【ほんのさわり】荻原 浩「ストロベリーライフ」

荻原 浩『ストロベリーライフ』(2016年9月、毎日新聞出版)

グラフィックデザイナーの望月恵介(36歳)は、農業なんか格好悪いと父親と大喧嘩して静岡・富士山麓の実家を飛び出し、東京の美大に進学・卒業して広告代理店に就職。その後独立したものの、注文の電話はなかなか鳴りません。
 そのようなある日、父親が倒れたとの連絡。慌てて実家に戻ると、救急車で病院に運ばれた父親は脳梗塞で半身不随。2棟の苺のハウスは、正に収穫期を迎えていました。

やむを得ず手伝い始めた農作業。ところが父親が丹精込めた苺をかじり、思わず「うまい」と声が洩れます。
 父親が丹念に書き留めてきた農作業日誌、腰痛をこらえて収穫作業に精を出す母親の姿、アスファルトではなく農地が当たり前に広がる「ふつうの景色」、そして体験で受け入れた保育園児たちが苺を口にした途端にくしゃっとなる笑顔。
 恵介は次第に農業に惹かれ、手伝いを口実にしばしば実家に帰るようになります。

そのため、都会っ子で虫が大嫌いの妻との仲は次第に噛み合わなくなっていきます。昆虫図鑑が大好きなはずの5歳の息子も、生きているテントウ虫を手に取らされて悲鳴を上げるなど、家族も危機に。

一方で広告のプロである恵介は「農家にはお客さまが足りない」と感じます。
 「生産者の顔の見える作物はあっても、多くの農家には自分の作る作物を食べている消費者の顔が見えていない」と。そこで恵介は、ネット販売、観光農園、スーパーやレストランとの直販に取り組んでいくのです。

広告デザインの仕事もあきらめた訳ではありません。
 「農業もフリーのデザイナーも不安定な自営業だが、だからこそ、2つの仕事があれば少しは安心できる。兼業上等。多角経営だと思えばいい」。恵介が選んだのは「半農半デザイナー」の道です。

ラストシーンは、満を持した観光農園オープンの日。
 なかなかお客さんが来ないことにやきもきするうち、朝方は曇っていた富士が姿を現し、その時に他の客達とバスを降りてこちらに向かってきたのは・・・。
 直木賞作家が描く日本の農業と家族の未来への応援歌です。

F.M.Letter No.115, 2017.3/28掲載】