【ブログ】有機農業の多様性、身近な戦跡など

2022年8月は間もなく終わりますが、ウクライナでの戦火はやみません。
 黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』大木毅『独ソ戦-絶滅戦争の惨禍』を読むと、ウクライナの人たちが頑強な抵抗を続けている背景に過酷な民族の歴史があることが伺えます。

さらにはあろうことか、原子力発電所への砲撃も続いてい.るとの報道も。
 日本国内では、8月30日(火)に福島・双葉町の一部で避難指示が解除されました。原発事故から11年5か月後のことです。しかし今も避難指示区域は残り、避難されている多くの方がいらっしゃいます。
 そのような中、便利で快適で贅沢な生活を維持するために、原発の再稼働のみならず、新増設の機運までが高まりつつあります。

8月27日(土)の午後は、日本有機農業研究会の「夏のシンポジウム 2022」をオンライン視聴。タイトルは「東西有機農業の里に学ぶ有機な地域の作り方」。日本有機化プロジェクト第1弾と銘打たれています。

画像は日本有機農業研究会HPより。

前半は埼玉・小川町から、内田さん(小川町役場)、金子宗郎さん(霜里農場)、八田さん(NPO法人霜里学校)からの報告。
 後半は兵庫・丹波市の橋本慎司さん(生産者)と藤本理恵さんから。
 引き続き、参加者からのチャットでの質問への回答を含めてディスカッションが行われました。

強く印象に残ったのは、有機農業のスタイルの多様性のこと。
 例えば有機JAS認証については、小川町ではほとんど取得していない(取得するつもりもない)のに対して、丹波市では積極的に取得を推進しているとのこと。農水省「みどりの食料システム戦略」は2050年までに有機農業の取組面積を25%、100万haに拡大するとの意欲的な目標を掲げていますが、行政主導の一律の取組みではなく、有機農業の多様性を重視しなければ達成はおぼつかないのでは、と感じた次第。

もう一つ、以前は学校給食に有機農産物を供給していたものの、市町村合併によるセンター化への移行に伴い供給が困難となっているという話も、印象に残りました。

8月29日(月)は涼しくなりました。秋の気配も。
 自宅近くに一画を借りている市民農園は、正にジャングル状態。猛暑を口実に除草作業を2週間ほどサボっていたのです。

 2時間弱の作業では、除草剤を使用しない有機農業の大変さを想像すると同時に、大きな植物生産力を有する日本の風土を改めて実感した次第(なのに、どうしてこんなに食料自給率が低いんだろう)。
 夏野菜の名残の長ナス、ししとう、ピーマンを収穫。翌日の腰の具合が心配です。 

翌30日(火)も曇り。時折り細かな雨がぱらつきます。
 予想通り痛み出した腰をさすりながら、自転車で隣の東京・東大和市立郷土資料館へ。自転車で30分強、涼しくなって助かります。

 資料館の前にはイノシシのモニュメント。この辺り(狭山丘陵)は、昔からイノシシの獣害が酷かったそうです。
 資料館に入り、プラネタリウム(コナン君!)を待つ親子連れの行列を横目に私が向かったのは、お目当ての企画展示「日記が語る戦時中のくらし」(9月4日(日)まで)。

入り口には出征する兵士を送る大きな幟が展示されています。

 日記の作者・戸田はな子さんは新潟・小千谷の出身。勤労奉仕で、かつて東大和市にあった日立航空機(株)の工場に勤めていたそうです。
 今回の企画展示では、昭和20(1945)年1月1日から8月29日までのはな子さんの日記を中心に、戦争中のはな子さんの暮らし、仕事、周りの人たちとの交流などが紹介されています。
 友人と映画(『加藤隼戦闘隊』など)に行ったこと、戦地に赴く同僚を見送ったこと、そして「知っているだけで11人が亡くなった」空襲の怖かった様子など(几帳面で読みやすい字ですが、次第に崩れてきています)。

常設展示のスペースには「食の道具」を展示するコーナーもあり、兵士の弁当箱や水筒などが展示されていました。

資料館にあったパンフレットで、はな子さんが勤めていた工場の変電所が文化財として保存されていることを知りました。
 場所は東大和市立南公園(工場の跡地)とのこと。自転車で10分ほどの距離なので、足を延ばしてみることに。

沿道の大型商業施設の隣りにある公園に入り、しばらく進むと、花壇の向こうに変電所の建物が見えてきました。
 従業員数13,000人(はな子さんもその一人)を数えた日立航空機の工場は、昭和20(1945)年の2月17日、4月19日、4月24日の3度の空襲により破壊され、周辺住民を含めて100名を超える人が亡くなったそうです。

外壁には、機銃掃射や爆弾の破片による無数の弾痕。何ともすさまじい姿です。

多くの人が足を止めて、説明板を読んでいます。ウクライナも意識した「NO WAR」の垂れ幕が掲げられていました。

自分が住んでいる場所の近くにも、まだまだ知らない多くの戦跡があります。77年前の戦争は、身近なところにあったのです。

 鎮魂と平和を祈念する8月は間もなく終わります。
 しかしウクライナでは、まだ戦争は続いています。それにパレスチナやアフガニスタンでも。