているアイリーンさんの「水俣と福島に共通する10の手口」についても話題になりました。
誰も責任を取らない、賛否両論に持ち込む、被害者同志を対立させる、データをとらない、時間稼ぎをし疲弊させる、御用学者を呼んで国際会議を開催する・・・等々。
これに対して主催者、スタッフの方たちが作った「抑圧と分断を乗り越える10の処方箋」には、
責任を明らかに、健全な常識を、仲間を信じる、記録を残す、諦めず粘り強く、「科学」のなを語る権威を疑う・・・等々とあります。
3名の原告の方から、裁判について発言して頂きました。
ちひろさん(仮名)
「クラウドファンディングでは、お金だけではなく暖かいメッセージも頂き、感動し、力をもらった。正直、バッシングも多い。どうか力を貸してもらいたい」
みつきさん(24歳、仮名)
「この問題を知らない人がいなくなればいいと思う」
あおいさん(仮名)
「第一回口頭弁論の時には、200名以上の人が傍聴券を求めて並んでくれた。多くの人に、甲状腺がんで苦しんでいる人がいることを知ってもらいたい」
これらについて砂川教授からは、
「私は沖縄出身。転校した内地の小学校で、沖縄出身というだけで差別を受けた経験がある。今は沖縄だからといって差別はない。人の気持ちも社会も変えていける」と発言。
井戸弁護士は、
「差別されることを恐れ、封印されてきた原告の方たちのつらい思いを、何とか代弁したい。将来、裁判を起こしてよかったと思ってもらえるように頑張っていきたい。
この国をどんな国にしていきたいかが、みんなに問われている。少数者が声を上げられるような健全な社会にしていく必要がある。ぜひ、10のバッシングがあれば100の支援を、100のバッシングがあれば1000の支援をお願いしたい」と強く訴えられました。
アイリーンさんからは、
「私も精一杯、応援したい。今日、参加のメディアの方たちには、ぜひ、紋切り型の記事にはしないで欲しい。ユージンも常々、『ジャーナリズムにはバトル、ブレイクが必要。今しかない』と言っていた。
気の毒な人のためではなく、自分のために問題と関わっていくと捉えることが重要。みんなで雰囲気を変えていきましょう」との発言がありました。
最後に白石さんから「問題は大きいが、自分の身近な、小さなところから活動を始めることが重要」等のまとめがあり、今後の裁判日程(第2回口頭弁論 9月7日、第3回 11月9日、第4回 23年1月25日)等の報告があり、シンポジウムは終了です。
ちなみにこの日(6月11日)は、水俣病の原因究明と患者救済に尽力された原田正純先生の11回目の命日に当たるそうです。
20年近く前になりますが、熊本在勤・在住中、水俣を訪ねるツアーに参加した時のことを思い出しました。患者の方に優しく接する原田先生の姿は忘れられません。
水俣病は公式確認から66年が経過しましたが、今も未認定患者が国家賠償を求めているなど、まだ終わっていません。
福島は、始まったばかりです。