有機農業という生き方

 2013年2月最初の週末、2日(土)は好天に恵まれ、東京でも最高気温は20℃を超えて3月中旬から4月上旬並みの陽気になりました。
 この日の夕方、渋谷駅で降りると、陽気のせいだけではなく、相変わらずのすごい人でむせ返るようです。
 スクランブル交差点をぶつからずに渡るだけで一苦労。
 人の波をかき分けるようにして文化村通りを上り、ようやく「アップリンク」に到着しました。ギャラリーやカフェが併設された小さな映画館です。 
 この日、ここで有機農業に関連した映画の上映会とゲストトークが開催されました。
 開演1時間近く前に着きましたが、すでに多くの人が集まっています。予約していたので整理券を購入。会場は60人ほどで満員です。
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130202_3_convert_20130204224540.png 上映作品の1本目は『コミュニティの力』(2006、アメリカ)です。
 1991年のソ連崩壊後、石油の5割、食料の8割もの輸入が減少するという危機に見舞われたキューバでは、それまでのエネルギー多投型の農業を転換し、都市部の空地(屋上まで!)にも野菜等を植え、牛を農耕に用い、研修など人材育成にも力を入れた結果、飢えることはなかったそうです。
 そして、近隣で助け合いながら創意工夫を重ねて新しい社会システムを創っていったというコミュニティの力が、楽天的で陽気なラテン音楽の伴奏により描かれています。
 「ピークオイル」(石油の生産量がピークを過ぎ、減少に向うこと)は世界全体が直面する課題です。キューバは、この危機を先取りした社会的実験の結果を私たちに残してくれたとも言えます。
 2本目の映画は『有機農業で生きる-わたしたちの選択』(2012、NPO法人アジア太平洋資料センター(PARC)製作)
 冒頭のシーンは、埼玉・小川町において、有機農業という生き方を選択し新規就農した若者達の笑顔。
 そして多くの研修生を受け入れてこられた霜里農場の金子美登さんのインタビューと、事業者や消費者との連携により、地域全体が有機農業に転換した様子が描かれます。
 愛知県での有機農産物の直売市、カリキュラムに農業実習を取り入れた東京の女子大など各地の様子も紹介されます。
 さらに、原発事故に見舞われた福島県の生産者の皆さんの苦悩と闘い。
 絶望の淵に追い込まれながらも種を播き続ける方達の姿。そして、大学の研究者等により、丁寧に土づくりされた農地だはセシウムはほとんど作物に移行しないことが解明された様子が描かれます。
 東日本大震災と原発事故は、私たちに社会のあり方を見つめ直すことを迫っています。
 映画の中で金子さんは「それぞれの地域で積み上げ直していくことが必要」と訴えられ、有機農業研究の第一人者・中島紀一先生(茨城大学名誉教授)は、「農業が危機にあるのではない。農業を捨てようとしている日本の社会そのものが危機に瀕している」と警鐘を鳴らされていました。
 休憩を挟み、後半はトークショーです。
 ゲストは、まず、映画にも出演されていた埼玉・小川町の金子美登さん。NPO法人全国有機農業推進協議会の代表も務められています。
 もう一人の方は、出版社「コモンズ」代表の大江正章さん。編集者、ジャーナリストでPARC共同代表でもあります。
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 「有機農業」という言葉の意味と内容から、トークは始まりました。
 金子さん
「1971年、私の有機農業の師である一楽照雄先生が研究会を発足させる時、北海道の黒澤酉蔵先生のご示唆を受け、漢書の「天地有機」(天地、機有り)という言葉から名付けたもの。天地自然の摂理に従うという、本来の農業が有機農業。
 今、若い人達の多くが有機農業という生き方を選んでいるのは、直感で、来たるべき、目指すべき未来を感じているためではないか」
 大江さん
「有機農業とは、単に安全のためだけの農業ではない。作る人と食べる人、人間と作物・動物などの関係性を重視するのが有機農業。
 ところが原発事故では、永く提携してきた消費者の多くが離れて行った。お金を介して安全な農産物を買うだけの関係になっていたのではないか。
 1970~80年代は消費者が盛んに生産地に援農(縁農)に行った。きちんとした関係性を取り戻していく必要がある」
 
 続いて、消費者との提携のあり方等について。
 金子さん
「最初、10軒の消費者グループとの間で会費制での提携を始めたが、続かなかった。
 その後、少し休んで考え、30戸の消費者との間で「お礼制」で再開した。農作物を贈与し、それに対する謝礼を受け取るという仕組み。地震があると金子さんのところを思い出して安心すると言ってくれる方もいる。
 『贈与』は、これからの時代を開くキーワードになるのではないか」
 大江さん
「私が住む練馬区は面積の6%が畑。練馬区が誇れる農業体験農園により、農業経営の一部として都市農業が成立している。直売所など地産地消も盛んで、近隣の消費者と結びついている」
 会場からは、活発な質問が出されました。
 有機農業をさらに拡げていくために必要なこととは、という質問に対しては、
 金子さん 
「まずは技術を継承していくことが重要。例えば品種も在来種の方が有機農業には向いている。
 もう一つは販路の確保。隣町の豆腐屋さんが在来種の大豆を、さいたま市の住宅リフォーム会社が米を、全量、再生産可能な価格で買い上げてくれている。
 安定的な販路が確保されたことをきっかけに、地域全体が有機農業に転換した。
 地域の16歳先輩のリーダーが、一緒に有機農業でやりましょうと言ってくれるまでに30年かかった」
 大江さん
「自治体、国、JAの支援も重要。2006年にできた有機農業支援法を実効あるものにしていくことが必要。有機農業の研修制度を設けているJAもある」
 会場「小川町のバイオ発電の設備を見学させてもらったが、もっと規模の大きなものが必要では」
 金子さん
「技術を内部化できるかが重要。あまり規模が大きくなることは好ましくない」
 会場「福島の農業の復興のために、何か学生にできることはあるか」
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 大江さん
「たくさんある。まずは現地を訪ねること。話を聞くこと。そこで何が必要とされているかが分かったら手助けすること」
 金子さん
「福島には多くの親友がいる。苦悩している。自分が同じ立場になったら頑張れるか分からない。
 グリーンオイル・プロジェクトというのがある。ナタネやひまわりは除染にも役立ち、油にはセシウムは移行しない。できた油を買い支えることもして欲しい」
 この日は、途中から『有機農業で生きる』の岩崎充利監督もトークに加わって下さいました。
「原水爆実験が繰り返されてきたマーシャル諸島を取材したことがあり、放射能汚染の影響は子ども、孫の世代にまで及ぶことを危惧している。
 しかし、実際の福島の線量は低いことは調べれば分かる。調べもせずに買わなくなり、多くの農家が苦しんでいるのが現状。まずは、現状を知ることが必要」
 経験と知識に裏打ちされた深い内容のトークでした。とても全てを紹介することはできません。
 充実した気持ちで映画館を出ると・・・。
 21時を過ぎてもまたまだ人の波は減りません。有機農業が目指す社会と、現実の日本の姿のギャップに、しばし目がくらむような気持ちをおぼえました。
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【ご参考】
 ◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
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