あれから5年目の3月が巡ってきました。
2016年3月6日(日)。天候は下り坂との予報もあり心配しましたが、雨は落ちてこないようです。
朝7時に東京・新宿西口に集合。
「Present Tree in ひろの-第1回森の交流会&被災地視察スタディツアー」の開催日。40名ほどの参加者を乗せたバスは、一路、福島・広野町に向かいます。
常磐道・広野インターを降りて町内へ。
前日にオープンしたばかりのイオンモール(東京でのニュースでも取り上げられていました)の姿を見つつ、下浅見川地区集会所に到着したのは10時20分過ぎ。
主催者である認定NPO法人環境リレーションズ研究所の平沢真美実子さんの司会により、地元の方達や他のボランティアグループの方達も交えて開会式が行われました。
前日の植樹祭から参加されているJKSKの大和田順子理事長の姿もあります。
同研究所・鈴木敦子理事長からは、
「人生の節目に記念樹をプレゼントするプレゼントツリーの取組は、地球の未来につながる森林再生の入り口となる。今日、植えた木は地元の方達により最低10年間、管理される。今回のイベントをきっかけに、広野町と私たちとのつながりが未来に続いていくことを期待したい」等の挨拶。
続いて町長(副町長が代読)、福島県富岡土木事務所の所長さんからも挨拶を頂きました。
協力して頂く各機関・団体の関係者の皆様が(東京電力の方も)紹介され、共催者である広野サステナブルコミュニティ推進協議会の代表世話人・根本賢仁さんからも言葉を頂きました。
地元の農家である根本さんと初めてお会いしたのは、2014年6月のオーガニックコットン・ボラバス(2014第1回、JKSK主催)のこと。ご自身も津波被害に遭われた根本さんは、建設が予定されている防潮堤に樹を植えたい、という思いを切々と語っておられた姿を記憶しています。
その思いが、この日、現実となったのです。根本さんはじめ関係者の皆さんの晴れやかな笑顔が印象的です。
そして紹介された4人のリーダーに従い、班ごとにすぐ近くの「ひろの防災緑地」に向かいました。
ひろの防災緑地は、延長約 2km、面積11ha の規模で整備が進められ、ほぼ完成しました。
構想段階から地域の方達(サポーターズクラブ)と計画を練り、防災だけではなく、様々なコミュニティ活動の場として整備することとしたおり、今回の植樹もその一環として行われます。
雨が落ちてくる心配はありませんが、冷たい風が強く吹くなか、最初にリーダーはじめ地元の方達が手順を説明して下さいました。
その後、思い思いの場所に散って作業をスタート。8歳の女の子もお手伝い。
全体は麻布で覆われていて、樹を植える部分のみ布が切られています。
そこをシャベルで深さ30cmほどの穴を開けます。山の土のように硬くはありませんが、粘土質でなかなか力が必要です。
バケツで2種類の土壌改良材を混ぜておいたものを穴に入れ、スコップで土に混ぜ込みます。その後、真っすぐになるように苗を入れ、固型肥料を添えて土を被せ、最後は麻布も戻して足でしっかりと踏みます。
中腰主体の作業は、50代のオッサンにはなかなかキツいものでした。
この日、植えた苗木は里山由来の5種類(コナラ、スダジイ、アカガシ、クヌギ、エノキ)。サポーターズクラブのメンバーの方や子どもたちが山で拾ってきたドングリから育てたものもあるそうです。
どの樹種を植えるかは、あらかじめ麻布に色を塗って決められています。
バケツで混ぜる人、苗木を分ける人など、自然発生的に役割分担も行われ、予定されていた2000本の植樹は2時間ほどで終了しました。
終了後、防災緑地の端まで行ってみると、すぐ近くに海が見えました。
風が強く、白い波が立っています。
全員で集合写真。
町長さんも見えられ、「希望の苗木を植えた防災緑地をシンボルに、皆さまと心を通わせながら、復興・再生に邁進していきたい」との挨拶を頂きました。
集会所に戻り、おむすびとすいとんの昼食の時間。
すいとんは、二ツ沼総合公園内にあるレストラン「アルパインローズ」の西芳照シェフ(サッカー日本代表の帯同シェフ)によるもので、トルシエ元日本代表監督が母国の味に似ていると『マミーすいとん』と名付けたものだそうです。
アツアツの優しさが心と身体に染み込みます。
地元産コシヒカリで作られた純米酒「奥州日の出の松」も試飲させて頂きました。
すっきりとした味わいです。今年1月に完成したばかりだそうで、生憎とこの日は購入はできず。
昼食後は、地元の植樹リーダーの方達から参加者一人ひとりに「植林証明書」が手渡されました。
グループごとに1本の広葉樹の里親になったことが記載されています。これとは別に、個人として里親になることもできます(私も申し込みました)。
手を振る地元の方達に見送られ、バスは午後のスタディツアーに出発。
最初の目的地はJヴィレッジです。エントランスには、作業員の方を応援する横断幕や多数の色紙など。
センター棟5階まで階段を上り、東京電力の担当の方から説明を受けました。
Jヴィレッジは、1997年に東京電力が建設し福島県に寄贈したサッカーのナショナルトレーニングセンター。東日本大震災後は原発事故の対応拠点となり、2013年には東京電力福島復興本社も設置されたとのこと。
「蹴球(サッカー)神社」の祠もあります。「サッカー代表選手になりたい」等の子ども達の願いが書かれたお札が多数。
バルコニーから見下ろすと、かつての天然芝のピッチは広大な駐車場になっています。
しかし、車両や人員のスクリーニング・除染など機能の多くは、徐々に福島第一原子力発電所内に新設された施設等に移転しており、福島復興本社自体も、正にこの翌日、双葉郡富岡町に移転するとのこと。
そしてJヴィレッジ自体も改修し、芝も貼り直した上で、2019年までに福島県に返還される計画だそうです。
