2014年1月30日(木)の夕方、東京・京橋で開催されたセミナー「鉱毒反対運動を指揮した戦略家、田中正造に学ぶ」に参加しました。
主催は一般財団法人「大竹財団」(1972年設立・認可)。
ウェブサイトを拝見すると、「地球に平和を」を理念に人口問題、食糧問題、環境・エネルギー問題等の調査研究を行うとともに、NPOや市民活動の支援を行っている財団とのこと。
ビルの11階にある会議室に着いたのは5分ほど前。
1席だけ残っていたテーブル席に何とか座れました。その後も続いた参加者は後ろの椅子席へ。
会議室は40名ほどの参加者で満杯、田中正造の人気の高さが伺われます。
この日の講師は、國學院大學経済学部教授の菅井益郎(すがい・ますろう)さん。
ご専門は日本経済史(近現代)、日本公害史、エネルギー・環境問題等です。
新潟・柏崎市の生まれで、一貫して柏崎刈羽原発反対運動に参画されてきたそうです。また、福島原発事故後は、飯舘村周辺放射能汚染調査チームのメンバーとして現地に何度も入っておられるとのこと。
福島原発事故の直後、菅井先生が思い出したのが、正造が死の直前(1913年7月21日付け)の日記に書き残した次のような言葉だったそうです。
「デンキ開けて世間暗夜となれり。(中略)日本の文明、今や質あり文なし、知あり徳なきに苦しむなり。悔改めざれバ亡びん。今已に亡びツツあり。否已に亡びたり」
当時は日露戦争を経て、電気が本格的に普及し始めた時代。電化は文明の象徴だったのです。
ところが正造は、「文明は知と徳を兼備しなければならないのに、今の日本には技術や知識はあるが哲学やモラルがない。日本はすでに滅びつつあり、いや、すでに滅んでしまった」と記しているのです。
文明の象徴である電気を使いこなせる哲学を持っているのかと、厳しく問いただす正造。
100年前に、今回の原発事故を予見していたかのようです。
公害の原点とされる足尾銅山鉱毒事件に立ち向かうため、正造は、憲法や法令(鉱業条例)に則した行動を取るとともに、各層の市民、マスコミ、代議士、宗教者、学生・婦人運動など広範な支援活動を組織化して、世論を喚起し、社会問題、政治問題化していきました。
正造の呼びかけに応えて世論が盛り上がったのは、命を惜しまない正造の気迫と熱意が周りの人たちに伝わったからこそ。今、同じことが私たちにできているか、と菅井先生は問いかけられます。
また、東京の人たちは、正造の時代も現在も、熱しやすく冷めやすいという性格は変わらないことも指摘されました。
さらに、明治政府の「富国強兵」(強兵のための富国)、産業優先政策が鉱毒事件をもたらした。その後も水俣病など公害事件が相次いだように、被害者を切り捨てて日本経済は急成長してきた。
その歴史の教訓に学び、福島原発事故に対応すべしと主張されます。
そして、正造の言葉「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」を引用されつつ、福島に住み続ける被災者も避難者も、分断されることなく、全て健康に生きる権利があると強調されました。
質疑応答の時間では、田中正造に詳しい方もたくさんおられ、「荒地免租」(選挙権が喪失)や鉱業条例の内容等について、多くの専門的な質問が出されました。
若い女性からは、田中正造の足跡を訪ねたいので見るべき所をアドバイスしてもらいたい、との質問も。
没後100年、田中正造の人気は廃れないようです。
しかし過去の偉人として敬うだけではなく、今こそ私たちが学ばなければならないことがたくさんありそうです。
後日、菅井先生が送って下さったいくつもの論文や、書籍などを読み始めているところです。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
(↓ランキングに参加しています。よろしかったらクリックして下さい。)
人気ブログランキングへ