2017年も8月15日がめぐってきました。
72回の終戦記念日。追悼式のテレビ中継にあわせて一人で黙とう。
この夏は、さる個人的な事情があって遠出もせず、都内のイベントにも参加せず、ほぼ自宅に引きこもり(缶詰め)状態です。
時折、自宅近くに一画を借りている市民農園へ。
春から初夏にかけてのカラカラ天気とは打って変わり、梅雨が明けても不順な天候が続きます。おかげで水不足の心配はありませんが、昨年、悩まされたカメムシやコガネムシが姿を見せ始めました。
真夏の畑は意外と殺風景ですが、寺島ナスの淡くて深みのある(矛盾?)紫色と、内藤トウガラシの鮮やかな赤色が目を楽しませてくれます。
生育不良気味だったオクラも、ようやく花を付けました。福島・広野町由来の綿もここにきて背を延ばし、多くの花を付けています。今年もコットンは豊作見込みです。
スイカの花にはウリハムシ。5年越しの東京・檜原村由来のゴマは、今年もピンク色の花をたくさんつけてくれました。
この日は所用もあって、雨の会い間に自転車で近所を散策(徘徊?)。
元弘3年(1333年)5月、新田義貞軍が幕府軍を破った久米川古戦場からもほど近いところにある熊野神社。隣接する公園にはヒマワリ。樹の幹には、翅の破れたアブラゼミが一匹。夏も終わりが近いようです。
この神社の境内には「久米川の富士塚」があります。
富士講が盛んだった江戸時代、江戸の各地に富士山を模して築かれたもの。資力や体力など様々な事情で実際に富士山に詣でられない人たちも、この小山を登れば同じようなご利益があったとのこと。
険しい(?)登山道を1分ほど登れば頂上。眼下には木々の間から境内が望めるという絶景。
江戸の人たちの優しさ、融通無碍さ、ユーモアさえ感じられます。
ここから東村山駅方面に向かう、ようやく車1台が通れるほど(一方通行)の路地。
子ども野球場の前の説明板によると、ここが新田義貞軍も攻め上ったとされる鎌倉古街道(上ツ道)とのこと。沿道には由緒ある白山神社の小さな社殿も。
さらに駅方面に向かうと、木製の標柱もありました。
電信柱には、市公認のゆるきゃら「ひがっしー」のタペストリ(ちょっと命名は安易ですが)。
西武新宿線・東村山駅は、現在、高架化の工事中。
駅前広場には3本のケヤキの木。その根元近くには「志村けんの木」との銘板。市の名前を全国に広めてくれたことについての感謝状の贈呈にあわせて植樹されたものだそうです。
私もここに越してくるずっと前から(子どもの頃から)、東村山市の名前だけは知っていました(どこにあるか等は知りませんでしたが)。
ちなみに、今月は市内各所でも盆踊りが行われ、東村山音頭も流されましたが、志村先生バージョンとはだいぶ違います。
夕刻近く、また雨が落ちてきました。
夏の高校野球も中止・順延になったようです。