前回(昨年7月)に訪問した時とは違い、センター棟は外壁工事が行われていました。
ここでは、復興・再生は着実に進行しているように感じられました。
ここで、「富岡町3.11を語る会」の語り人・田中美奈子さんが合流し、バスに同乗して下さいました。
現在はいわき市に避難しておられる田中さん、「あれから5年間、どうやって過ごしてきたのかな」という思いだそうです。
常磐道を走るバスの車窓からは、大量の除染廃棄物が積まれているのが見えます。
ここは昨年9月に避難指示が解除された楢葉町ですが、田中さんによると、「まだ帰還した人は少なく、戻ってこられた高齢者の方のなかには、話し相手がいないことが悩みという方もおられる」とのことです。
インターチェンジを降りて富岡町へ。除染作業が進められています。ここにも多くの除染廃棄物。
バスは夜の森地区へ。かつて桜の名所として有名だった観光地です(今年も、間もなく桜が咲く季節がめぐってきます)。
黄色いままの信号が、静かに点滅を続けています。
桜並木の通りを少し歩くとゲートが設けられており、行き止まりに。警備員の方がおられます。ここから先に、さらに素晴らしい桜並木が続いているとのことですが、帰還困難区域に指定されており立入はできません。
田中さんから、「通り一つを隔てて、右側は帰還困難区域、左側は居住制限区域に指定されている」との説明。
居住制限区域は昼間は誰でも自由に立ち入ることができます。昨年7月にはあちらこちらにあった「除染中」の幟も、今回は見られませんでした。除染作業は着実に進んだようです。
(ただし夜間の立入りと宿泊はできません。したがって夜桜はみることはできません)。
帰還困難区域につながる道路にはゲートが設けられ、その向こう側の住宅や商業施設は除染も行われず、2011年3月に避難が行われたままの状態です。干されたままの洗濯物を見た、と言っていた参加者もいました。
ここは、昨年7月に訪ねた時と状況は大きく変わっていないようです。
地震の被害を受けた田中さんの知人の方の住宅も、特別に見学させてもらいました。
家具や什器は散乱したまま、雨漏りのために壁紙も剥がれているという惨憺たる有様です。胸が苦しくなります。
よく「震災から時が止まったまま」という表現が使われますが、これは実は間違いで、時間は確実に流れています。人の手が加えられず放置されたままだと、住宅も農地も徐々に「劣化」「荒廃」するのです。
JR富岡駅前の風景の変わり様には、驚かされました。
最初に訪ねた時(2013年10月)は、津波で捻じ曲げられた駅の鉄骨等も残されていましたが、前回きた時は駅は解体されており、さらに今回は、駅前の被害を受けた商店や住宅も全て取り壊されて更地になっていたのです。
何軒か新しい住宅の建設も進みつつあります。
駅の背後(海際)には、巨大な廃棄物の減容化・焼却施設が稼働していました。
富岡町内の復興・再生の状況を、田中さんの「語り」を聞きながら自らの目でみて、実感できたように思います。
田中さん、有難うございました。
充実した一日。今朝7時に新宿を出発したのが遠い過去のように思えます。最後の訪問地は温泉。
JKSKのツアーでも何度も来ている、かんぽの宿いわきで汗を流した後、バスは、一路、東京へ向かいました。
再びマイクが回され、参加者一人ひとりから今日の感想など。
「植林は思っていたより重労働だったが、多くの人に楽しさを伝えていきたい」「これからも樹を植える活動に関わっていきたい」
「富岡町の光景には衝撃を受けた」「自分と同姓の薬局が被災しているのを見て、もし自分が同じ目に遭ったらと思うと胸が詰まった」「語り部の方の話が印象的だった」
「これから復興していく姿を注目していきたい」
「自分が被災地のためにできることは必ずあると思った。できることを一つずつやっていきたい」等々。
往路の自己紹介は遠慮がちで総じて短かったのですが、この時は、多くの方が長く話されました。それだけ、受け取ったことが多かったようです。参加者全員にとって充実したイベントだったことが、このことからも伺えました。
最後に鈴木理事長がマイクを取られ、
「ハードの復興は進みつつあるが、コミュニティの再生はまだまだ。これからもプレゼントツリーの取組を通じて地域づくりに貢献していきたい。植えただけで終わりではない。これからも何度も足を運んで頂きたい」と締めくくりの挨拶。
予定の20時を少々過ぎて東京・新宿に到着。
いつものことながら、福島から新宿に戻ると、あまりの光景の違いに頭がくらくらするような思いがします。
「被災地の復興は何の問題もなく着実に進捗している」というのも間違いなら、「復興は全く進んでいない」と決めつけるのも事実ではありません。現実は、その両極端の間にあります。
しかも、福島県と言っても浜通りと会津とでは状況は全く異なり、同じ浜通りでもいわき市や広野町と富岡町や大熊町とでは、大きな違いがあります。さらには、同じ富岡町内でも、まさに道路1本を隔てて事情は異なるのです。
単純化して思考停止に陥ることなく、復興・再生は「まだら模様」にあるという現実を、しっかりと心に刻む必要があります。
震災から5年目を迎える時期に本当に充実したイベントに参加させて頂き、自分自身にとっても一つの「節目」になったような気がしています。
地元の皆さまを始め、主催者・スタッフの皆さま、一緒に参加した皆さま、有難うございました。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
(プロバイダ側の都合で1月12日以降更新できなくなったことから、現在、移行作業中です。)
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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